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2007年9月の30件の記事

2007年9月30日 (日)

律儀な日本人?デコ

2007年3月1日
「ワールドサッカーマガジン2007年3月15日号」
 デコの辛口ランサメント(第6回)
 恩を感じている3人の監督について語る。そして最後は自身の現役引退後について触れている。
 デコのニックネームの一つ、スペイン語で「ハポネス(日本人)」は、彼のルックスが日本人に似ているという意味だが、かつての恩を忘れない律儀な姿勢は、日本人を思わせる。

2007年4月4日
「フットボリスタ4月4日号」
記事名:デコの率直な言葉に耳を傾けろ!
内容:スポーツ紙「ムンド・デポルティーボ」に掲載されたデコ記事をまとめている。

2007年4月5日
「ワールドサッカーキング2007年4月19日号」
 久しぶりのデコ単独インタビュー
 CL2006-07で敗退した時の気持ちや、今後のリーガ2006-07について語っている。
 CWCではロナウジーニョに次いで露出度が高かったデコだが、年が明けるとさっぱり。
 単独インタビュー記事もこの一度きりにとどまった。

2007年4月5日
「ワールドサッカーマガジン2007年4月19日号」
 デコの辛口ランサメント(第7回)
 メディアの変わり身の速さに皮肉を並べている。

 2007年4月23日はサンジョルディ
 この日、デコ2冊めの自伝「CAMPEON DECO」」が発売された。
 前回同様、この自伝も日本国内では発売されていないし、当然日本語訳版もない。
 前回は洋書店に個別注文をして手に入れたが、今回は日本の洋書輸入サイトのメニューに入っていた。ただ送料がとても高く、ファンは二の足を踏んだ。

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2007年9月29日 (土)

そうだ アイス やめよ

 一週間ほど前のある日、アイスをやめることにした。

 去年秋、スナック菓子をやめた後も、時々アイスは食べていた。
 「スナック菓子を食べると顔が貧粗になる」という意見を知ったのが、スナック菓子をやめた理由だった。だが、
 「アイスも顔が貧粗になる」とは誰も言わないからだ。

 しかし、月刊誌「栄養と料理」のような健康雑誌で、カロリー表を見ていると、アイスはスナック菓子に負けず劣らずの高カロリー食品であることがわかる。まぁそれ以前に、商品に書いてある表示を見ればよいことだが。

 子どもの頃、冬はアイスは売っていなかった。
 近くの西村商店(実名)に行くと、秋に入ったとたん、アイスクリームのボックスには鍵がかけられ、シートが被されたうえ、納屋に仕舞われてしまった。
 それを見て、あぁ今年もアイスの季節が終ってしまった。次に会えるのはまた一年後なんだな、さようならアイスさん。素敵な思い出をありがとう。
 と思ったものだ(半分、今つくった)

 ところが、いつの頃からかアイスは年中売る商品になった。
 クリスマスケーキにアイス・ケーキが登場した時は、アイス業界もそこまでやるのかと思ったものだ。
 年中売っているから年中食べる。
 暖房が行き届いた日本では、アイスなんて寒くて食べられないという人も少ない。
 週末には「がんばった自分への誤報日」じゃなくて、ご褒美と一人ごちて、コンビニで清水の舞台から飛び降りながら、ハーゲンダッツに手を伸ばす人も少なくない。

 9月30日(日)でアイスをやめよう。
 3月15日まで ・・

 春夏はやっぱり食べたい。
 3月16日は湘南国際マラソンだし。その日に解禁しよう。

 さぁ食べ納めウィークの始まりだ。

(10月6日につづく)

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2007年9月28日 (金)

じゃがぽっくり

 今年の夏真っ只中の頃、北海道から上京した佐藤さん(仮名)がお土産を買ってきてくれた。

 「今、これとっても人気なんですよ」
 商品名はじゃがポックルと書いてある。
 お菓子には目がないので、喜んで受け取った。
 だが、後で思えばこのリアクションは、佐藤さんにとってみれば、拍子抜けの薄いものだったかも知れない。

 食べてみるとしっかり芋の味がするフライドポテト。
 お菓子メーカーが作る同様のお菓子は芋に何かを混ぜて揚げているのだろう。
 それに比べて「じゃがポックル」は芋を包丁で切って揚げたような素朴さがある。
 二日ほど経つと、10パックが全部なくなっていた。

 その2ヵ月後、北海道に行ってきたという高田さん(仮名)からじゃがぽっくりの話を聞いた。
 もちろん、じゃがポックルの言い間違いだ。
 高田さんは言う。
 「この商品は空港、主要駅でしか売っていないんだ。買おうと思って行ったら品切れだった。お店の人が明日の10時に入るよと教えてくれたから、行ってみたら行列ができていた。早い人は1時間も前から並んでいたらしい」
 かつて、香港の免税店で痩せる?ローション「スヴェルト」に並んだ僕は、芋を買うために1時間待つ人に親近感を覚える。

 結局、たくさん買うことはできず、一人2本ずつくらいを、仲良く分け合って食べたそうだ。

 じゃがポックルはカルビーが作っている。
 カルビーの北海道限定ブランド「ポテトファーム」が、北海道産のじゃがいもとオホーツクの塩で作っている。
 美味しさの秘密は「SUCCT製法」にあるとパンフレットに書いてあるが、SUCCT製法についての説明はない。恐らく「さくっと製法」の語呂合わせなのだろう。SUCCTにどのような単語をこじつけているのかは不明だ。

 「じゃがポックル」という名前は、アイヌ民族に伝わる伝説のコビト「コロ・ポックル」に因んでいる。

 商品パンフレットより
(以下引用)
 コロ・ポックルとは、アイヌ語で蕗の下の人”を意味し、アイヌ伝説に出てくるコビトです。
恥ずかしがり屋で
人前に姿を見せることはないのですが、
夜中にこっそり食べ物を置いていくような優しい心を持ち、
幸せをもたらしてくれる神様として伝えられています。
(引用おわり)

