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2007年1月の31件の記事

2007年1月31日 (水)

スーパーフィート

 お金で買ってでも完走したい。
 お金で完走が近づくならば、なんでも買いたい。
 「靴の次にお金をかけるとすれば、お勧めはなんですか?」
 店員さんの答えはスーパーフィートだった。

 

 スーパーフィートは歩き方を矯正する靴の中敷(インソール)
■既製品は4,300円、靴に合わせて縁をカットして使う。
■カスタムメイドは9,200円、専門技術者が足の型に合わせて成型。

 

 人間の足は一人一人形が違うし左右でも違う。足に合わせた型のソールで足を受け止めることにより、故障を防止する。
 市販の靴に入っているインソールは万人に合うように作られた平坦で柔らかいもの。
 健康のために靴にお金をかける人はたくさんいるが、カスタムメイドのインソールを入れている人は少ない。一度インソールを作って、その後はそれが入る靴を買った方が合理的。

 

■カスタムメイド制作に要する時間は30分足らず。機材を暖めるのに要する時間を含めても60分以内。*渋谷区アートスポーツの場合
■インソールを入れる靴を持参
■制作時は素足で成型。テーピングは外す。

 

■靴の型が同じであれば、複数の靴に入れ替えて使うこともできる。

 

 説明書には初日は2時間、二日めは4時間・・と足が慣れるまでは"慣らし"が必要と書いてある。徐々に時間を増やしていき使い始めて5日で慣れた。
 運動の時に限らず、仕事履き・普段履きの靴でもこのソールを入れた方がよい。
 最初は足がびっくりする。マラソン出場の一ヶ月前には使い始めておくとよい。

 

 SUPER feetのブックレットに「No Need for Speed」 (2004/09/03)の著者 John Bingham の次の言葉が載っている。
「自分に寛容になること。焦らないこと。体は時間が与えられれば、徐々に新しいレベルに適応できる」

 

 この言葉が後に僕のマラソンを支えることになる。

ど素人!マラソン講座

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2007年1月30日 (火)

うなぎ

 「ご馳走」「高い」と思われている魚。

 

 浜松を境に関東は背開き(切腹をイメージする腹開きは不吉)
 関西は腹開き(腹を割って話す)で調理する。

 

 長年、うなぎ養殖日本一は浜名湖のある静岡県ではなく愛知県だった。
主産地は一色町(いしきちょう)2001年に鹿児島県がトップになった。

 


 名古屋の「櫃まぶし(ひつまぶし)」柳川の「蒸籠蒸し(せいろむし)」はうなぎファンならば一度食べることを勧めたい。

 


 櫃まぶしは、ご飯に刻んだうなぎと海苔がまぶしてあり、お櫃で出てくる名古屋のうなぎ料理。
 お櫃からお茶腕によそって食べる。お櫃の最後の1杯ではお茶づけにするのがお約束。ただし、お茶漬けにしたからといって特別に美味くはない。

 名古屋市中区錦の「以ば昇」(いばしょう)
 「櫃まぶし」の元祖は諸説あり、ここもその1つ。
初めて行った時、2人前が1つのお櫃で出てきたのだが
「これって1人分?」と顔を見合わせるほど量が少なかった。
 念のために「これ2人分ですよね」と確認した。
 名古屋駅近くにある「大友」は鰻が香ばしくて美味い。数人で行っても、一人一つのお櫃で出てくるのもよい。

 

 蒸篭蒸しは、蒸籠にご飯を敷いてうなぎをのせて蒸す料理。福岡県の柳川が有名。
 注文してから出てくるまでに時間がかかるが、ご飯にタレがしみこんで美味い。猫舌の人は熱くて手こずる。
 福岡市内のうなぎ屋ならばたいていどこの店もやっている。九州のうなぎ屋では出している店が多い。
 最もお勧めの店は、本場・柳川市の「本吉屋」(もとよしや)。博多観光で半日時間があれば、西鉄電車を使い「柳川」(川下りが有名)と「太宰府天満宮」が回れるので、食事を柳川でとるとよい。

 

「ヘビみたいだから気持ち悪い」とうなぎが食べられない人もいる。
だが、気を利かせたつもりで
「ウナギ、大丈夫?」
ときくと、食べられる人は「自分の懐具合を心配されているのか・・・」と考えてしまう。

 

 2月2日につづく

 

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2007年1月29日 (月)

あと**日ボード

 あと*日ボードというものがある。

 大学受験まであと100日
 東京マラソンまであと20日
 結婚式まであと30日

 そういう時に使う自分一人用の掲示板

 会社にはいって企画提案したけれどボツだった。
 すると1年後、東急ハンズで発見した。
 フォントロイマーという会社から発売された。
 この会社のアイデアグッズは楽しいモノが多くて好きだったが、今はもう会社は存在しないようだ。ネットで検索した時に明確な情報は得られなかった。

 あと**日ボードは
 「**まで」のところがホワイトボードになっている。
 バレーボールの得点経過を付けるようなもの
 フックが3つあって、0-9の札が3組ついていて
999日~000日までカウントダウンできる。
 確か1500円程度だった。

 しばらく使っていたがいつか使わなくなり、ゴミになった。
 そして去年、久しぶりに気になってヤフオクを検索したらあった
 今は電子式になっていた。
400円ほどで落札できたので即決で買った。

 **のところはシールに書いて貼る
 液晶で
 ***日
 ******

 180日
 235959
 からカウントダウンしてきた減算計が今日
 ぴーぴーぴーとゆっくり3度鳴って
 000
 000000
 を刻んだ。
 180日のカウントダウンは長かった。感慨深い。

 明日からは次の目標、湘南国際マラソンのスタート時間を
インプットする。
 明確な日付のあるものだけが目標ではない。
 心に思うことが目標だ。
 目標を持てば、時間はあっという間に過ぎるが、
 使えば使うほど、時間は増えてくる。

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2007年1月28日 (日)

デコの6月

 バルセロナにとって史上2度め
 デコにとっても2度めのチャンピオンズリーグ優勝の二日前。
 2006年5月15日、デコはポルトガル代表メンバーに選出された。
 CXすぽるとは「デコが10番を背負う」と報道し、一部のショップでは10番マーキングのユニフォームが売られていたが、発表されたナンバーは20。
 10はポルトガル人の新鋭に決まった。

 これでデコのW杯初出場が内定した。
 そう、この時点では確定ではなく内定。
 フットボール選手には怪我という可能性がある。運動量の多いサッカーの場合、一度怪我をすると軽い怪我でも復帰まで三週間はかかる。
 野球のように、ベンチ入り選手がいなくなるまで交代してよいとルールならば、フリーキックだけ代わりに蹴るとか、スローインだけ投げて「W杯初出場」を飾ることはできる。だが3人しか交代できないフットボールでは、選手に温情をかけている余裕はない。もしサッカーの交代枠がベンチ入り選手全員までOKならば、カズは今頃、W杯出場の思い出を心に刻むことができたかも知れない。

