分岐点
私たちは自分だけの力で生きているのではない。人に生かされているのだという考え方がある。
他人様のお陰で生きているのだから、いつもお陰様と思う。
頼まれたことは人を喜ばせる、はたを楽にするために嫌な顔をせずに引き受ける。
これは自分の仕事じゃない、なぜ自分がやらなければならないのかと悶々とする人生は苦しい。
そう考えれば、とりあえずやる羽目になったことは、四の五の言わずにやってみるという姿勢をとることになる。
だが、それでいいのだろうかと考える。
自分は楽になり、他人様を楽にした。それで万事うまくいったと言えるのだろうか。
自分に楽にされた他人様たちの中には、他人が自分の領分までやってくれるのだから、自分は努力を削っていいと考える人がいるだろう。
人々の善行の総和が世の中を浄化していくならば、そのような横着は世の中のプラスにはならないだろう。
一つの教えは、その行き着く先にまた新たな分岐点へとつながっている。
心が弱くなっている時、ありがたい教えにただ盲目に従うことがある。
日本には「だまされたと思ってやってみる」という言葉があるように、従うことは悪いことではない。
ただ、教えの先の分岐点が見つかるよう、考えることが大切なのだと肝に銘じている。
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