 セブンイレブンでも売っているジャガビーとじゃがポックルはどう違うのか?疑問が沸いたので、ジャガビーを食べてみた。
 ジャガビー(うす塩味)はうす塩の分、塩が薄い。芋の風味もジャガビーの方が薄い。
 ジャガビーはわずか40gで145円もするので、日ごろは買う気になれなかった。
 だが、並ばずに近所のコンビニで買えるじゃがポックルだと考えれば、値段が高いジャガビーに価値を感じるようになった。

 かっぱえびせんで育った世代にとって、カルビーは常に好意的に相対してきた会社。
 カルビーはブランドを築くのがうまい会社だ。


カルビーピザポテト

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2007年9月27日 (木)

ロッキングチェアでカレーば

1981年7月からおよそ7年間、福岡市早良区藤崎にロッキングチェアという喫茶店があった。

元寇防塁跡、西南学院大学、修猷館高校がある西新の町。
そのリヤカー通りを西に藤崎に向かって進み、サニー高取店を通り過ぎた先を曲がった路地に、その店はあった。

天神の有名飲食店で修業したというマスターが開いた。
厨房前、ヨコ一列のカウンターにはロッキングチェアが並び、その後方にテーブル席が2つ。
ほとんどの客はカウンターに争うように陣取り、マスターとの会話とコーヒーを楽しむ。

メニューは珈琲中心。食べ物の目玉はホットサンドでスタート。
後に
カレーが加わり人気の定番メニューとなった。マスターの創作メニュー「ピザクレープ」は今でも食べたい逸品。いまだどこの店でもこの品は見かけたことがない。

壁面には11枚綴り3,000円の珈琲チケットを立てるボックスがあり、いつもほぼ満杯。
客層はボーイズ&ガールズからお年寄りまで幅広く、世代を越えた客同士のタテのつながりがあった。
仕送り前でコーヒー一杯で何時間も粘る学生(自分)がいれば、年配の大将が「にいちゃんにカレーばやって」とおごってくれた。

自然発生的に、そこで生まれたグループで野球チームを作り、キャンプに行き、バイクで三瀬峠を攻めた。

1988年に閉店。
マスターはその後、春日市紅葉が丘でパスタとお酒も出す店「アベニュー」を開いている。
もうロッキングチェアはないが、厨房のカウンターは昔ながらのスタイル。

もし、この店が東京にあれば、毎日でも通うだろう。
そして、苦学生を見かけたら
「マスター、彼にカレーを」
いや、やっぱり感じが出ない。

「彼にカレーば」

別にギャグにこだわっているのではない。

3年後のブログ→アベニューでカレーば。 

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2007年9月26日 (水)

加藤眞由儒さんからの返信

 加藤眞由儒さんから、御礼のメッセージをいただいた。
 今年もファンサイトでお誕生日メッセージを募集したところ、北は栃木から南は福岡まで、全国からたくさんのお祝いの言葉が届いた。
 加藤眞由儒さんのメッセージは次のとおり。

たくさんの心温まるメッセージを頂き大変感激しております。
世界情勢が益々緊迫の度合いを増し、国内でも政治でさえ安心して身を委ねることのできない混沌とした生活環境に私たちは日々晒されいます。

そんな危なげな日常の中、こうして無事に45回目の誕生日を迎えることができたのも、私を支援して下さる皆様のおかげと心から感謝致しております。

私は今後も微力ながら世界平和のために警鐘を鳴らし続けて参ります。
どうか皆様も今のままの温かい心を持ち続けて私と共に平和を祈って頂けますよう願ってやみません。

加藤 眞由儒

 45歳を迎えた加藤眞由儒さん。
 見た目は、年を追うごとに若くなっている。
 日頃から気をつけている水やサプリメントの効能。
 そして、いつも笑顔を忘れない大きな心が、加齢を寄せ付けないのだろう。

 人は怨み、ねたみ、諍いを起こすことで、辛気くさい顔になり老いていく。
 野に咲く花のように、穏やかな心で生きていきたいと思う。



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2007年9月25日 (火)

9月25日はルーツ記念日

 9月25日はルーツ記念日。

9月のこの日何の日?

 Rootsは当初ブラッド・ピットが宣伝していたJT(日本たばこ)の缶コーヒー。
 2000年9月25日に発売された。

 ほどよい苦みがある。2000年当時は、まだまだ "甘いだけの缶コーヒー" が多いなか、美味い方と言えた。
 当初、発売されたのはリアルブレンドとクリアビター(共に¥120)
 クリアビターが甘くなく。プレミアムは甘い。

 ルーツといえば、他の缶コーヒーにない特徴がある。
 あの缶の"くびれ"だ。
 ルーツは、缶にコーヒーを入れてから高温短時間殺菌するHTST(高温短時間)という製法。
 缶のまま加熱殺菌する時に「熱が通りやすい形」というのがメーカーが言う理由。

 発売当初の広告では「デザインだけの理由ではない。うまさを引き出すための意味ある形なのだ」となっていたが、どうせこじつけだろうと思っていた。
 だが、短命で消えて行くブランドが多いなか、7周年を迎えた今もしっかりとコンビニでも棚を確保している。
 その実績を思えば、あの広告も本当だったのだと思えてくる。


コーヒーとコーヒー飲料

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2007年9月24日 (月)

アルジャジーラは中立なメディア

 Al-Jazeera
 自由な立場で、アラブ視点のニュースを報道するメディア。 主力は衛星テレビ放送
 本社:カタールのドーハ

1996年11月1日、放送開始
1998年12月22日、米英の戦闘機がバグダッドを爆撃した映像を報道。これが欧米放送局を通じて世界に配信され、一躍その名が知られる。
2001年10月、同時多発テロの1か月後、オサマ・ビンラディンのメッセージ・ビデオを放送。
2006年9月、世界5拠点で英語放送を開始。