 まさかと思ったが、悪い予感は当たった。
 W杯グループリーグ初戦アンゴラ戦を間近に控えた6月8日
 練習中にコスティーニャと衝突して負傷。
 ルイス・フェリペ・スコラーリ監督は
「デコのアンゴラ戦出場は12時間前に判断する」と談話を発表した。

 6月10日
 デコは出場できる状態にあると申し出たが、スコラーリ監督はデコ欠場を選択。

 理由としては
■デコ故障再発のリスクを回避<br/>
■デコの体力温存<br/>
■デコ不在 布陣のテスト<br/>
 決勝まで7試合を見越してこの3つの観点から判断したと思われた。

 その数日後、イラン戦でデコは無事W杯に出場を果たす。
 僕はポルトガル優勝を確信していたが、ある選手によってそれは阻まれてしまった。

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2007年1月27日 (土)

情熱の国?スペイン

 郷に入れば郷に従えという言葉がある。
 海外旅行の楽しみは、その土地の言葉で道を尋ねることである。

 そして、今回の行き先は「情熱の国」となぜだか言われているスペイン。きっと情熱的なことがあるだろうと色々な場面を想定してスペイン語を覚えていくことにした。

 たとえば、バルに行ったとしよう。
 ガイドブックによるとバルは食堂であり、バーであり、ゲームセンターでもあるらしい。子どもの頃、お好み焼き屋で10円のゲームをしていたが、あれに酒が呑めるという感じだろうか。
 いずれにしても、社交的な臭いがする。きっとカウンター越しに熱い視線を浴びるに違いない。いや熱くなくても興味本位の視線くらいはうけるだろう。それにこちらから飛び込んでいけば、相手もにっこり笑ってくれそうだ。

「ここに座っていいですか?」
 スペイン女性二人が座っているところに、混ざる映像が頭に浮かんでいる。

 話がもりあがって「一緒に写真を撮りましょう」とか「メールアドレスを教えてください」ということになるかも知れない。「僕がおごります」も押さえておこう。

 結果的に、こういう会話は一切必要なかった。

 こうして、旅のスペイン語会話の場面を想定しつつ、単語カードに書き出して行く。

「おはよう、こんにちは、こんばんは」
「トイレはどこですか」
「これ、チップです」
「ここに書いてください」
「わかりません」
「誰か日本語を話せる人はいませんか」
「英語は少し話せます」

つづく

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2007年1月26日 (金)

情報システム部と営業がやるべきこと

 システム部門と営業部門は仲が悪い。
 だが、お互いを攻撃する前にそれぞれが最低限やらなければいけないことがある。

■情報システム部側
 ユーザー要求の実現、納期に間に合わせることに最大限知恵をしぼる。

■営業
 事業計画を100%達成する。(計画比と前年比とも)

 情報システム部は、"制作が作った商品を営業が売り上げてできた利益にぶら下がっている部署である" という立場を忘れてはならない。

 営業は "営業は計画を100%達成する" という立場を忘れてはならない。

 「営業に専念できるよう、すべてを完璧に用意するのがシステムの仕事だろう」
 「管理部門は徹夜してでもやれ。数字1つ違ったら、全然意味がない」
と言ってもよい営業社員は、会社と約束した数字を100%達成した人だけである。
 得てして、数字の悪い社員のほうが、文句が多い。

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2007年1月25日 (木)

日本でコンピューターの教育利用が進まない理由

 学習指導要領の改訂により、2002年度から、教科指導にインターネットとパソコンの利用が始まった。
 だが、日本では、教師にコンピューターやインターネットで教材作りをする下地がない。

 米国では、同じテーマで調査、研究した情報をWebページにまとめて、情報交換するプロジェクトが進んでいる。
 米国で、こうしたコンピューターの教育利用が進んでいるのには理由がある。

 米国には日本のような「指導要領」「検定教科書」がない。
 教師は昔からタイプライターやワープロを使い、自作の教材を作っていた。
 キーボード配列に慣れており、コンピューターを活用する下地がある。
 また、コンピューターを教科指導に利用することへの制限もない。

 日本では、2002年4月施行の新指導要領や、2000年からのミレニアム・プロジェクトにより、ようやくインターネットやコンピューター利用の規制がなくなったが、それを教材作りに活かす下地がない。

 教材は検定を通った教科書を使わなければならない。学校でおこなうテストも業者テストを購入して使っている。なかには、著作権の利用範囲を超えて、複製するケースもある。先生が自作教材で教えるという余地はほとんどない。

 一方、時間的な制約もある。
 学校行事、教育委員会の行事、生徒指導、部活指導、日々起こる問題。
 日本の先生の就業時間には、コンピューターを利用した教材作りに取り組む時間は残されていない。

 そして、コンピューターの教育利用を阻む最も大きな要因は、日本の教育におけるコンピューター・アレルギー=CAIアレルギーである。

 次回2月1日につづく



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2007年1月24日 (水)

ニューヨーク2110

 元旦に走り始めて3週間。
 この時点で42kmへの挑戦を決めた。
 レースは2ヵ月後、2006荒川市民マラソン

 レースが決まると次は靴。
 ランナーズやクリールで研究してみると、どうやらマラソン界はアシックスのシェアが高いらしい。
 ニューバランスのフラット走法靴も候補に入れて、ランナーズに記事が載っていた渋谷のアートスポーツの門をくぐる(それほどのものか)

 店員の山田さん(仮称)に
・初マラソンである
・歩いてでも7時間で完走したい
 そんな僕にお勧めの靴はと尋ねて、返ってきた答えは僕の第一候補と一致していた。

 アシックスニューヨーク2110
 マラソン用シューズ売上ナンバー1商品「ニューヨーク」シリーズの2005年11月に発売された製品。

■クッション製重視
■重量:365g(27cm)なので、軽さが売り物の靴ではない。
■メーカー希望小売価格:12,075円
■実勢価格:10,920円(発売後2か月当時)
■ナイキが27.5cmならば、この靴は27cmというようにワンサイズ小さく選ぶ。■付属しているシューレースが少々短い。
■GT2100(2004年モデル)からの変更点
 インソール(中敷)のかかと部分が足を包み込む形に変わる。足が靴の中で遊ぶことがない。
■発売当初、オールブラックのモデルも限定発売されていた。
 (2008年モデルは黒を買いたい)

 フォアフットの横幅が広いモデルもあるが、通常モデルでも十分広い。横幅が余る靴は故障の原因となるという山田さんのアドバイスで、通常モデルに決める。

 「かかとを包み込む部分に形状記憶素材が使われているので、履き始めはシューレースをきつめに締めてください。一定期間を過ぎれば、普通のはき方にするといいですよ」

 こういうアドバイスを聞きたかった。
 アートスポーツさんは、ど素人ランナーに勧めたいお店である。

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2007年1月23日 (火)

