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2007年1月11日 (木)

北川正恭氏

 【 きたがわ まさやす 】 早稲田大学教授
 マニフェストということばを普及させた先駆者。民主党がそれを取り入れた。
 2004年に三重県知事を退任。現在は政治学者の立場から、マニフェストを前提とした民主主義の実現をめざす。

【 北川氏の略歴 】
1944
三重県生まれ。

1967年
早稲田大学第一商学部卒。
大日本印刷入社。

1972年
三重県議初当選。

1983年
衆議院議員初当選。

1990年
文部政務次官

1995年
三重県知事初当選。
県知事時代の改革内容は「行政を変える」村尾信尚 講談社 2004年8月~に詳しい。

2003年
2期を終え三重県知事を辞す。
早稲田大学大学院公共経営研究科教授就任。
 8月14日、三重県多度町の三重ごみ固形燃料RDF(Refuse Derived Fuel)発電所でタンクが爆発。消火に当たっていた消防士2人が亡くなる。

2004年
 1月27日、三重県知事在任中に手がけた「三重ごみ固形燃料発電所」爆発事故の件で三重県議会に参考人招致。

 三重県知事当時、他項目に渡る県庁改革を進め、知事としては浅野史郎氏(2006年に宮城県知事を退任)に次いで一目置かれた。

「父から子へ伝えるもの」KKベストセラーズ 2002年
 の中で「学校五日制を最初に仕掛けたのは私だった」と本人が語っている。
 ゆとり教育は日本を衰退させるだろう。その責任についても検証されることを待ちたい。

 田中康夫は長野県知事当時の著書「脱ダメ日本宣言」でこう書いている。
(以下引用)
 田原さんの「サンデープロジェクト」に出るときも、1人で荷物を持っていく。日曜日なのにカバン持ちの職員を3人も出勤させちゃう三重県のような財政的余裕はないから。東京駅で驚かれるの。知事が両手に荷物下げて1人で歩いてるって(笑)。

1月18日につづく



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