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2007年12月24日 (月)

日本の弓道(一)

 かつて、毎日 矢を放っていた。
 別に前世の狩猟時代の話しではない。
 高校生の頃だ。

 中学校では転校のために運動の部活が中途半端に終わっていたので、高校ではきちんと一つのスポーツを成し遂げようと思っていた。
 というのは今、記憶を合成して書いていることで、当時はスポーツで目立って女の子にもてたかった。

 4月、公式テニス部に入った。
 初日は雨だった。
 晴れ男の僕としては、これでけちがついた。
 グラウンドが使えず、練習は校舎の廊下を走った。

 まず規定の10往復を終えたが、息は切れていなかった。
 すると、遅れて10往復を終えた3年生のキャプテンがやってきた。

「なに、ズルしてるんだ はぁはぁ」

 つづいて、指立て伏せ30回。やったことがない人は初めは手こずるが、中学ではバレー部だった僕には軽い。難なく終えた時、嫌な予感がした。案の定、キャプテンはまだ地面を見つめながら20回目あたりをやっている。

「ほんとに、やったのか? はぁはぁ」

 翌日、職員室を訪れ、顧問の先生に「やめます」と言ったが、理由は「練習がきついから」ということにしておいた。

 一ヶ月ほど帰宅部にいた。
 月に2500円のおこずかいは、クィーンやブリティッシュ・ロックのLPを1枚買うと消えた。
 学校帰りに友達とボウリングや喫茶店に行くどころか、50円のペプシコーラさえ一緒に飲む余裕はない。
 ミクシィの母校コミュでは柿本のたこ焼きやバードモナミのコーヒーゼリーを懐かしむ話題が出ているが、僕はそういうものがあったことすら知らない。
 まっすぐ帰るだけの帰宅部はヒマだった。

 そうしたある日、中学の時からの同級生タナカが僕を誘いに来た。

「弓道部に入らんや?練習せんでも高体連に出れるばい」

 聞くと、1年生部員はタナカ一人。試合は5人の団体戦で行われるので、入部すれば一年後には自動的にレギュラーが約束されるのだという。
 中学の時は文化部に入っていたタナカが1か月続いているのだから、練習がきついわけでもなさそうだし、高体連に出られるというのがいい。

 その最強のセールストークに応え、その日から練習に出た。
 弓道部は弓道場で練習する。
 場所がないからと言って弓道部が運動場で練習していたら、陸上部は恐ろしくてトラックを走れないだろう。
 だが、この学校に弓道場なんてあっただろうか?

 連れて行かれた場所は運動場に降りる長い階段を右に折れた森の中。
 シークレット・ウィンドウのジョニー・デップが住んでいそうなその森に弓道場はあった。
 僕はそれは何かのぼろ小屋だと思っていた。

 その日から弓術にはほど遠い、スポーツと言うのもおこがましい弓道生活が始まる。

つづく

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