困ったSE

 そこらじゅうにいる、困ったSE(システムエンジニア)とは。

■日本語が書けない。

■かっこいい机上の論理に酔う。
■世の中の常識、現実論を認めない。

■責任を逃れることを最優先する。
■ふたことめには「懸念されるのは」「心配なのは」という。

■世の中の常識、現実論を認めない。

■相手にわかりにくいように専門用語や俗称、通称を多用する。
■それがわからないと露骨にバカにする。

■最新の技術に背を向ける。
■他のSEの提案にはレアケースをぶつけて責める。

 企業内情報システム部に多い困ったSE

■仕事が増えぬよう、うまくユーザーを脅す。
■自分が責められると「まだユーザ要求が決まっていない」と逃げる。
■1万分の1のレアケースの対応が仕事だと思っている。
■ユーザーがどのように使うかは関心がない。
■論理を正当化するために、作り話をする。

■SE関連の面白い本
SEの持つべき「思想」―できるSEは何を考え、どう動いているのか

 彼らは、プログラムと仕様書が書ければ、日本語は書けなくてもよいと思っているのではない。
 自分が「日本語を書けていない」ことに気づいていないのだ。
 仕様書の抜けさえなければ、すべての文章から主語が抜けていることは、全く問題ではないのである。

 派遣元の企業の皆さん、採用時に国語の試験を頼みます。

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2007年1月22日 (月)

事務作業で気が利かない人

 オフィスの作業で気が利かない人は、こういう人たちである。

 【 文書篇 】
■社外に出す封書の封をセロテープで留める。
 (感じが悪い)
 しかも、そのセロテープが表の面まで回っている。
 (開けにくい)

■封筒の封をはさみで切って開ける。
 (社内便用の再利用がし辛くなる)

■有給休暇で休んでいる人の机の上に回覧を置く。
 (今、そこにいる人の所に置くべきでしょ)
 目の前に回覧を「受け取れ」と言わんばかりに、ぬっと差し出す。
 (出されると受け取らなければいけない。そこに置いてもらいたい)

■コメントを付けずに、文書を置いていく。
 (置けば仕事は終わりらしい)

 【 電話篇 】
■電話を受けると、本人の顔色を見ずに「はい、おります」と取り次いでしまう。
 (学校に戻ってほしい)

■携帯の番号を聞かれると、すらすらと答えてしまう。
 (気が利かない以前に、危機管理意識がない)

■伝言メモに、受けた自分の名前を書かない。
 (メモが不備な時 質問ができない)

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2007年1月21日 (日)

デコのミッドフィルジャケット

 日産スタジアムのトラック横に設けられた、日テレ特設ブースにデコがやってきた。
 ファンから「デコ~」の声がかかる。もうすっかり、人気者だ。

 デコは鮮やかなブルーのジャンパーを羽織って、ファスナーを上げながらやってきた。椅子に座ってからも、ファスナーを上げようとするのだが、なかなかうまく上がらない。きっとデコはこのジャケットを着慣れていなかったのだろう。
 このジャケットはファスナーと併走する形で、マジックテープが4枚付いており、ファスナーを上げなくても、マジックテープを数箇所止めるだけで、前は締まるのだ。

 今回のCWCウィークで、この青いジャケットを着ていたのは、ベンチを暖める選手のみ。バス移動、練習前後では着用していない。準決勝、決勝の2試合をフル出場したデコが着慣れていないのは仕方がない。

 鮮やかなブルーにオレンジのライン。胸にコオロギ鍋とスウッシュ。右袖にはFCBARCELONAの文字。背面はスウッシュのみ。
 デコが着ているこのジャケットを着たい!デコファンの多くがそう思ったはずだ。

 FCBOTIGA(FCバルセロナ公式ショップ)で調べると、よく似たデザインの「青」では、FCバルセロナ07 ウーブンウォームアップが発売されている。色は青、紺の2色。ナイキ2007スプリング商品(品番211992/425)実勢価格15,750円。
 だが、これは上下セットのジャージであり、デコが着ていたジャンパーとは違う。

 デコが着ていたのは「FCバルセロナ06/07ミッドフィルジャケット」
 ただし、市販されているのは「紺色」のみ。選手が着用していた「青」は選手支給品のようで、市販されていない。大手スポーツ店経由でナイキに聞いてもらったところ、市販予定はないと言う。
 これは、ぜひ市販していただきたい。
 だが、ナイキの場合、商品展開は半年前に決まっているはずで、この段階で出さないという回答があるということは、市販は無いと考えるのが順当だ。そうなると、クラブ関係者から手に入れる以外にない。

 とにかくこのジャケットは暖かい。腕にはカイロが仕込んであるのかと思うほどだ。すっかり暖冬になった12月の日本ならば、ベンチに居ても、このジャケットがあれば寒くはなかっただろう。サイズは表示されている通りに買うとよい。身長170cmの人であれば、ジャストサイズはインポートM。だが、インポートLならばひざ近くまでが隠れるハーフコートのように着ることができる。腕も内側にゴム、外にマジックテープがあり、袖が少々余っても持て余すほどではない。

 ミッドフィルジャケット「紺色」
 品番178748/410
 実勢価格14,490円
 FCBOTIGAでは早々に売り切れたが、いくつかのナイキ製品取り扱いショップでは、まだ販売している店もある。

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2007年1月20日 (土)

困ったe-mailer

 呆れたり、迷惑だったりするe-mailerとは

 【 友達編 】

■笑えない内容なのに(笑)をつける。
 (笑)をつければ相手も笑ってくれると思っている。
「待ち合わせの時間に行くかも知れないけど行けなかったらゴメン(笑)」
「また困ったときはばんばん頼りにするから、よろしく(笑)」

■「お金が10倍になる方法」を教えたがる。

■自分がブルーになると寄ってきて、ハッピーになると音信不通になる。

■こちらが不幸な時は寄ってきて、ハッピーになると遠ざかっていく。

■メールもくれないのに、別れ際にはいつも「今度メールする!」と言う。

■返事をしていないのは自分なのに「最近メールこないね」と言う。

■「アドレス替わりました」と言って、友達全員をTOやCCに並べて紹介する。
 お前は一人ミクシィか

 【 社内編 】

■「了解しました」ひとこと
 創意工夫というものはないのか?

■「メールは読んでないから・・」と言う情報システム担当者

 【 ネット編 】
■ホームページの記事が気に入らないと抗議してくる。

■「お前は○○の回しもんだな」と勝手に決めて文句をつけてくる。
 こういう輩は皆、フリーメールで発信してくる。

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2007年1月19日 (金)

一緒に仕事をしたくない人

 一緒にいるだけで気が滅入るので、一緒に仕事をしたくない人。

■眠っている

■会社の電話で、どこかの会社にクレームの電話をかけている。

■「ちょっと手伝って」と声をかけると「なんで俺がぁ」という顔をする。

■「忙しくて休めない」と英雄気取りで、風邪を押して会社に来て、口に手も当てず一日中咳をして、周囲を全員感染させる。

■人が何か話していると、割って入り「あぁそれはこうだね」と長々と解説するのだが、内容がいつも的外れ。

■会議の席で、誰もがわかっていることをまとめる。上司でもないのに。

■意見を求めると黙考する。 棋士か?