 カタールの首長シェイフ・ハマドの支援で設立され、運営されている事実上の国営チャンネル。だからといって政府の肩を持つわけではない。
 イスラム側の声明を独占で報じることから、偏りがあるようなイメージがあるが、公共性、中立性を維持していて、報道の基本に忠実という点では珍しいメディア。

 その報道手法はネット、モバイル、こどもチャンネルと多岐に広がりつつある。
 アラブのメディアとして出発したが、世界横断的なメディアへの成長を目論んでいる。

 反与党、民主党寄りが使命だと勘違いしているメディアばかりの日本に、一つ欲しい。


*参考文献「アルジャジーラとメディアの壁」石田英敬ほか 岩波書店 2006年9月

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2007年9月23日 (日)

デコと英語圏

 CWCでの来日直前、2006年12月7日は
「ワールドサッカーマガジン2006年12月21日号」の発売日。
 デコの辛口ランサメントは第3回。
 デコはFIFAクラブワールドカップ2006への意気込みを語る。そして、日ごろの対戦相手の中から絶対勝ちたいチーム2つとして意外なチーム名を挙げている。

 2006年12月7日発売「ワールドサッカーキング2006年12月21日号」には、デコ単独インタビューが載った。
 デコは日本の印象について訊かれて、いつも「東京が大好きだ」とみんなに言っていると答え、日本で何か買いたいものがあるの?という問いに「電気製品だね。何か新製品があったら、ぜひ買いに行きたい」と答えている。
 後に一部ファンが問題視していた、決勝二日前の秋葉原ショッピングでは、新しい発見があっただろうか?

 年が明けて2007年1月4日「ワールドサッカーマガジン2007年1月18日号」はデコの辛口ランサメント第4回。
 この頃、Webニュースではプレミアリーグ移籍希望を口にしたと伝えられていたが、本誌では「ここで引退したい」と本人が語っている。
 本人の署名記事で本人が語る。これが一番堅い。
 かつて、中田英寿が始めたのがこのスタイルだった。

 2007年2月1日「ワールドサッカーマガジン2007年2月15日号」
 デコの辛口ランサメント(第5回)
 プレミア・リーグに惹かれる気持ち、ポルトガルの注目選手3人について語っている。
 辛口というよりは、包み隠す部分のない、誤解を恐れぬ本音のことばが並ぶ。

 サッカー選手は所属するクラブチームの国語を話す。
 クラブチームの一員として行動する時は、その国の言葉で話すという習慣が根付いている。
 かつて中田英寿がイタリア語を流暢に話すのを、日本人は驚嘆のまなざしで見ていたが、サッカー界ではあれが当たり前。頑として母国語しか話さない野球選手を見慣れているので、奇異に映ったのである。

 日本人にとってスペイン語を話すのは至難の業だが、義務教育で習ってきた英語ならば、少しはなんとかなる。デコファンとしては、デコが英語圏に移籍して、英語で会話できるようになれば、随分助かる。デコがもし移籍することがあるならば、そこはプレミアリーグであって欲しい。
 だが、モウリーニョ解任の今、デコがプレミアに行く可能性は、さらに低くなったといえる。

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2007年9月22日 (土)

しらべるが行く2周年

 今日は、このブログを始めてから731日め。
 つまり2年と1日。3年めに入った。

 ウェブサイト「しらべる」の方は2000年4月20日に始めて以来、7年5か月 毎日更新を続けている。

 このブログ「しらべるが行く」は毎日書こうと思って始めたのではないが、つい毎日続けてしまった。
 ここまで続けてしまうと、もうやめられない。

 なにかを毎日欠かさず続けることは子どもの頃からの習慣だったので、とても自然なことだ。
 息をしているとか、ご飯をたべているとかそういうことではなく、今も毎日続けていることをリストアップすると10は下らない。

 短いものは4か月。長いものは20年。
 たまには、どれかをやめるという見直しも必要なのではないかと、検討してみるのだが、どれもその決断に至らない。
 さほど、大きな価値があるとは思えないことでも、次の理由があるから、やめるに至らない。

・ここまで続けてきたから記録が途絶えるのがもったいない。
・まったく負担にならないので、やめるまでもない。

 また「しらべるが行く」を読みにきてください。

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2007年9月21日 (金)

飲酒運転するリッチな人びと

 9月19日~20日にかけて行われた全国一斉取り締まりで686件を検挙。

 この数に驚いた。まだまだ、日本人はリッチだ。
 50万円、100万円という金額を気前よく一括払いしたい人が、一晩だけで686人いるというのがスゴイ。

 2002年6月1日、道路交通法改正。
 呼気中アルコール濃度が0.25→0.15mg/l 以上で「酒気帯び」となった。
 その際、罰金も大幅に値上げされ、つい出来心で呑んで乗れるような金額ではなくなった。
 ・・・と思っていた。

 2007年9月19日、さらに罰則は厳しくなった。

 酒酔い運転
改正前:3年以下の懲役または 50万円以下の罰金。
改正後:5年以下の懲役または100万円以下の罰金。

 酒気帯び運転
(呼気中アルコール濃度が0.15mg/l 以上 これは2002年施行時と同じ)
改正前:1年以下の懲役または30万円以下の罰金
改正後:3年以下の懲役または50万円以下の罰金

 新設された罰則
「車両提供罪」相手が酒を飲んでいることを知りながら車を貸す。
 酒酔い運転→5年以下の懲役または100万円以下の罰金

「酒類提供罪」飲食店が相手が車を運転して帰ることを知りながら酒を提供する。
 酒酔い運転→3年以下の懲役または50万円以下の罰金。

「同乗罪」運転者の飲酒を認識しながら、乗せて欲しいと依頼して一緒に車に乗る。
 酒酔い運転→3年以下の懲役または50万円以下の罰金。

「飲酒検知拒否罪」呼気検査を拒否
 3か月以下の懲役または50万円以下の罰金

 酒気帯びの運転者に「家まで送って!」と頼んで一緒に乗る。
 そこで検問にひっかかる。
 これで、二人合わせて
(最大)100万円。

 ちなみに自転車の飲酒運転は2年以下の懲役、または10万円以下の罰金。この規則は2002年から施行されている。

 日本にはリッチな人がたくさんいる。



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2007年9月20日 (木)

