« 落合40歳で巨人へ | トップページ | 昔は自律神経失調症 »

2007年10月25日 (木)

落合監督と江川

 50歳になった年、中日と2年契約をむすび、落合は監督になった。
 1998年オフ、日本ハムを最後に現役を引退してからは、5シーズン野球解説を続けており、コーチ経験はない。

2004年
6月、ナゴヤドームの巨人、ヤクルト、横浜戦の使用球をミズノ製から「飛ばないボール」のサンアップ製に替える。味方に長打力が無く、相手の長打を封じたいがための策。
 シーズン後、巨人の
堀内監督は「せこい」とコメントした。
10月1日、巨人がマジック対象の
ヤクルトを破った瞬間にリーグ優勝が決まる。
 コーチ経験がない監督の就任1年目優勝は史上初。(長嶋の初優勝は2年目)同年のパリーグ優勝(シーズン勝率は2位)西武の伊藤監督がこれにつづき2人めとなった。
 日本シリーズではパリーグ勝率2位の西武に敗退。第2戦勝利監督インタビューでの「(所沢で)3連勝するので、名古屋には戻ってこない」が今年唯一外れた予言となった。

2005年
9月には阪神を逆転すると予言。福留は「監督にはそういうところがある」と
暗示にかかっていたが、予言は外れた。

2006年
2度めのリーグ優勝。日本シリーズで古巣日本ハムに1勝4敗で敗退。
オフシーズン中日と新たな2年契約を結ぶ。

2007年
リーグ優勝を最後まで巨人と争い2位。残り7試合でマジック7が点灯「だいじょうぶ全部勝つから」と公言したが成らなかった。

 監督として4シーズンを戦い、リーグ優勝2回。日本シリーズ出場3回はすばらしい実績。
 与えられた予算の中で最高の結果を出したのには理由がある。
 名のない選手を名実伴う指導者が使う時、采配には自由度が高く、人心を一つにしやすい。そこに結果がついてくる。
 私信を捨て、立場を演じることに徹しているから、落合のチームは強い。

 できることならば、空白の一日で命運を分けた2歳年下の江川(2007年で52歳 コーチ経験なし)と監督として対戦するのを見たい。

| |

« 落合40歳で巨人へ | トップページ | 昔は自律神経失調症 »

スポーツ」カテゴリの記事