■暇そうだから仕事を頼むと「なんで俺が雑用をやらなきゃいかんの」という。
■それを苦にして会社を休む。
■それを被害者として上司に言う。

■仕事をしながら、ヘッドホンで音楽を聴いている。

■仕事の話より雑談が5倍多い。

■いつも他の部署に遊びに行っていて、席にいない。

■いつも他の部署から、暇なお友達が遊びに来て「おい仕事してる振りするな」「何いってんだ。今日は忙しいんだ」とお決まりのツッコミ合戦をしながら、ネットで買い物をしている。

■前の部署での栄光を威張る。

■自分のクルマ・バイクを自慢する。

■昼間から、風俗でもてた話しを持ち出す。



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2007年1月18日 (木)

2002年の教育改革

 2002年の学習指導要領改訂で、最もニュースになったのは「学校五日制」だったが、指導内容については、次の2つが目玉である。

■総合的な学習の時間
 2001年度までの指導内容を削減して、教師が自由な創意工夫で指導するために設けられた授業時間枠。
 子供達は「総合学習」「総合」と呼んでいる。
 文部科学省のガイドラインはなく、自由に教諭が指導内容を組み立ててよい。個々の教諭の真価が問われる。

 ジーコ監督の下、自由を与えられた選手たちには、自ら考えて行動する高い能力が必要であったように「総合」は教諭に高い資質を要求している。

■教育へのパソコン、インターネットの利用
 ほぼすべての教科指導内容に「パソコン」「インターネット」の文言が入った。
 当時、想定された使い方は次のようなもの。

・ 世界中のデータベースを使う。
・ 国内外の学校と絵、写真、E-mailを交換する。
・ 気象観測や生態観測など、同じテーマで調査、研究した情報をウェブページにまとめ、情報交換する。~アメリカではこのプロジェクトが進んでいた。

 また、指導要領施行に先立ち、移行措置的な意味合いで、文部科学省情報課による「ミレニアム・プロジェクト」が進行していた。

・2000年~2005年の6年計画。
・従来のコンピュータ教育の目標は、コンピュータ教室を作り「コンピュータの使い方」を学ぶものだったが、当プロジェクトでは、一般教室にコンピューターとプロジェクターを設置して、インターネットを一般の授業に取り入れるとした。

 これまでは「12時間で教えるべき内容を10時間で教えて "落ちこぼし" を出していた」のを「8時間でわかるようにして、2時間は調べ学習や体験活動に充てる」のを目指す。

 ただし、指導要領施行前から、問題点も多々、指摘されていた。

1、1995年までに入れたパソコンが、既に古くなっている。

2、インターネットを授業で使うには、コンピュータールームに20本程度の高速回線が必要だが、財源がない。
*1998年11月、郵政省は予算300億で、全国1,000校に無料でインターネット接続すると発表していた。「ほとんどの学校のパソコンは死んでいるも同然。このままではますますアメリカに引き離される」ための措置。

3、依然として、使い方を指導できる教師が少ない。

4、教師にコンピュータやインターネットで教材作りをする下地がない。

 次回、1月25日につづく

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2007年1月17日 (水)

スーパーアスリートウォッチ

1/1 1km
1/3 2km
1/4 3km
1/5 3km
1/6 2km
1/8 4km
1/10 5km

 走り始めて10日めで、いつもの練習距離である5kmに到達した。ゆっくりジョギングペースで走っていれば「停まりたい」「苦しい」とは思わなかった。
 少し風邪気味のため、風呂上がりに早めのパブロンを飲んで21時には床につく。
 ウォーキングを始めて以来、風邪を引くのは1か月で2度め。
 多い。
 体を鍛えているから、風邪をひかなくなるんじゃないのか?

 これは後日、専門書で謎が解ける。
「運動を始めてすぐは、体が免疫のぎりぎりで頑張っているため、風邪をひきやすい」
 事実、風邪をひいたのはこれが最後。以後、1年間風邪をひいていない。

 トレーニングは、近くの5kmコース。クルマのオドメーターで計測して、1km毎に目印を決めている。
 そろそろ、新しい道具が必要である。

 ラップ計測機能付き腕時計ぃ~(ドラえもんの声で)

 G-SHOCKはたくさん持っているが、ラップを計測できる時計が1つもない。
 制限時間ぎりぎりで走る僕のマラソンにおいて、ラップ計測は必須である。
 ゴールテープを切りながら、時計を止めるのに憧れるというのもある。

 時計はパソコンにデータが転送できる「スーパーアスリートウオッチ SVAR001」

■外部ユニットの定位置に時計を置くだけで、データが読み取れる。
■購入時実勢価格:12,400円(ヨドバシ・ドットコム)
■2002年2月発売 160g
■2005年2月モデルチェンジして発売 48g
■発売元:セイコーエスヤード(1997年頃チタンドライバーでスタートした会社)

 僕はリンクに弱い。
 電子手帳とパソコン、ビデオとパソコン、時計とパソコン・・
 つながると、それだけで魔法の箱に思えてしまう。

 練習を終え、時計をセットしてデータ転送。ドラッグ&ドロップで、手製のトレーニングシート(エクセル)に貼り付ける。
 テキスト(文字列)であるため、集計はできないが、記録が残っていく満足感は大きい。





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2007年1月16日 (火)

見るからにストレスがたまりそうな仕事

■店頭試食販売
 おい爪楊枝で二つ刺すなよ
 黙々喰うなよ
 「美味しい」とか「お母さん買って」とかなんとか言えよ。
 子ども一人で来て食うなよ、食堂じゃないぞ。
 あ、あいつ2回目だ。追っ払うと親が出てきて店にクレーム言われたらかなわんからなぁ・・
 「また後でくるね」って、調子のいいこと言うなよ。
 「大蔵省に相談して」って、ハム1枚がそれほどのことかよ。

■本屋のおやじ
 あいつ一回も買ったことないぞ
 座るなよ
 紐はずすな
 ビニルから出すな
 お菓子持った手で触るな
 カメラで撮るな
 万引きしそうなやつだなぁ、でも注意して逆切れされたら面倒だし・・
 カード使えなくて悪かったね
 図書券はどこの本屋にもあるわけじゃないんだ
 教科書は置いてないよ

 つづかない ^^;)

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2007年1月15日 (月)

あげあし君

 人の揚げ足を取ることが人格の一部になっている人。

 話し始めた時点で「なんか言ってやる」という臨戦体制をとる人。
 人が話していることの大局、本筋を理解しようとせず、枝葉末節で刺さる。

【 たとえ話 】

 佐藤さんの勤める会社では、利益還元の一環として、社会貢献活動を行うことになった。それぞれの部署からメンバーが選ばれてプロジェクトが発令された。
 今日はその第1回ミーティング。

佐藤さん
「わが社の社会貢献について、私の案をお話します。アフリカのある国では、5歳までに100人中、29人の子ども達が死んでいます。一例として、食糧援助として日本からコメを送るのはどうでしょうか」

あげあしくん
「そのデータは古いんじゃないか?使えるデータは100歩譲っても、前年度までだろう。援助はコメじゃなくて、トウモロコシでしょう。現地の食生活を精査した援助をしないと、まったく意味がない。送ると言うけど、ユニセフに頼むのか、日本赤十字なのか、実現の可能性がまったく見えてこないよ」

 このミーティングで話すべきことは、次のようなことだ。

○社会貢献の対象は何か。国内?国外? またはどの団体?
○お金を出す貢献か、社員が自らボランティアを行うか。
○物資援助か、現金か
○物資ならば、テーマは食料、教育、文化??