早く禿げる方法

 禿げ頭にあこがれる。禿げる日が待ち遠しい。

 そんなヒトのために、猛スピードで禿げる方法をまとめた。

 即効性のある順
■髪を染める
■ムース・整髪料を使う
■香りを残すためすすぎはあまりしない
■パーマをかける
■タバコを吸う
■酒を毎日のように呑む
ダイエットをする
■洗髪は朝にする
■シャンプーは界面活性剤、防腐剤、乳化剤入りのものを選ぶ
■ドライヤーで徹底的に乾かす
■インスタント食品、添加剤入りコンビニ弁当をたくさん食べる
■肉中心の食事をとる
■牛乳をたくさん飲む
■夜更かしして、0時~3時はいつも起きておく。
■寝る直前にたくさん食べる
■屋外で極力紫外線を髪に浴びる
■悩み・不安をできるだけ抱える
■冷暖房にがんがん当たる

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2007年9月19日 (水)

勝手に話を作る人

 今日もコンピューター・システムのユーザーから電話がかかってくる。

ユーザー
「売上レポートが見られないんですけど」
窓口
「権限が登録されてないのではありませんか?申請はされましたか?」
ユーザー
「申請??しましたよ。申請したけど権限がないということは、申請がダメだったということですね?」
窓口
「そんなこと言ってませんよ」

 サービスが使えないという問合せをしてくる人の中には、冷静さを失っている人がいる。
「僕には使うなと言うことですね?」

 冷静に考えれば、そんなことがあるわけがないのに、抗議の姿勢をそのような自虐的なことばに乗せる。

 このような切れたことばを使えば、それに対して親身な対応が返ってくることはまずない。

 クレームを言われている側は、逆切れするわけにもいかないので、冷静を装う。
 心を閉ざし、粛々と慇懃な答えを返す。
 プロの目からみて、考えられる対応策があったとしても、その提案を受けられる可能性は低くなる。

 怒りを他人にぶつけて、得をすることは何もない。
 怒りを他人にぶつけたことで、さらに自分が嫌いになる。

 冒頭の会話のつづきはこうだ。

窓口
「そんなこと言ってませんよ。
 こちらのミスで登録できていないのかも知れません。ただし、それは調べてみなければわかりません。ただ、調べているよりも今すぐ新規登録したほうがいいと思うので、そうしましょうか?」
ユーザー
「お願いします」

 「報復はしない」と決めて生きている人が、この世にはいるのである。

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2007年9月18日 (火)

新幹線0系の引退記念日

 今から8年前、1999年9月18日に東海道新幹線から0系が引退した。

 【 ぜろけい 】1964年(昭和39年)10月1日、東海道新幹線(東京~大阪)開業時から使用されている先頭が丸い型の車両。1964年~1986年の間に3,216両が作られた。

 窓枠が緑ラインの東北新幹線は、形はほぼ同じだが200系と呼ばれる。
 0系は当初「ひかり」号として使用。
 100系車両登場後は徐々に「こだま」に移行していき、300系登場後は「こだま」のみに使われた。

 引退日、東京駅は0系を見送るファンで埋まった。
 出発の1時間ほど前に行くと、改札前に列ができていた。
 しばらく並んだ後、ホームに上がる。
 ほとんどの人は撮影ポイントである、先頭車両、最後尾車両を目指す。
 先頭車両側はセレモニーがあるため既に混んでいたので、最後尾へ回る。

 カメラやビデオを構えたファンが撮影の順番を待っている。
 機械メーカーが場違いな二足歩行ロボットのデモをしている。なぜ、0系引退で混雑している日にロボットなのかがわからない。その企業の身勝手な姿勢がうかがえる。

 駅員さんが指揮を執り、順番に撮影ポイントへと進む。
 最前列の10人ほどが一斉に舐めるように撮影。
 「はい交代してください」
 と声がかかると、10人は列を離れて、2列めのファンが繰り上がって撮影を始める。

 鉄道ファンがマナーがよいのか。
 押したら危険だからか
 0系は逃げないからか
 わからないが、ロナウジーニョにサインを求める人たちと比べると、熱狂の中にも礼節があった。

 出発前、車内に入ってみた。引退列車だから満席というわけでもなく、人影はまばら。古くから使われている車両だけに、しみついたタバコの香りがした。

 16時31分発名古屋行きこだま473号は、1000人を超えるファンに見送られて出発していった。JR東海の須田寛会長は「0系は数台は保存したい」と言っていたが、関東エリアにも残してあるのだろうか。

 東海道から引退した後は今も山陽新幹線、通勤新幹線(博多~博多南)で現役を続けている。
 2002年、グレー地にダークグレー/フレッシュグリーン・ラインのリペイント車両が登場。ずいぶんイメージが変わってしまった。

 通勤新幹線の終点であり、車庫がある博多南駅へ行くとゆっくり見ることができる。
 のどかな山間に0系からN700系までがずらりと並ぶ光景は、新幹線ファンならばたまらないだろう。





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2007年9月17日 (月)

世界初のデジカメQV-10

 世界初の量産デジタルカメラ。カシオ計算機製造。1995年3月10日発売。
 このカメラには現在のデジカメがすべて兼ね備えているわけではない、特別なおもしろさがたくさんあった。

サイズが小さく軽い。
 携帯電話がカメラを兼ねるようになってからは、この論点は薄れた。しかし、カメラを単独で持ち歩く場合、いまだにこれは重要なポイント。

電源は乾電池
 不意の電池切れでも、お店で電池を買えばよい。旅先では安心感があった。日頃は単3の充電池を使えた(充電池についてはメーカーは動作を保証していなかった)。

