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2007年10月18日 (木)

玉を打て 目を狙え は初めてじゃない

「玉を打て」
「目を狙え」

 これをポルトガル語やスペイン語やなじみの薄い国の言葉でセコンドが言ったとしても、誰もわからないし、そこに焦点をあてて取り上げたメディアを知らない。

 これまでに数多く行われてきたボクシングの世界戦で、そういった行為がどれだけ行われていたかは誰もデータを持っていない。

 本来、格闘技ショービジネスに反則は付きもので、それが注目されたことはなかった。
 アブドラ・ザ・ブッチャーがビール瓶でザ・デストロイヤーの胸を刺したとき、さすがに日テレはビール瓶が突き刺さる瞬間にVTRを停めたが、そういう事実をしっかり全国放送した。
 トーア・カマタが馬場に塩を振っても、謎のマスクマンが覆面にベーゴマを仕込んでいても、それを検証した報道を見たことがない。

 ボクシングはスポーツでプロレスはショーだというような区別は、見ている側がそれぞれに思うこと。
 元々、日常社会ではあってはいけないこと(殴り合い、取っ組み合い)を人前でやるという時点で、ボクシング、プロレス共にエンターテインメント以外のなにものでもない。

 あれが「神聖なスポーツ」だというのならば、暴走族の皆さんは大いに取り組まなければならないし、警察の皆さんは「いい汗かいているな、お前たち」と目を細め、暖かく見守っていることだろう。
 ボクシングが上で、プロレスは下といった階層は実在しない。
 スポーツに貴賎はない。

 要は「問題に仕立てたい」理由があるから、言うのである。

 亀田家の放送を独占して、いい思いをしているTBSをみて、隣りの芝生は青いなぁ、芝生が枯れたらいいのにと思っていた人たちが言っているだけのことで、それに乗っかって「処分が甘い」などと感想を述べている人たちの賢眼に目を見張るものがあった今回の「ボクシングの中で起きたレスリング騒動」だった。

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