 あげあしくんの攻撃対象

□方法論の実現可能性
□ことばの定義
□例で挙げた話についての反論

 あげあしくんの特徴

■攻撃的な性格。
■自分では揚げ足くんであることに気づいていない。
■自分は頭が切れる、仕事ができると信じている。
■その割には勉強はしていないので、専門知識が及ばないと、切れてごまかす。
■目の前で交わされている言葉しか、脳が処理できない。

 2006年9月4日の、このブログで書いた「バットくん」をかなり好戦的にした人格が「あげあしくん」である。

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2007年1月14日 (日)

デコの普及

 デコファンクラブ DECOM JAPAN 規約の一部を紹介しよう。

【 第2条 目的 】
2-2 日本におけるデコ選手とFCバルセロナの知名度アップ、情報の普及に努め、デコ選手とFCバルセロナの魅力を広く周知する。

2-3 デコ選手が望む FCバルセロナ・ロッカールームの盛り上がりを支援する。そのために、FCバルセロナ所属の選手、職員、お取引業者様を応援する。

2-5 版元、放送、インターネットメディアに対して、デコ選手の情報紹介をお願いする。

 この条文でおわかり頂けるように、デコファンクラブは「デコの普及」も目的としているのである。
 デコファンクラブには、そこそこの問合せが来るが、この規約を見た後に入会につながる歩留まりは、それほどよくない。

 このような規約を見れば、なんだか面倒くさそうだし、ほとんどの人が引いてしまうのだろう。

 だが、規約を骨抜きなものにしてメンバーの数を集めることには、価値を置かない。
 ミクシィでも、メンバーの数だけは数千を超える様々なファンのコミュニティがあるが、活動はおろか、書き込みもほとんどない。

 クラブ活動を共にできる仲間が入ってくれてこそ、デコを応援する力が強くなるのだ。

 デコの普及について言えば、CWCで日テレが「ロニーと並ぶ二人の天才」として扱ってくれたお陰で、ずいぶんと進んだと言える。

 敗戦後、おめでとうなんて場合じゃないよと言いつつ、質問に笑顔で答え、明石家さんまの女をあてがう発言にも柳に風を決めたデコ。あの切ない笑顔に、しびれた人は少なくないだろう。

 デコの笑顔もよかったが、必死にファスナーを閉めていた、あのいジャンパーに目を奪われた人も、少なくなかったのではないか。

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2007年1月13日 (土)

西武赤田選手と黒岩取締役

 1月5日、西武の赤田選手が四度めの契約交渉の席で「取り乱して申し訳ありませんでした」と球団に謝罪したそうだ。
 この一件で、スポーツ紙の一面を飾った赤田選手に対しては「携帯くらいで切れるな」という批判があったらしい。

 事の発端は、赤田選手と西武球団の契約更改。
 前回の交渉で保留した赤田選手は、この日はハンコを押そうと思っていた。
 その時、球団取締役黒岩さんの携帯から着信音が流れた。

 はい、ここで質問です。
 もし貴方が、赤田選手のように選手会長を務める立場のプロ野球選手だったら、この状況で交渉のテーブルを蹴ったでしょうか?

 世の中は、再チャレンジが利く社会を標榜している。
 だが、現実にはまだまだ、誰もがそのチャンスを得られるわけではない。
 一度の経営破たん、一度の失態で二度と浮かび上がることができない人が多い。
 ただ日本社会では選ばれし者にだけは、その機会が与えられる。

 2000年9月12日深夜、西武の松坂大輔選手が日本テレビ柴田倫世アナウンサーの自宅を訪問したところを写真週刊誌「フライデー」に撮影される。
 それが発端となり、松坂が免許停止中に運転していたこと、松坂が犯した駐車違反を黒岩広報が身代わり出頭していたことが発覚。
 松坂は野球活動停止処分を受けた。
 謹慎で試合には出られなかった松坂だが、病院に行くことはできたので、LASIK手術を受けて視力を矯正した。
 西武球団は当時広報だった黒岩氏を、後に球団要職に就かせている。

 黒岩氏はスピードスケートで冬季五輪に出場したこともある名選手だ。スポーツマンとして、後進のスポーツ選手達の鑑となってきた。

 その黒岩彰 球団代表の着信音が鳴った。赤田選手は交渉の席を蹴った。

 さて、もう一度質問です。
 あなたならば、球団代表の携帯着信音が鳴ったことに腹を立て、交渉のテーブルを蹴ったでしょうか。

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2007年1月12日 (金)

エアロスミスの歴史

 【 AEROSMITH 】 アメリカのハードロックバンド。
 1970年代、QUEEN、KISS、ベイシティローラーズと同時期に登場した。
 その4グループ中、もっとも男性・自称玄人筋の評価を受けた。

「ベイシティとかクィーンは女、こどもの聴くもんばい。男はエアロば聴かんば」
という会話が学校で交わされていた記憶がある。

 離合集散を繰り返したが、現在も活動している1970年代唯一の生き残りバンド。
 1976年「Rocks」、1977年「Draw the line」、1979年「NIGHT IN THE RUTS」と続いた3枚のオリジナル・アルバムが3大傑作。

【 エアロスミスの歴史 】
1973年
デビューアルバム「AEROSMITH」邦題「野獣生誕エアロスミスⅠ」
「Dream on」が入っている。

1974年
セカンドアルバム「GET YOUR WINGS」邦題「飛べ!エアロスミス」

1975年
3枚目「TOYS IN THE ATTIC」邦題「闇夜のヘビィロック」
「WALK THIS WAY」が入っている。

1976年
4枚目「ROCKS」
オリジナル作品では最高傑作。

1977年
5枚目「DRAW THE LINE」
傑作ではあるが「ROCKS」よりは落ちる。

1978年
初のライブアルバム「LIVE! BOOTLEG」
BOOTLEGは海賊版という意味。

1979年
オリジナル第6作「NIGHT IN THE RUTS」
「ROCKS」に次ぐ傑作。なぜかレンタルCD店や図書館には置いていない。

1980年
初のベストアルバム「GREATEST HITS」

1982年
オリジナル第7作「ROCK IN A HARD PLACE」

1985年
スティーブン・タイラーのドラッグ問題をクリアしての再結成と位置づけられているオリジナル第8作「DONE WITH MIRRORS」

1986年
ライブアルバム「CLASSICS LIVE!」

1987年
ライブアルバム「CLASSICS LIVE! II」

1987年
オリジナル作品「PERMANENT VACATION」

1988年
デビューから「ROCK IN A HARD PLACE」までで選曲したベスト「GEMS」~アルバム未収録「CHIP AWAY THE STONE」が入っている。