回転レンズ
 高低のアングルが撮りやすい。
 被写体に撮影のタイミングを悟られずに撮ることができた。

シャッター音なし
 撮った時に音がしないため「いつ撮ったの?」と皆が驚いた。被写体に意識させず自然な絵が撮れた。携帯のカメラは盗撮防止のために必ず音が出る。あの音は国民の知性を疑っているようで、気に食わない。

液晶モニター付き
 初めて、あの小さい画面で今撮ったばかりの写真を見た時は衝撃を受けた。

25万画素
 今となっては、見るに耐えない画質。だがパソコンの画面で確認する場合は十分。

ファイルサイズは20~25kb程度
 発売当時はパソコンのハードディスクが500MB程度で、ファイルサイズが小さいことは理にかなっていた。デジカメの写真を紙に刷るというおかしなことをしなければ、画面で見る分には実用に耐えた。年賀状に載せる程度の大きさであれば充分な画質だった。

記憶容量96枚。
 発売当時はWindows95が出る前で、パソコンにつながずに使う人がいた。
 「これはあまり見ないから、消すかなぁ」
と断腸の思いで、96枚の中でやりくりをしていた。

 目の前に有名人がいる。
 グルメ向けガイドブックに載っていたお店で食べる。
 一斉に皆がカメラを取り出す。
 そんな光景はこの一台から始まっている。

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2007年9月16日 (日)

ユニフォーム全員サービス

 2006年11月2日
「ワールドサッカーマガジン2006年11月16日号」
デコの辛口ランサメント(第2回)
 デコが10月18日が自分にとっての記念日であることや "初体験"について語る。
 これまで何処にも出ていなかった本人記事ならではの情報が並ぶ。

 2006年11月
月刊誌「スポルティーバ1月号」
 「戦士達の実像」というデコ記事が掲載される。
 背中の芸者タトゥー(刺青)はジャシアラ夫人との別居中に彫ったこと。
 日本は大好きな国で、CWCで12月に行くことが楽しみであることをコメントしている。
 後で思えば、このタトゥーが2007年夏の来日キャンセルにつながっていると思える。

 2006年11月30日
「FCB OFFICIAL vol.1」
著者:鹿野淳
版元:扶桑社
価格:2,500円
 日本では初めて出版されたFCバルセロナオフィシャルブック。初版には特大こおろぎ鍋エンブレム付き。
 デコのインタビューも掲載されている。

 2006年12月
「FCバルセロナinJAPAN」
 宝島社から出たムック。バルサ来日直後の速報本。
 読者全員頒布企画として、CWCで選手が着用したユニフォームを断裁してカードにするというサービスがある。もちろんすぐに応募した。
 残念ながらバルサが敗れたため、この本は部数が伸びなかったかも知れない。
 誌面は「キー・オブ・バルサ特別な男デコ」という見開き2ページのデコ記事が掲載されたほか、全編にデコ写真満載。これは数ヵ月後の嬉しいできごとにつながっていた。

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2007年9月15日 (土)

旧1号の日2

 毎年9月15日は「旧1号」の日
 旧1号(きゅういちごう)=915の語呂合わせ。
 しらべるが2003年9月15日に記念日を宣言した。
 2003年~2006年まで特別なイベント、企画はなにも行っていない。
 そして今年もやっぱり行っていない。

 キノコモルグの回から見た僕は、リアルタイムの旧1号を見ていない。
 出会いはトレーディングカード。
 旧2号、新1号のカードに混じって時々出現する旧1号には得体の知れない魅力を感じた。
 地味だ。造形も荒っぽい。
 だが、子どもの浅はかな知恵を持ってしても、一切の批判を許さない威厳があった。

 2006年9月15日
 仮面ライダー旧1号のファンクラブ設立を宣言した。

 かつて三菱自動車がGDIエンジンに力を入れていた頃、クルマを買った人を "勝手ながら環境にやさしいGDIクラブ会員に登録させていただきます"とやっていた。

 旧1号ファンクラブは、コミュニティ会員を自動的に登録することにしたので、現在はそのメンバー数が会員数。ミニオフはあっても、本格的な活動は未だない。

 「9月15日を旧1号の日と公認せよ」
というプラカードを持って、バンダイの正門に座り込む日はいつ来るだろうか。

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2007年9月14日 (金)

豆子郎あざみ野店

 外郎(ういろう)は小豆を主原料とする蒸し菓子。
 およそ600年前、神奈川県小田原市の外郎家が作った。

 「外郎」は山口である。山口市の御堀堂は外郎の老舗。
 もっさりした名古屋のそれとは違い、ぷるぷるとした食感がたまらなく美味い。

 外郎は
名古屋の名物と思われているが、名古屋の人はほとんど食べていない。
 「かさ(大きさ)があって安い」
を喜ぶナゴヤ人好みということで、贈る側は喜んでいても、もらう側は喜んでない。

 外郎に小豆が入った豆子郎がまた美味い。

 【 とうしろう 】 外郎に小豆が入っている山口県の銘菓。

 山口の外郎は日本一美味い。それに小豆が入っているところが珍しい。
 冷やして食べるとさらに美味い。ただし生絹(すずし)豆子郎だけは冷やさないで食べる。

 山口県人へ里帰りのお土産をねだるならば豆子郎。
 豆子郎は宇部空港、山口市、山口県東部で売られている。
 
下関市には豆子郎は売っていなくて、本多屋の「豆外郎」が売られている。味はほとんど変わらない。

 豆子郎はウェブサイトを開設しているが、インターネットでの販売はしていない。
 山口県以外では神奈川県横浜市青葉区の「
豆子郎横浜あざみ野店」で購入できる。
 なぜ、唯一の飛び地が、あざみ野なのかは興味深いところだ。
 次に訪れた時に聞いてみようと思う。

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2007年9月13日 (木)

夢と夢占い

 夢【 ゆめ 】についてのしらべるの定義はこうだ。

 睡眠中にみる幻想。

 フロイトは無意識に潜む願望が現れるとした。
 ユングは意識と現実のギャップを埋めるために夢を見るとした。
 夢はノンレム睡眠レム睡眠どちらの睡眠でもみているが、ノンレム睡眠時で眠りが浅くなった状態(起きる前)のものをよく記憶している。
 起きたらすぐ書き留めておいて「夢占い」本で調べると、自分でも掴んでいなかった心理状態がわかる。

