落合40歳で巨人へ
落合はロッテから1-4のトレードで中日に移籍した直後、契約更改で球界初の1億円プレーヤーとなる。
現代のNPBでは3年ほど一軍にいるだけで、一億円もらうのが当然の権利のように言う選手がいる。だがかつてはONでさえ届かなかった一億円。三冠王3回という金看板をもってして、ようやくその壁は破れたのだった。この功績において落合は球史に残る選手である。
1989年
スポーツ紙が発言を曲げて伝えたため、キャンプ中は報道陣と筆談。
1991年
37歳で迎えたシーズン。セリーグで初めての打撃タイトル、本塁打王を獲得。これが現役最後のタイトルとなった。
1993年
オフ、あと数ヶ月で40歳というところで巨人にたどり着く。
その年に導入されたFAで巨人移籍。ロッテ、中日でつけた「6」を篠塚から奪うことを快しとせず「60」をつけた。
1994年
移籍1年目でリーグ優勝に貢献。10.8決戦の一塁守備で負傷し、日本シリーズにはフル出場できなかった。10・8は球史における最も緊迫した戦い。ここで落合が見せた必死の形相は今も脳裏に焼きついている。
この頃名古屋では、落合が家族で出演するボウリング場のCMが放送されていた。
落合が自宅に電話をかける。
長男が電話をとる。
「ふっくん今から出ておいで」と落合が呼びかける。
そして家族三人でボウリングを楽しむというもの。ボウリングはプロを目指していたほどの腕前。
1995年
前シーズンで篠塚が引退したので「6」をつける。
1996年
オフ、清原が西武からFAで移籍してくるのと入れ替わりに巨人を退団。日本ハムと契約。
1998年
オフ現役引退。現役時代~生涯打率.311、本塁打510、打点1,546。
2001年
4月、著書「コーチング―言葉と信念の魔術」ダイヤモンド社 発表。
2003年
10月、中日監督就任。ニュース番組に出演した際「日本シリーズはすべてホームチームが勝ち4-3でダイエー」と予言。的中させる。
そしてここから、落合の予言癖が始まった。
(つづく)
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