1989年
オリジナル作品「PUMP」

1991年
3枚組ベストアルバム「PANDORA'S BOX」

1993年
オリジナル作品「GET A GRIP」

1994年
ベストアルバム「PANDORA'S TOYS」
「PERMANENT VACATION」「PUMP」「GET A GRIP」3枚のオリジナル作から選曲したベストアルバム「BIG ONES」~アルバム未収録「WALK ON WATER」で始まる。

1997年
オリジナル作品「NINE LIVES」CDエクストラ仕様で映像、ゲーム付き。
ベストアルバム「GREATEST HITS 1973 - 1988」

1998年
企画アルバム「NINE LIVES + BOX OF FIRE BONUS DISC」
「A LITTLE SOUTH OF SANITY」
6月、映画「アルマゲドン」オリジナルサウンドトラック「ARMAGEDDON THE ALBUM」(全14曲)に主題歌「I DON'T WANT TO MISS A THING」を含めて4曲を提供。

2001年
3月、4年ぶりのオリジナル作品「Just Push Play」
 ジョー・ペリーの自宅スタジオで録音された作品は「相変わらずのエアロ・ロック」には違いないが曲の質は全盛時にはほど遠かった。

2004年
 3月、ブルースの有名な曲のカバー+オリジナル1曲のアルバム
オリジナルは8曲めの「The Grind」
「ホンキン・オン・ボーボゥ」
2004年にコカコーラCMソングに使われた「JADED」(2001年の Just Push Playに入っていた曲)を再度収録している。

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2007年1月11日 (木)

北川正恭氏

 【 きたがわ まさやす 】 早稲田大学教授
 マニフェストということばを普及させた先駆者。民主党がそれを取り入れた。
 2004年に三重県知事を退任。現在は政治学者の立場から、マニフェストを前提とした民主主義の実現をめざす。

【 北川氏の略歴 】
1944
三重県生まれ。

1967年
早稲田大学第一商学部卒。
大日本印刷入社。

1972年
三重県議初当選。

1983年
衆議院議員初当選。

1990年
文部政務次官

1995年
三重県知事初当選。
県知事時代の改革内容は「行政を変える」村尾信尚 講談社 2004年8月~に詳しい。

2003年
2期を終え三重県知事を辞す。
早稲田大学大学院公共経営研究科教授就任。
 8月14日、三重県多度町の三重ごみ固形燃料RDF(Refuse Derived Fuel)発電所でタンクが爆発。消火に当たっていた消防士2人が亡くなる。

2004年
 1月27日、三重県知事在任中に手がけた「三重ごみ固形燃料発電所」爆発事故の件で三重県議会に参考人招致。

 三重県知事当時、他項目に渡る県庁改革を進め、知事としては浅野史郎氏(2006年に宮城県知事を退任)に次いで一目置かれた。

「父から子へ伝えるもの」KKベストセラーズ 2002年
 の中で「学校五日制を最初に仕掛けたのは私だった」と本人が語っている。
 ゆとり教育は日本を衰退させるだろう。その責任についても検証されることを待ちたい。

 田中康夫は長野県知事当時の著書「脱ダメ日本宣言」でこう書いている。
(以下引用)
 田原さんの「サンデープロジェクト」に出るときも、1人で荷物を持っていく。日曜日なのにカバン持ちの職員を3人も出勤させちゃう三重県のような財政的余裕はないから。東京駅で驚かれるの。知事が両手に荷物下げて1人で歩いてるって(笑)。

1月18日につづく



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2007年1月10日 (水)

走るのは苦手という人へ

 子どもの頃から、走ることはバネを効かせて遠くに跳ぶことのくり返しと考えていた。
 長距離走では、できるだけ大股で走った。いわゆるストライド走法。
 足の運びが少ない方が疲れない、効率がよいのだと信じていた。

 それが、瀬古利彦の走りを見て揺らいだ。
 美しいピッチを刻む走法。トラックに入って、あれだけの爆発力を残しているのだ。効率が悪いはずがない。

 ジョギング二日めから、小さく刻むピッチ走法に切り替えた。これはきつくない。初日は1kmがやっとだったが、2kmが苦にならない。余力を残して終えた。

 ランニングフォームとして、専門書から学んだこと

■顔の力を抜く
■あごを上げる。~あごを上げたほうが息が楽になる。
■肩を下げる すなわち、力を抜く。
■肘をしっかり後ろまで引く
 手をぶら下げて前後に振って、肘を曲げたのがよい形。

 あごは「引く」ものだと思っていた。だが、あごを引くと気道が狭まり、息が苦しい。知ってみれば当たり前のことだが、知らないうちはわからない。
 肘をしっかり引くのは、なかなか身に付かない。返って力が入りそうなので、これは気にしないことにした。

 「走る」というスポーツは最も技術が要らない。

 サッカーボールを1,000回リフティング
 深いラフに沈んだボールを100ヤード先のグリーンに運ぶ
 初速140kmのフォークボールを外野に飛ばす

 そんなことと比べれば、技術の厚みが知れている。
 走る技術を知らずとも、誰もが走ることができる。

 ただ、走る技術を知る、知らないは、そのまま、走ることが好き・嫌いにリンクしていることが、マラソンの道に入ってからわかった。

 走る技術を知っていれば、走ることは苦にならない。
 ジョギングをしている人を見て
「なんで、あんなキツイ思いをして走るんだろう。バカじゃないの」
と思う人は多い。
 それは違う。彼らはキツイ思いをしていないのである。

 走るの無理! 苦手! 誰もがそういう。走る人と、走らない人、両者の溝はかなり深い。





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2007年1月 9日 (火)

PHSの歴史

 2007年の今、死語になりつつあるPHSは1995年に、その歴史の幕を開けた。

1995年
7月、NTTパーソナル、DDIポケットサービス開始。
10月、アステルがサービス開始。

1997年
利用者が700万件をこえる。

1998年
12月、NTTパーソナルのPHS事業をNTTドコモが引き継ぐ。
12月1日、PIAFS64Kデータ通信サービス開始。

2000年
 5月、利用者578万件。

2001年
 8月、データ通信つなぎ放題AirH゛始まる。

2002年
11月、570万件。
ドコモ、アステルのデータ通信速度は64Kbpsだが、DDIポケットは128Kbps対応サービスを開始した。

2004年
 5月、DDIポケットがエアエッジホン「京ぽん」を発売。

2005年
 2月、DDIポケットがWILLCOMとなる。
 2月28日、ドコモ、PHS事業からの撤退を発表。この時点のユーザー数は135万。
 4月20日、アステル東京電話が新規受付終了。
 4月30日、ドコモが新規受付終了
 7月、アステル東京電話がユーザーに解約か、ボーダフォン(携帯電話)への乗換の選択を求める案内を発信。
 8月31日、アステル東京電話がPHSサービス終了。

