尊敬されないホームラン王
今年のプロ野球の終盤、ある世代交代があった。
子どもの頃、ホームラン王は毎年、王が取っていた。
王以外が取ることを知らないので、ホームラン王は王が取るからホームラン王であり、長嶋がとるとホームラン長嶋になるのだろうと思っていた。
前の日に王がホームランを打ったかが、新聞を開いて真っ先に確認するニュース。成績におごらず、ホームランを打ち続ける王を誰もが尊敬していた。
だが、日本球界には二人の尊敬を得られないホームラン王がいる。
1996年 山崎(中日 当時監督は星野)
39本で松井、大豊(中日)を1本リードして迎えた巨人との最終戦。中日は松井を4打席敬遠した。
中日はこの年が狭いナゴヤ球場最後の年。
松井が初めて本塁打王を取るのはこの後の1998年。
広くなる球場、成長してゆく松井。
山崎は「せこいかも知れないけれど、一度きりかも知れないから」という主旨の感想を述べた。
2007年 村田(横浜)
35本で高橋由伸(巨人)、ウッズ(中日)と並んでいた10月6日のこと。
引退試合として9回2死10対0でリードの場面で出てきた佐々岡から36号を打つ。
勝敗ではなく自分のために打った1本。
しばらく第一線を離れていた投手から「タイトルがかかっていたから」と放った本塁打は、試合後に涙で「辛かった」と語ろうが尊敬されない。
その2日前のヤクルト戦では、プロ最終打席の代打に立ったヤクルト鈴木健の3塁ベンチ前ファウルフライを捕球せず、粋なところをみせた村田。鈴木健はつづく球をクリーンヒットしてプロ生活に有終の美を飾ることができた。
2007年のプロ野球で、最もじーんときた一瞬だった。
だが自分のことになると場を見なかった村田。
次の打者は途中から守備でライトに入っていた内川。
続けてヒットでも打たれたら・・
壊れてしまった佐々岡お別れムードを修復するには、ここは三振しかない。
そこで、大矢監督は場を見るベテラン鈴木尚を代打に送る。そして見事、空振り三振でゲームセット。なんとか佐々岡の引退に華を添えた。
村田はこの日打てなくても、翌日以降に3試合を残していた(中日1ヤクルト2)
中日は35本で並ぶウッズがいるため勝負してもらえないとしても、ヤクルトは違う。鈴木健のファウルフライを落とす計らいをしてくれた村田に対して、ヤクルト投手陣が勝負を避ける理由はない。
真剣勝負で結果を残してこそ、尊敬は得られる。
一度、不興を買うとそこから立ち上がるのは難しい。
山崎は11年の時を超えて、真剣勝負の本塁打王となり尊敬を得た。
その系譜を奇しくも山崎が不興を払拭した年、村田修一が引き継ぐことになった。
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