江川の400勝
新浦の1976年は11勝11敗、1977年は11勝3敗。
そして1978年は15勝7敗とチームの勝ち頭となる。同時に15セーブを挙げており、名実共に巨人のエースに成長した。
確かに怪物江川を巨人で見たい。
だが、ようやく芽が出た現在のエースとの引き換えはあまりに痛い。
数時間後、巨人ファンの痛みは喜びに変わる。
交渉の結果、交換要員は小林だった。
小林は1978年の13勝のうち5勝を阪神から挙げている。だが、チームのエースではない。
阪神の指名が初めから小林だったのか。新浦指名を巨人が拒否したためなのかはわからない。
巨人ファンは安堵した。
未知の怪物江川と、下り坂に入ったと思われた小林。
悪くない話だ。
小林が阪神移籍初年度に22勝を挙げたことは、多くの人の記憶に残っているが、その後の印象は薄い。ただ彼は現役生活を終えるまで、大きな故障もなく阪神で77勝を挙げている。
新浦がその後巨人在席中27勝にとどまったことを思えば、阪神に先見の明があった。
1981年 20勝6敗 最多勝 最優秀防御率 最多奪三振
江川が投げる試合は進行が早く、20時を回ってすぐに終ることもあった。
平和台球場の駐車場整理をしていた時のこと。
入場車両も途絶えたので、後は江川を見ようとネット裏に入ってみたら、20時5分に試合が終ってしまった。江川の投球を見ることができたのは9回表の1イニングのみ。
球場係員は早く帰れるので大喜びだったが、江川をじっくり見ようと楽しみにしていた僕は目が点になった。
入団3年めにして名実共に球界一の投手となったが、期待に反してこれがピークになってしまった。
1984年、オールスターゲームで9者連続三振を逃す。
既に球が走らなくなっていたがオールスター戦ではなぜか速球が復活。
9人めの打者近鉄大石に投じた2-0からの外角カーブを当てられてセカンドゴロ。
江川は2001年の著書「マウンドの心理学」で "記憶から消し去りたいカーブ" と表現している。
1987年オフに現役引退。通算135勝。
かつて迷惑をかけた小林の139勝にあと4つというところで、ユニフォームを脱いだ。
小林も江川も、それぞれのルーティングを通して、幸せな野球人生を送った。
ただ、巨人ファンは江川が作新学院から入団して、20年連続20勝の400勝で引退するのを見たかったのである。
つづく
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