遅れる時間の意味
穏やかな暖色の照明に包まれたホールは、収穫祭を迎えた秋の農家のようにのどかな空気を漂わせている。
座席は前から7列め、多少右側の通路に面した2つの席。これならば、トイレに行く時に便利だなと考えた。後輩を左手に座らせ、スポンサーの僕がトイレに近い席に陣取る。
今ならば、ファンクラブ枠で取ってもなかなか取れない、ステージを間近に感じる7列めだが、今記憶の中にあるステージ上の元春はずいぶん遠いところにいた気がする。位置は中央から少し右寄りだが、記憶の中の映像は、客席の右端から元春を捕らえている。26年の時間を経て、記憶が再合成されたせいだろうか。
学芸会で見たそれのように、開演前は緞帳が下りているものと思っていたが、席につくとそこからはドラムセットやスタンドに立てかけられたギターが見え、アンプにはパイロットランプが灯り「しー」というヒスノイズを漏らしている。
無数のランプがとてもキレイだ。今はJIS規格で稼働している電気製品のランプの色は緑に統一されているが、記憶に眠る映像の、この時のランプは赤だった。
時計の針は6時25分を指している。
さっきまでは、隣の後輩と喋っていたが、次第に口数が減る。
いよいよ開演の6時半
・・・始まらない
父からもらったオメガの腕時計を見る。
おかしい。
元春は来ていないのだろうか。
体調を壊したか、何かトラブルでもあったのか?
数時間後にわかるのだが、体調を壊したか?という心配はある意味、当たっていた。
コンサートが開演時間に始まらないものなのだということは、後に経験を積むに連れてわかった。
映画も演劇もスポーツの試合も、興業というものは常に決められた時間に始まる。週末のサッカーの試合が土曜日なのか、日曜日開催なのかがその週に入らないとわからないスペインでさえ、いったん開催日が決まれば、試合は定時に始まる。
だが、コンサートは違う。
この"間"にはいったいどんな意味があるのだろうか。
聴衆をじらすことで、期待感を煽るのか。
ミュージシャンは時間通りに始めるような人種じゃないのさ、ベイビーと言いたいのか。
まさか、30分は遅れるものだという「博多時間」を地でいったわけではないだろう。
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