« 玉を打て 目を狙え は初めてじゃない | トップページ | 江川卓と小林繁 »

2007年10月19日 (金)

ボクシングがある

 「今日はボクシングがあるね」

 朝刊でボクシング世界タイトルマッチの中継を知ると、心が躍った。
 テレビは8時までと決まっているので母と交渉に入る。

 「先に風呂に入って、宿題も済ませるし、試合開始まではテレビを見ないから、見せて!」

 こういうといつもOKを出してくれた。
 ボクシングがある日。
 1970年代の家庭では、似たような華やいだ空気がお茶の間に流れていたと思う。

 あの頃、ボクシングはなぜ特別な存在だったのか。

■当時、日本人が世界を相手に戦い、勝利の可能性がある唯一のスポーツだった。

■格闘技中継はプロレス、キックボクシングがあった。
 キックボクシングは週1回。プロレスは週3回ゴールデンタイムに中継があり珍しさに欠けた。
 「プロレスは八百長」という評価が根強く、現代のヴァーリ・トゥードと比べると明らかにシナリオを感じさせるものだった。
 真剣さでは、キックボクシングも肩を並べていたが、相手が東南アジアの選手に限られていた。

 1980年代に半ばショーとしてのプロレスの価値観が認められたこと。
 アントニオ猪木が「格闘技路線」というプロレスの新境地を切り開いたこと。
 1990年代に入りK-1、PRIDEなど真剣勝負の格闘技が他にも登場したこと。
 これらの要因により、ボクシングの価値は色あせた。
 「今日はボクシングがあるね」は聴かれなくなった。

 1998年以降、ワールドカップという世界を相手に戦う舞台を手に入れたサッカーがこれに代わり
 「今日はサッカーがあるね!」
 が家族や友人との会話に登場するようになった。

 「ボクシングがあるね」の時代は終った。
 ボクシングだというだけで、見る人はもういない。
 ダウンが一度も無く、手数や効果的パンチといった「印象評価」で勝敗が決まる上品な格闘技はつまらない。

 僕が興行主だったら、倒さなければ勝敗が決まらないルールに変える。
 僕がすべてを決めてよかったら、殴り合いを見世物にする興行自体をやめる。

| |

« 玉を打て 目を狙え は初めてじゃない | トップページ | 江川卓と小林繁 »

スポーツ」カテゴリの記事