 2007年の今、ウィルコムという名称は何食わぬ顔をして、携帯電話3社と並んでいる。
 PHSという言葉もあまり聞かなくなった。

 もうPHSと言わなくていいのだろうか。
 堂々と「僕の携帯はね・・」と言ってもいいのだろうか。
 070・・と言った途端「それピッチじゃん」というツッコミはもうないのだろうか。

 まだまだ、小心なPHSユーザーは疑心暗鬼なのである。

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2007年1月 8日 (月)

お膳くん

同じ側にいたのに、攻撃に回る人がいる。

一緒に会議にいた。
この会議のクライアントは総務部である。

何も決まらなかった。
「それでは、一週間以内に、管理者を決めましょう。僕がとりまとめます」
それだけが決まった。

翌日、参加者で最上席、総務部の持田さん(仮名)にメールを出す。
「総務部から、管理者を決めてご報告下さい」

 すぐさま、持田さんから返事がくる。
「何をすればよいかが、わかりません。管理者とはどういうことをする人ですか?なぜ、総務部なのですか?」

 僕は言う。
「持田さんも会議に同席していたので、ご承知かと思いますが、会議の席では何も決まっていません。管理者を決めようということだけが決まりました。ゆえに、管理者の定義は現時点では存在しません。
 私が拝察するには、管理者は "全体の管理者" という曖昧な役どころになるかと思います。当案件の主幹は総務部ですから、その役は総務部から出していただくのが妥当と考え、持田さんにお願いしました」

 何もかも、人がやってくれる。
 自分がその場にいるのに、人が全部やってくれると考えている。
 自分は「自分の仕事だけしていたい」
 自分の仕事=自分の殻の中の仕事

 こういう人を、今日「お膳くん」と命名した。

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2007年1月 7日 (日)

デコ情報

 デコファンの皆さん、明けましておめでとうございます。
 今年もデコブログをご贔屓に!

 さて、デコは2007年初戦、リーガ、ヘタフェ戦は累積警告が5枚となっているため出場しない。
 同じく出場停止のロナウジーニョとデコは4日の初練習に参加しなかった。
 デコ不参加の理由はスポーツナビが伝えるニュースによると「家族内のトラブル」ということになっている。去年の別居中に入れた芸者のタトゥーがまだ尾を引いているのか。ただ、一般的な日本のデコファンに、それを知る術はない。

 同時期にスポーツナビが伝えたデコ談話によると、デコが将来はプレミアリーグでやってみたい、バルサとの契約を満了するかどうかはわからないと語ったことになっている。
 昨年10月にはFCポルトに帰りたいと言ったと伝えられた。
 だが、1月5日発売号ワールドサッカーマガジンのデコ連載第4回では、CWCから帰国後のデコ本人が
「ここで引退したい」と語っている。

 スペインと日本という距離がそうさせるのか。
 欧州サッカーを扱うメディアとは、このようなものなのか。
 正しい情報を収集するのは、なかなか難しい。

 デコファンクラブ DECOM JAPANの規約には、次のような条文がある。

【 第3条 期間 】
 デコ選手が現役、指導者、評論活動を含めてサッカーに従事する間を存続期間とする。

 これはデコが監督、評論家、いくつになっても、サッカーに従事する限り、応援するという意味であり、所属クラブを問わない。

 2006年4月20日、デコ選手初の日本ファンクラブ DECOM JAPAN がスタートした。
 その会員規約は、かなりハードルが高いものになっている。

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2007年1月 6日 (土)

松坂のミスリード

 「読書家」の定義とはなんだろうか?と考えさせられることがあった。
 周囲の人に尋ねてほしい。「読書家ってどんな人?」
 恐らく「本が好きな人」「本をよく読む人」という二つがセットになって返ってくるだろう。

 アンパンマンは読書家
 2006年12月22日付け讀賣新聞夕刊

 この見出しをみて「うそだろっ」とツッコンだ。

”レッドソックスに入団が決まった松坂投手”
というキャプション、にっこり笑うレッドソックスの松坂投手

 松坂はこうコメントしている。
「結構学校の図書館に行って、本を読むタイプの子どもでした」

 そして "アンパンマンは読書家" の見出し
 記事には "少年時代のようにふたたび本と接する時間が増えたようだ。"とある。

 この記事を読んだ人の中には、今、松坂は本が好きで、本をよく読む人だと思った人がいるのではないだろうか。

 かつて西武の松坂が、作家の伊集院静、マリナーズのイチローと対談した時の会話がある。

伊集院静「本を読んだりはするのですか?」
松坂「いいえ漫画以外は読みません」
イチロー「伊集院さん、横書きの本ってないんですかね」

たまりませんな」伊集院静 双葉社 2005年12月

 松坂による「本を読むタイプの子どもでした」といった情報開示のことを、イメージのミスリード・トリックと定義した。

 1月13日は「西武赤田選手はなぜ切れたのか?」

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2007年1月 5日 (金)

700MBに入るエアロスミス

 エアロスミスのデビューアルバムから2001年の「JUST PUSH PLAY」までのオリジナルアルバムから最低1曲を入れて選曲した。

DREAM ON AEROSMITH
TRAIN KEPT A ROLLIN GET YOUR WINGS
TOYS IN THE ATTIC TOYS IN THE ATTIC
WALK THIS WAY TOYS IN THE ATTIC
BACK IN THE SADDLE ROCKS
HOME TONIGHT ROCKS
DRAW THE LINE DRAW THE LINE
BRIGHT LIGHT FRIGHT DRAW THE LINE
NO SURPRIZE NIGHT IN THE RUTS
JAILBAIT ROCK IN A HARD PLACE
ANGEL PERMANENT VACATION
LOVE IN AN ELEVATOR PUMP
WHAT IT TAKES PUMP
WALK ON WATER BIG ONES
PINK NINE LIVES
I DON'T WANT TO MISS A THING ARMAGEDDON
JADED JUST PUSH PLAY
AVANT GARDEN JUST PUSH PLAY

 2004年の新作「「ホンキン・オン・ボーボゥ」はこのリストに含んでいない。

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2007年1月 4日 (木)

学校週5日制(週休二日制)

 2002年度よりすべての土曜日が休みとなり学校週5日制が始まった。
 2006年度で5年度が経過する。

 その目的は教諭(=学校の先生)の週休二日の実施、ゆとりある教育の2つ。
 学習指導要領は法律の性格は持つが、法律ではないので、私立校は実施しなかった。そのため、ますます公立と私立の学力格差が広がることを、2000年頃から教育関係者は認識していた。