 夢はお昼頃思い出そうとしても思い出せない。
 後から、書きなぐっておいたメモをみても「こんな夢みたかな」と思うほど記憶は薄れていく。
 まずは起きてすぐに書かなければ夢分析は始まらない。

 夢占いについては「夢占い事典」ルナマリア ナツメ社 ¥1,000 が整然とまとめられている。

 1900年にフロイトは「夢判断」で "夢の持つ意味は一人一人違う "としている。
 占いは予言ではなく指針である。

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2007年9月12日 (水)

押下

 【 おうか 】 キーを打つこと。
 辞典で「押下」をひくと「押して下げる」と書いてある。

 パソコンのキーボードを押すことを表現するとき、操作説明書で「押下」と書く。
 マウスボタンを「クリック」することと区別するための用語。

 実行ボタンを「押す」と書くと、画面上にある「実行」ボタンをマウスでクリックするのか、キーボードにある実行キーを指で押すのかを特定できない。

 「押下」はIT技術者が書く、操作マニュアルに使われる言葉。
 一般には全く使われないので、初めてこの言葉に接した人は戸惑う。

 漢字の読み書き、国語力にかなりの自信を持っている人でも、これは知らない。
 そういう人の中には、そんな言葉を使うなと怒り出す人もいる。

 ただ、IT技術者には、国語力のある人がほとんどいない。
 要求定義、プログラムの仕様にはこだわるが、ことばの定義にはこだわらない人が大半だ。

 「画面上の修正ボタンを押下する」
といった誤記をする人がいる。
 正しくは "画面上の修正ボタンをクリックする"だ。
 彫刻刀を持ってきて、液晶パネルを彫らない限り、画面に表示されたボタンを「押して」「下げる」ことはできない。

 ただでさえ、なじみのない言葉であるうえ、用法まで間違われると、ユーザーはとても混乱する。
 だが、ことばの違いを指摘されたIT技術者の八割は、必死に反論するだけで、何も変えようとしない。





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2007年9月11日 (火)

実力主義

 企業の業績に直接影響を与える地位にいる人、またはそのような業務の担当者に対して実績に応じて報酬、昇進を決めること。実績主義とおなじ意味。

 明確に数字が表れる業務の人についての言葉なので、ひら社員、間接部門(総務・経理・人事・情報システム部など)には関係ない。

 「欧米や外資系は実力主義」
 というのは迷信で、実績+口のききかた、ごますりで心証をよくして主観的評価を得るのが常識。
 「実績」主義はエリート、巨額の資金を操る運用ディーラーなどごく一部の人にだけ適用される。

 「実績」以外の「潜在能力」や「資質」を査定に重用することが実力主義かというとそれは違う。
 「実績」のように定量化、数値化されるもの以外の基準は、結局は人の主観で"5段階の4"というように決められるわけで、とても公平とは言い難い。

 20代、30代のひら社員が
「あいつより俺の方が実力が上なのに、うちの会社は実力で評価してくれない」
というのは、自らを錯覚して、言葉を誤解している。

 末端に近い社員について、会社は評価する手段を持たないので、評価のしようがない。
 戦略人事システムを導入して、社員が納得のいく「実力の数値化」をはかっている会社があれば、その会社では実力主義が存在するが、そういう会社を聞いたことがない。

 20代、30代では目の前にきた仕事を四の五の言わず、周囲に感謝の気持ちをもってやる。

 言葉にすれば、簡単なことだが、それができる人は二割もいないだろう。
 だからこそ、それができた人は40代以降に大きな花を咲かせることができる。周囲のほとんどの社員が自滅しているからだ。

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2007年9月10日 (月)

横浜・大洋とプロ野球

 横浜ベイスターズは親会社が民法キー局なのに、主催試合のテレビ中継がほとんどない。
 このことは、いかに野球の力が落ちているかの証左だ。

 2007年、横浜はかつての地元、下関で公式戦をおこなった。
 横浜は日本プロ野球が2リーグに分裂した1950年に創設されたセリーグの球団。
 1949年11月22日、大洋漁業が大洋ホエールズを創立。
 1950年、セリーグに参加。
 近年、平成の大合併で巨大な面積を持った下関市(山口県)が当初の本拠地。
 チームの愛称「ホエール(whale)」はクジラ。捕鯨はかつての親会社 大洋漁業の柱の事業だった。

1953年、松竹ロビンスと合併 大洋松竹ロビンスとなる。本拠地:大阪球場
1955年、球団名が大洋ホエールズにもどる。本拠地:川崎球場
1960年、初優勝 初日本一(三原監督)
1978年、横浜大洋ホエールズと改称。本拠地:横浜スタジアム
1993年、横浜ベイスターズと改称。
1998年、2度めの優勝 2度目の日本一(権藤監督)
2001年11月、マルハ(旧 大洋漁業)からニッポン放送に経営権が移る。
 いったん承認されたが、ニッポン放送が所属するフジサンケイグループは、ヤクルト・スワローズの株式も保有しており、野球協約違反。後日、コミッショナーがミスを認めて、経営権委譲が白紙に戻った。
2002年1月26日、マルハからTBSに経営権が移ることがオーナー会議で承認される。

2005年、楽天がTBSの筆頭株主となる。楽天はパリーグの楽天ゴールデン・イーグルスを保有しており、一事業者二球団保有を禁止する野球協約に違反しているが、なぜだか放置されている。
2007年4月、那須野巧に協定以上の契約金を支払っていたことが発覚したが、球団は「協定破りは違反ではない」とメディアに公言。自分の都合がいいように解釈すれば、世の中のルールは守らなくてよいという手本を人々に示した。

 2007年、西武の不祥事はドラフト制度を変えてしまった。
 横浜はどんなにルールを破っても放置されている。
 自ら襟を正す力を失った日本プロ野球は、衰退の道をひた走っているが、それを軌道修正できるリーダーは今のところ、いないようだ。

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2007年9月 9日 (日)

デコに自由を与えよ!

