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2007年1月 1日 (月)

TRUENOが最初の友達

 初めて手に入れたクルマはトレノと言った。
 トヨタスプリンタートレノの1983年型。
 トヨタでは、カローラにツインカムエンジンを載せるとレビン、スプリンターに載せるとトレノと呼んでいた。

 このクルマが型式のAE86にちなんで「ハチロク」と呼ばれるようになったのは1990年代に入ってからである。発売当時、そう呼ぶ人はいなかった。

 GT APEX 白・黒ツートーンに9年乗った。
 流線型のスタイリング、リトラクタブルヘッドランプ、デジタルメーター・・スポーツカーに憧れて育った者にはたまらないポイントが揃っていた。

 出会いは友達が持っていたトレノの助手席に乗った時。
 当時、ナナハンキラーの愛称でおなじみ、RZ350という俊足のバイクに乗っていた僕は、クルマの加速に驚いたことはなかったが、いきなり友達が加速した時には、心臓が飛び出るかと思った。

 その1年後、MR2にも未練があったが、やはり4人乗れるのでトレノを選択。180万円だった。
 確かその頃、運輸省がスポイラーを認可して、スポーツパッケージ(フロント・サイド・リア)が設定されていたのでつけた。

 夜になると、メータークラスタ組み込みのスイッチで、ライトを出すのが楽しかった。
 ウィンカーバーを引いてパッシングすると、リトラクタブル・ランプが開きざまに光って、すぐ閉まるのがいかしている。
 スイッチ周りのロータリー式のつまみでメーターのイルミネーション照度が変えられるのもよい。
 ワイパー系の操作もクラスタ組み込みのため、ふつうのクルマにはハンドル左側にあるバーがない。

 車重940キロというのは、今思えば軽い。
 2006年現在、2シーターのMR-Sでさえ1000キロある。なぜ20年も前のクルマの方が軽いのかが不思議である。

 あわや追突という場面でも、気がついたら間一髪止まっている・・実によく走り、よく止まるクルマだった。

 故障もほとんどなし。
 晩年マフラーが劣化したこと、リアハッチの裏がさびたことくらい。
 水温はデジタル表示され、いつも中央のコマでぴたりと止まっていた。冷却水が漏れて、半分から上にいったことがあったがそれも一度きり。

 9年車検を通した1か月後、突然GTOを買うことになったため、売ることになったが、全然飽きの来ない、最後の日まで新鮮なクルマだった。
 自動車販売会社の知人は「久しぶりに、こんな状態のいい86を見た」と言ってくれた。オークション出品を頼み、2度目の出品で27万円で売れ、手許には24万円が入った。直前の車検で21万円がかかっていたので、残ったのは3万円だった。

 1990年代終わり頃から「頭文字D」にトレノが出てくるらしく、右ドアに「藤原とうふ店(自家用)」と書いたトレノグッズが出回るようになった。
 その人気のお陰で、Mテックから43分の1トレノのミニカーが発売されたので買った。
 乗っている頃はグッズもプラモも何も持たなかったが、後にこうして色々と出るのは嬉しい。
 手放した8年後、ヤフオクで当時のカタログを1000円で手に入れた。
 この文章に書いた「メータークラスタ」という言葉はそこから拾った。右開きのカタログというのが、今となってはおもしろい。

 あけましておめでとうございます。今年も「しらべるが行く」を よろしくお願い申し上げます。

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