■導入スケジュール
1992年度2学期~ 第2土曜日が休みになった。
1995年度1学期~ 第4土曜日も休みになった。
2002年度1学期~ 2002年4月13日より土曜日はすべて休みになる。第三土曜日にあたる20日が新制度初の適用日。

 以下は、しらべるが 2003年1月に書いた記事原文である。

◆なぜこどもに「ゆとり」が必要なのか。教諭は土日、日月のように休みを振り分ければ週休二日にすることは可能。そもそも教職にある公務員を民間並に週休二日にする方がおかしい。週休二日移行後、教諭の夏休みを取り上げたが、元通り、夏休みにゆっくり休ませればよい。
 次世代を担う子供達をさらにぬるま湯につける方策は、日本の将来に大きな禍根を残す。2002年の学校五日制実施を認めた当時の文部大臣と、学校五日制を手がけたと自認する北川正恭の責任は計り知れない。

 当時、北川氏は公職(三重県知事)にあったので、敬称をつけていない。
 張本人である北川氏は、学校五日制見直しが提起されている2006年現在、この件について、なにかコミットしているだろうか。

 1月11日につづく



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2007年1月 3日 (水)

元旦に走る

 2006年元旦 初めて走った。

 いつもの散歩コース5km。初めの2kmをいつも通りウォーキングして、2km→3kmの区間を走ることにした。

 勢いよく地面を蹴る・・
 メガネが揺れる。
 頬が揺れる。
 瀬古利彦は初マラソンの時、100回くらい途中でやめようと思ったと後に語っているが、僕は100mでやめたくなった。

 これは翌日には解決する。
 フォームが悪かったのだ。
 この時、僕は跳んでいた。

 マラソン本を読んで学んだことは、以下の通り。

■まっすぐ立つ→前に体を倒していく→どちらかの足が前に出てしまう~そのくり返しで走る。
■上下に跳ばない。膝の高さを上げない。すり足で走る。

■かかと着地にこだわらない。
■「踵で着地、つま先でキック」ではなく「前足で着地、親指付け根でキック」 *マラソン競技者の多くは足踏まずあたりで着地、そのまま地面を押す走法をとっている。

■上り坂も同じピッチ、歩幅半分の意識
■下り坂も同じピッチ、歩幅2倍の意識

■息を吐くことを意識する
■「すっすっ はー はー」と2回ずつ、吸って吐くことに拘らなくてよい(自分が楽な呼吸法をとる)

 こうして、初めて1kmを走ったのが元旦。
 この時はまだ、3月の荒川市民マラソンのエントリーを42kmにするか、5kmにするかは決めていなかった。

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2007年1月 2日 (火)

日本の道路交通の歴史

できごと
1961 東京都の主要交差点右折禁止になる
1968 スクランブル交差点登場
1969 反則点数制度実施(持ち点15)
1976 運輸省が自動車メーカーに対して、燃料消費データ公開を指導。カタログに燃費が掲載され始める。
1997 ハイブリッドカー市販開始
もみじマーク義務化
1998 軽自動車高速道路制限時速 80→100km/h
希望ナンバー取得制度開始
1999 高速SA民営化
運転中 携帯電話 カーナビ操作禁止
2000 チャイルドシート義務化
キャンピングカー課税引き上げ
2001 日産レーンキープサポートシステム搭載車発売
ETCサービス開始
2002 道交法改正 危険運転致死傷できる。飲酒運転厳罰化
東京都でディーゼル車規制始まる
2003 トラック 90km/h 制限装置取付義務化
2006 放置違反金制度スタート

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2007年1月 1日 (月)

TRUENOが最初の友達

 初めて手に入れたクルマはトレノと言った。
 トヨタスプリンタートレノの1983年型。
 トヨタでは、カローラにツインカムエンジンを載せるとレビン、スプリンターに載せるとトレノと呼んでいた。

 このクルマが型式のAE86にちなんで「ハチロク」と呼ばれるようになったのは1990年代に入ってからである。発売当時、そう呼ぶ人はいなかった。

 GT APEX 白・黒ツートーンに9年乗った。
 流線型のスタイリング、リトラクタブルヘッドランプ、デジタルメーター・・スポーツカーに憧れて育った者にはたまらないポイントが揃っていた。

 出会いは友達が持っていたトレノの助手席に乗った時。
 当時、ナナハンキラーの愛称でおなじみ、RZ350という俊足のバイクに乗っていた僕は、クルマの加速に驚いたことはなかったが、いきなり友達が加速した時には、心臓が飛び出るかと思った。

 その1年後、MR2にも未練があったが、やはり4人乗れるのでトレノを選択。180万円だった。
 確かその頃、運輸省がスポイラーを認可して、スポーツパッケージ(フロント・サイド・リア)が設定されていたのでつけた。

 夜になると、メータークラスタ組み込みのスイッチで、ライトを出すのが楽しかった。
 ウィンカーバーを引いてパッシングすると、リトラクタブル・ランプが開きざまに光って、すぐ閉まるのがいかしている。
 スイッチ周りのロータリー式のつまみでメーターのイルミネーション照度が変えられるのもよい。
 ワイパー系の操作もクラスタ組み込みのため、ふつうのクルマにはハンドル左側にあるバーがない。

 車重940キロというのは、今思えば軽い。
 2006年現在、2シーターのMR-Sでさえ1000キロある。なぜ20年も前のクルマの方が軽いのかが不思議である。

 あわや追突という場面でも、気がついたら間一髪止まっている・・実によく走り、よく止まるクルマだった。

 故障もほとんどなし。
 晩年マフラーが劣化したこと、リアハッチの裏がさびたことくらい。
 水温はデジタル表示され、いつも中央のコマでぴたりと止まっていた。冷却水が漏れて、半分から上にいったことがあったがそれも一度きり。

 9年車検を通した1か月後、突然GTOを買うことになったため、売ることになったが、全然飽きの来ない、最後の日まで新鮮なクルマだった。
 自動車販売会社の知人は「久しぶりに、こんな状態のいい86を見た」と言ってくれた。オークション出品を頼み、2度目の出品で27万円で売れ、手許には24万円が入った。直前の車検で21万円がかかっていたので、残ったのは3万円だった。

 1990年代終わり頃から「頭文字D」にトレノが出てくるらしく、右ドアに「藤原とうふ店(自家用)」と書いたトレノグッズが出回るようになった。
 その人気のお陰で、Mテックから43分の1トレノのミニカーが発売されたので買った。
 乗っている頃はグッズもプラモも何も持たなかったが、後にこうして色々と出るのは嬉しい。
 手放した8年後、ヤフオクで当時のカタログを1000円で手に入れた。
 この文章に書いた「メータークラスタ」という言葉はそこから拾った。右開きのカタログというのが、今となってはおもしろい。

 あけましておめでとうございます。今年も「しらべるが行く」を よろしくお願い申し上げます。

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