 毎年、8月半ばを過ぎると書店やコンビニのスポーツコーナーには欧州サッカーの選手名鑑が並ぶ。
 欧州には26か国にプロサッカーリーグがある。
 欧州でプロリーグがある国の一覧はこちら

 名鑑はその一部分を掲載する。
 メインはスペイン、イギリス、イタリア、ドイツ。
 フランス、オランダ、ポルトガル、そして中村俊輔がいるスコットランドまでがそこそこに紹介される。

 だが、8月を過ぎても9月を過ぎても今年は名鑑を買わずにいた。
 それは2006年10月23日に発売される「バルセロナ&リーガ・エスパニョーラ 06/07パーフェクトブック」を待っていたからだ。

刊行形態:ムック
版元:英知出版
価格:1500円
内容:ムンドデポルティーボによる選手名鑑の日本語版。2005-06シーズンに続いて2年連続の発売。今年は日本唯一のリーガ専門誌となった。デコインタビューが2ページ掲載された。

 リーガ専門名鑑はこの本だけ。バルセロナ寄りのスポーツ紙ムンドが製作しているので、バルセロナの特集記事が多い。2年つづけて名鑑はこれを買った。
 欧州サッカーで興味があるのはリーガだけ。
 リーガ専門誌はリーガファンがたくさん買ってくれるものと思っていた。
 だが、リーガだけを見るという人は少なかったのだろうか。採算に合わなかったようで、2007-08シーズンは発売が予定されていない。

2006年11月1日
「ワールドサッカーダイジェストエクストラvol.43 2006年12月号」
 4頁に渡ってデコについての論説が載った。
 内容は2006-07シーズン、デコが不調の理由を分析。デコに自由を与えよと結んでいる。

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2007年9月 8日 (土)

Outlook Expressの最適化でメールが消える

 Outlook Expressで最適化をすると、メールが消えることがある。

 Outlook Expressを閉じようとした時に、起動回数が100回を超えると、以下のメッセージが出る。

空きディスク領域を増やすために、Outlook Express はメッセージを最適化することができます。この操作には数分がかかることがあります。

 Windows XP SP2以降では「次回からこのメッセージを表示しない」というチェックボックスがなくなっているので、[OK]しないと毎回、このメッセージが出る。

 以前、Outlook Expressでは、ある日突然受信トレイが消えることがあった。
 そのためファイルの圧縮により、それを防ごうというMicrosoftの試みなのだろう。
 [OK]しないと、毎回出てうっとうしい。
      ↓
 ところが、この最適化に[OK]すると、メールが消えることがある。
 消えたメールはゴミ箱に「受信トレイ.bak」のような名前で入っている。
 これを消してしまうと、もう助からない。

 最適化をした後は、念のために デスクトップにあるゴミ箱を開いて「受信トレイ.bak」「folders.bak」のような名前のファイルがないかをチェックするとよい。

 ゴミ箱に入っていたファイルを復旧する方法は、ヤフーやグーグルで「受信トレイ.bak folders.bak」というキーワードで探すとよい。

 Outlook Expressでは、1フォルダー当たりの容量は2GB(ギガバイト)
 それを超えると、受信トレイに不具合が起こる。
 そのため、Microsoftでは 100回に1回、最適化を提案して、1フォルダー当たりのメールが2GBを超えることを未然に防ごうとしている。



受信トレイが消えた日

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2007年9月 7日 (金)

失礼ですが、お名前は?

 最近いつ、名前を聞きましたか?
「お名前を教えてください」
 そう言われて胸がときめいたのはいつでしたか?

 ところが、世の中には全然嬉しくない「お名前は?」がある。

「それではお返事をお待ちしています。失礼ですけど、お名前は?」
「そういうことだったんですか。わかりました。失礼ですが、お名前は?」

 仕事の場で、電話の向こうの見知らぬ人に名前を尋ねるケース。

 連絡が来なかった時に、催促する。
 あとで、事実が違っていた時にクレームを言う。
 次回の問合せで、過去の経緯の説明を省きたい。

 証拠を残すための質問としての「お名前は?」

 お名前は?を言うのは相手を信頼していないから。
 「あなたを信頼していません」
 という宣言と同じ。

 お名前は?を言えば言うほど、不信任を世の中にばらまき、それは自分への不信任として突き返される。

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2007年9月 6日 (木)

クライマックスシリーズ=断末魔シリーズ

 集客難にあえぐNPBがご都合主義でひねり出した、戦いの本筋と外れた日本シリーズ予選。
 NPBはリーグ戦終了で幕を閉じ、あとは余興試合が始まる。

2006年までの日本シリーズ
 セリーグ優勝チーム対パリーグのプレーオフ勝利チーム

2007年の日本シリーズ
 クライマックス・パの勝利チーム対クライマックス・セの勝利チーム
 
リーグ優勝チームが日本シリーズに1チームも出ないというNPB史上初の事態になる可能性がある。

【 競技方式 】パリーグ、セリーグ共に同じ
第1ステージ、年間リーグ戦3位のチーム対2位のチーム(3試合)
   ↓
第2ステージ、第1ステージの勝利チーム対優勝チーム(5試合)

・上位チームのアドバンテージは無い。

 リーグ戦優勝チームは、クライマックスシリーズの結果如何を問わず、優勝チームとして扱われる。
 合理的なルールではない戦いは、賞賛されない。
 だが、支持されることはある。MLBが同様の意味不明なポストシーズンゲームで盛り上がっていることがその好例だ。

 シーズン終盤の優勝争いは本来、盛り上がるものだが、負けても後でなんとかなるというルールはプレーする側、見る側の緊迫感を損なう。
 シーズンが始まる前から「目標は3位以内」と言っていた監督がいた。現実的な言葉ではあるが、それを言った時点で、そのチームの選手とファンは、競技ではなく見世物に参加していることになる。

