日本の弓道(三)
弓道と言えば、皆が袴姿を思い浮かべるだろうが、僕らのチームは袴を持たなかった。
試合に出て5人のうち、2人が袴で3人はジャージというわけにはいかない。
3年生が引退して、僕らが最高学年になった時、2年生は僕を誘ってくれたタナカを含めて5人になっていた。
「高体連は高学年優先で出よう」
と、いち早く決めていた僕らに「皆で、袴を揃えよう」という合議は生まれなかった。
恐らく今時の弓道部は皆、袴着用なのだろうが、当時、袴を履いて試合に出てくる学校は長崎県に27あった弓道部の半数に満たなかった。
ライバルの西高がいよいよ袴を揃えて試合に出てきた時も、わぁよかぁ~とは思ったが、顔には出さなかった。
大人になり財力を得て、スポーツはカタチから入るようになった今思う。
なぜあの時、袴を揃えようと言わなかったのか。
事実、同じ学校の弓道部女子は1年のうち1か月しか練習に来なかったが、それでも5人しかいない部員 皆で袴を揃えていた。
僕らも弓道をなめていたと言えるが、女子はその上をいった。
格好は立派だが、試合で的まで矢が届かないのは、うちの女子だけで僕らは他人の振りをしていた。
ただ僕らは女子に頭があがらなかった。
別に女子の更衣室を覗いたのが、ばれたからではない(覗いてないし)
それは女子に天才ミヤタがいたからだ。
ミヤタはご多分に漏れず、他の女子同様、試合の1、2週間前になって練習を始める。
それでも、試合ではめっぽう強く、あれよあれよという間に個人の部で全国大会に進んでしまうのだった。
試合会場にしか顔を出さない顧問のイシイの顔に
「お前ら、なにやってるんだ」と書いてあったが、
「ごもっともです」とこちらも顔に書くしかなかった。
僕らが袴を買おうと思わなかったのは、もちろん袴が高かったからだ。
もしその頃にユニクロがあって、1000円で売っていたら、親に頼んでいた。
テニスラケットや高機能のランニングシューズと違い、袴は弓道を続ける気持ちがない者にとって、いつかは無用の長物になる。
買わないで済むならばその方がいい。
万年中位。最高成績が27チーム中5位という僕らの成績が、袴を着るに相応しいとも思えなかった。
だが今、長い時を置いて気付いた、その最大の要因はこうだ。
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