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2007年12月27日 (木)

日本の弓道(四)

 僕らが袴を揃えなかった最大の要因は、僕らが最後の1校ではなかったということだ。
 27校のうち26校が袴で試合に来たら、さすがに恥ずかしくなって何とかしようと思っただろう。

 小学校の時の自転車も、成長期で急激に背が伸びた後、2着めの学生服もいつも学年で最後だった。
 ずっと欲しくても親には言わないでいた。
 言わないのは我慢できるからで、我慢できるうちは、我慢できるものなのだ。

 ブログのことは親は知らない。
 もちろん、ブログをやっているんだと言っても
 「ふろく?何月号のかね?」(山口弁)
 と言われるだけかも知れない。
 これは、恨み節ではない。
 幼い頃、我慢を知ったことが、今自分の糧となっている。
 ただ、年老いた親にわざわざ耳に入れることではない。

 ヘリゲルは3年の時を経てもまだ、弓術を見いだせずにいた。
 阿波研造師範は、こう説いた。

「あなたはなにごとをも、待っても考えても感じても欲してもいけないのである。術のない術とは、完全に無我となり、我を没することである。あなたがまったく無になる、ということが、ひとりでに起これば、その時あなたは正しい射方ができるようになる」

 「精神を集中して、自分をまず外から内へ向け、その内をも次第に視野から失うことをお習いなさい」

 今ならば、少しだけこの言葉に感じることがある。
 人は大概、外を向いているものだ。外を向いているうちは、どこまでいっても幸せにたどり着けない。
 人や金に囲まれて、そこにたどり着いた気持ちになる。
 だが、その渦中にいる時は、日だまりに身を縮めているような幸福はない。
 いつまで続くだろうか、失うことはないのだろうか。失わぬために今なにをすべきなのだろうか。

 心休まる日はない。
 そしてそれは、いつか失われてしまう。
 内を向いている人が幸せになっている。

 4年を経てようやく的に相対したヘリゲルに阿波研造師範はこう説く。

「中てようと気を揉んではいけない。それでは精神的にいることを、いつまで経っても学ぶことができない。あなたがもしそんな技巧家になるつもりなら、私という精神的な弓術の先生は、実際に必要がなくなるでしょう」

 スポーツ弓道の上達をめざす者にとって、初期の伸びしろは特に大きい。
 弓道を始めて1年。
 僕は有頂天にいた。


つづく



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