走らなくても、できること
「走らなかったのか?」
会社に出ると、ヨットマンの野太い声がかかった。
「ずっとゴール手前で待っていたんだけど、来ないからさ。完走賞の引換所の前でずっと待ってたんだよ。お土産いっぱい持ってな」
その場所は盲点だった。
江ノ島でお土産といえば、沿道で焼いていたハマグリやイカだったのだろうか。魚介類アレルギーの僕は少しだけほっとした。
来年は雪辱しますよと言うと
「そうか、来年は3月16日だろ。また応援行くからな」
地元でヨットレースの役員を務める彼の元には、もう来年の暫定カレンダーの情報がもたらされていたようだ。
2006年「荒川」は4か月の準備で完走を手に入れた。
そのお陰で2007年5月にはナイキの「I'm not a virgin」のTシャツをもらうこともできた。
武蔵野線も止まっていた風速25mの逆風に20km立ち向かった。
それはそれで誇らしかったが、27km走って15km歩いたことは、それほど優れた実績ではない。
2007年「湘南」までの1年間は「ステップ運動」を続けたとはいえ、走り込みは去年の半分以下だった。
それでも完走のゴールを切れば、大きな自信を得たはずだ。
ただ、それと共に大きな慢心も宿っただろう。
第一関門、第二関門で止められた人のことを僕が想像できないように、第三関門で止められていなければ、リタイアした人の気持ちを想像することはなかった。
湘南をDNFに終わり数日経つと、すぐ2008年大会に向けた練習計画を組んだ。
人生はマラソンだけではない。
人はマラソンだけで生きているのではない。
また、さまざまなことに取り組み、そしてまたマラソンに続く道をにらんでいこう。
去年はマラソン前に落とした体重を、しっかり食べて元通りにしたが、今年は数ヶ月経った今、湘南をリタイアした時の体重を維持している。
5km痩せればそれだけで、20分はタイムが縮められる。
できることは一つだけではない。
今できることがある。
毎週水曜日の「しらべるが走る」連載はこれでひとまず終了します。
また来年、春レースの頃に書き始めます。
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