 アメリカに横倣えで導入しているIT技術が、ことごとく日本企業の精神的な崩壊を引き起こしている。アメリカに倣ったスポーツがそうなる可能性は高いとみる。

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2007年9月 5日 (水)

じゃんけんに負けない方法

 どちらが部長になるか?
 どちらの会社が経営権を握るか?
 をじゃんけんで決めることはないので、人生において絶対に負けられないじゃんけんというのはない。

 ただ、あまり負けたくないじゃんけんというのはある。
 じゃんけんは確率の勝負。
 負ける確率を下げる方法がある。

統計的にじゃんけんは「ぐー」が多く「ちょき」がすくない。
 多人数のじゃんけんで、一番負けた人にだけ罰があるようなケースでは、「ぱー」を延々と出し続けると負ける確率が低い。

あいこの手を続ける確率は低い
 一度あいこになった場合「ぱー」であいこになったら次は「ぐー」というように、あいこになった手に負ける手を出すと負ける確率が低い。

*参考資料~「生活じょうずは数学じょうず」芳沢光雄 学研 2001年2月

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2007年9月 4日 (火)

仰向いて唾吐くな

 子どもの頃、母からよく「仰向いて唾吐くな」と教えられた。

 町で唾を吐く人は男性にはたくさんいる。

 サッカーや野球選手は、10分に1回唾を吐かなければならないというルールがあるようで、威勢良く唾を吐くシーンがテレビで放映されている。

 だが、仰向けになった状態で唾を吐く人は居ない。吐いた唾は自分にかかるからだ。

 子どもの頃、試しに仰向けで唾を吐いてみたことがあるが、確かに口や鼻の周りに唾は落ちてきた。

 他人に向けて吐いた唾は、必ず自分に戻ってくる。

 他人に向けて吐いたつもりでも、それは回り回って自分に降りかかる。

 だから、それは仰向けで唾を吐くようなもの。

 だから、仰向けで唾を吐くなと昔の人は言ったのだと母が言っていた。

 昔の人の母が言う昔の人だから、大昔から人はそう言ってきたということだ。

 唾を吐かないと決めると、のど元まで出しかけた唾を飲み込まなければならない。

 それは自分でも飲み込みたくもないような痰かも知れない。

 決めれば、それを飲めるようになる。

 そうすれば、次からもう唾は上がってこない。

 

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2007年9月 3日 (月)

こんなアラーム時計がほしい

 パソコンで設定ソフトをたちあげる。

11時と18時に水を飲むから、ぽーんという音を設定。
10時、12時、14時、16時に目薬を忘れないようぴっぴっという音を設定。
「送信」
ボタンを押すと、腕時計にアラーム設定が送信される。

 あとはアラームの音で聞き分けて、やるべきことを思い出す。そんなアラーム時計が欲しい。

 to do を自分に思い出させるのに、いつも難儀している。

 PDAは入力が面倒だし、電池の心配をしなければならない。
 ほぼ日手帖に書いても、手帖を開かないとわからない。そもそも目薬をさす程度のことをいちいち書いていられない。

 いつも身近にあるものといえば、時計と携帯電話
 携帯電話ならばアラーム設定がこまかくできるのだが、仕事中に電話機が鳴ると、メール待ちをしているようで不謹慎な感じが拭えない

 もう出ていますよ!
 と言うお話があったら、ぜひ教えてください。

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2007年9月 2日 (日)

デコの辛口ランサメント

 デコの辛口ランサメントはデコ本人が語る記事。

 ワールドサッカーマガジンは月2回(第1/3木曜)刊行だが、第一木曜発売分で毎月1回、合計10回連載された。

 対話形式のインタビューではない。
 デコの話しを聞き手が口述形式でまとめたようだ。

 「ブラウグラナのご意見番」というキャッチコピー、「辛口」というタイトルがデコに対するこの雑誌の見解をよく表している。

 一般的に、日本ではふつーに話せば「辛口」
 その言葉に感情がこもると「吠える」ことになる。
 メディアによると、石原慎太郎都知事は、年中吠えていることになっているが、本当に記者会見で「わお~」「がぁ~」と吠えているのだろうか。

 デコもよく会見の模様を伝えるメディアによって、吠えさせられている。
 彼は正直な男だ。
 曲がったことが嫌いだ。
 それをそのままメディアに話してしまうことがある。

 だが、たいていの人は皆、耳障りのよい言葉を待っている。
 耳障りのよい言葉をいう人の周りに穏やかな調和ができる。

 デコファンはそういう調和を求めてはいない。
 真っ当なことは、そのまま発言するデコにますます共感を覚えるのである。
 10代の頃から聖人君子のコメントを言うよう訓練されたエリート・スポーツ選手なんて、つまらない。

 「辛口ランサメント」は2006年10月5日発売の10月19日号から始まった。
 デコ初めての雑誌連載記事。見開き2頁。いつも以上に乱暴な口調のデココラムだ。

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2007年9月 1日 (土)

ビリーなんとかキャンプ

 初夏の頃から、ビリーがどうこうというメールが来始めた。
 それがなかなか続かない、飽きてしまったという話しが書いてある。

 ビリーさんがキャンプでもするのか?と思ったが、
恐らくアブトロニックのような健康器具だろう
興味ないな。とほっておいた。

 夏が過ぎる頃になってもまだ、ビリーがどうしたと言っている人がいたので、遅まきながら聞いてみた。
 その友達は「motoさんでも知らないことがあるんだね」と言うから、世間ではかなり有名なのだろう。

 どうやら、本当にビリーさんという人物が出てきて(隊長というらしい)トレーニングを指揮するDVDのようだ。
 かなり個性の強いキャラクターらしい。

 でもやっぱり興味がないのでしらべる気になれない。
だから、しらべるには載っていません。

 たとえ三日坊主でも、それを調べたり手に入れたりすることが尊い。
それさえしない人はただの坊主だから。



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