日本の弓道(六)
的に当たった矢は的から、外れた矢は安土から抜いて回収する。
中には安土まで届かない矢もあり、矢道の芝生にはいって取りに行く。
回収した矢はぼろ雑巾で安土を拭き取る。この作業は後に経験した焼鳥屋で串を洗う作業に似ていた。
雨の日は小鳥の羽根が濡れて肌に貼り付くように、矢の羽根もそぼ濡れて痩せる。
木の矢は湿気を吸い傷みが早い。師範たちは木を使っていたが、学生の大半は耐久性が良いジュラルミンを使っていた。
他校の選手は矢を拾うついでに、僕の矢をしげしげと見ていた。
細工がしてあるのではないか?と疑っているわけではなく、木なのかジュラルミンなのか、羽根の具合はどうかを見ていたのだと思う。
僕の矢は、ご多分に漏れずジュラルミン製。
矢は4本セットで売っていて、それを引退まで2年間使った。使い込むうちに、羽根は欠けてきてぼろぼろになる。
試合では1立ち2本を持てばよいので、4本の中から羽根の状態がよい2本は、練習ではできるだけ使わないように気をつけた。
3年生が引退し、主将として最高学年を迎えた頃、僕を病魔が襲った。
身体ではなく、心の病。
原因は慢心と虚栄心。
それは数十年経った今、そう言えるのであって、当時は技術的な問題が何処にあるのかを探すのに躍起だった。
弓道の病に「早気(はやけ)」がある。
心の迷いでパターが打てなくなるゴルフのイップスのように、心が病むのである。
中てよう、中てようという気持ちがはやると、会が短くなる。
会とは弓の弦を離し、矢を打ち出す直前のこと。
技巧の弓道をしていた僕らにわかるよう、イケダ師範は
「会をなるべく長く持ちなさい」
(弦をいっぱいに引いて、離すまでのあいだに静止時間をつくりなさい)
と教えてくれた。
僕らはその教えを、的をじっくり狙う時間を作るためだと解した。
早気が進むと、終いには会の型に入ることさえできず、まだ弦を引いている途中に右手を離してしまうようになる。
見ている方は、突然矢が放たれるのでビックリし、やがて失笑する。
それまで注目を浴びてきた分、早気を患ってからの弓道は惨めだった。
そしてちょうど、その頃父から弓道をやめるよう言い渡された。
父は僕の早気を知っていたのではなく、受験を1年後に控えながら、一向に成績が上がらぬことに業を煮やしたのだった。
主将を辞し、しばらくは殊勝に帰宅部を装っていたが、すぐジョニー・デップの小屋に戻り早気の克服に取り組んだ。
こそこそと部活に行く僕を母は、黙って送り出してくれた。
矢をつがえず、弓を持ち八節を繰り返す。
なんちゃってで始めたスポーツ弓道。小屋には指導者もいない。自分で考えた単純なリハビリ・メニュー。
きれいな長持ちの会、力みのない自然な離れ
放たれた矢が一直線に的を捕らえる。
その光景に憧れた。
そして、それはそんなある日に起こった。
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