三冠王のコンバート
江川騒動のために巨人に入り損ねた落合博満は、江川と同期でプロ入りした。 ロッテから中日。そしてFA制度元年(1993年オフ)ようやく巨人にたどり着く。
その時、プロ入りから15シーズン、江川引退から6シーズンが過ぎていた。
ただ、希望を叶えて巨人だけで終えた江川と違い、他球団を渡り歩いてきた落合に対する巨人ファンの愛着は薄い。
1980年
前半は怪我。後半57試合で.283、15本、32打点。土肥健二のフォームを取り入れた効果が出た。
*参考文献「週刊ベースボール」ベースボール・マガジン社 1999年2月22日号
1981年
プロ入り3年めのシーズンで首位打者獲得。守備位置セカンド。
1982年
初の三冠王。28歳での獲得は史上最年少だった。
1983年
ファーストにコンバート、首位打者。
1984年
山本功児の移籍入団でサードに回る。
三冠王経験者が巨人の控え選手の入団で、守備位置を替わる。チームのためとは言え、それを受け入れるところが落合の懐の深さ。このシーズンはブーマー(阪急)に三冠すべてを明け渡し、無冠に終わる。
1985年
二度目の三冠王 52本塁打(初の40本以上) MVP
1986年
4月、初の著書「なんと言われようとオレ流さ」講談社~発表。
2年連続三度めの三冠王
オフ 巨人移籍を希望していたが、1-4トレードで中日にトレードされる。
中日は、大打者落合が巨人でスーパースターの道を歩むと言う最悪のシナリオを何とか阻止した。
中日ファンは中日が優勝すること以上に、巨人が優勝しないことを祈る。
後に中日を出て、巨人に移籍した落合は、バルセロナからレアル・マドリーに移籍したフィーゴ級の裏切り者としてひんしゅくを買っていたが、今はこうして名監督として頂いている。
機を見るに敏、変わり身が早く、柔軟なところは特筆に値する。
つづく
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