話し合うことと、力はどちらが正義なのか?
ある学級でのできごとです。
その日、学級会でクリスマス会の会費について話し合いました。
実際にかかる費用は一人あたり100円でしたが、クリスマス会とは直接関係のないPTA費を25円上乗せしていました。
これは長いこと続いていた、この学級のルールであり、いずれ見直すことになっていました。
今日がその見直しの会議です。
学級の6割を占める「賛成派」は、今後も25円の上乗を続けようと言っています。
その理由は、25円がなくなると、PTAが混乱するからだと言います。
でも、いったい「混乱」とはどのようなことなのかは、言いません。
推理すると、PTAの人たちは、その25円をとても頼りにしているようです。
そのお金がなくなると、色々なことが立ちゆかないらしいのです。
ただ、25円を頼りにしているのは一部のPTAだけ。
どうやら、その25円のお金は一部の人たちの懐に入る仕組みの様子。
その他のPTAは25円を値下げして欲しいと思っています。
でもやっぱり賛成派は「重大な混乱を来すことは避けなければならない」と言うばかりで、要領を得ません。
理屈が通るならば、きちんと本当のことを話したほうがよいと、学級の皆が思っているのですが、本当のことはなぜだか、言ってはいけないようなのです。
とても不思議なのは、賛成の人だけでなく、反対の人もそこには突っ込まないということです。
共にPTAに弱みでもあるのでしょうか。
さて、残る4割の「反対派」は、25円の上乗を継続することに反対。
悪しき慣習は断ち切るべきだと言っています。
折しも、いろいろな品物が値上げになっていて、去年100円だった費用は、今年は125円かかりそう。
25円の上乗を続けると、一人あたり150円集めなければなりません。
いよいよ、先生が廊下を歩いてきました。
先生が教室に入ってくると、学級会の始まりです。
いきなり多数決はとりませんが、話し合いをした後、最後は挙手による多数決でどちらかに決まるでしょう。
6割のグループは、4割の反対派が十分に納得がいくまで、話し合いをしたいと言っています。
あくまで、ルールに則って話し合おうと言っているのです。
ところがなんと、4割の反対派は、教室のドアを封鎖して先生を教室に入れないという手段に出ました。
数に任せて多数決で押し切るのは「数の暴挙」だと言うのです。
学級会が始まれば、最後は6割のグループが押し切ってしまう。
それならば、学級会が始まらないよう強行手段に訴えるしかないということです。
多数決でものごとを決めるのが民主主義だと学校では教えていました。
力に訴えてそれを阻止することは戦争といい、よくないことだと教えてきました。
でも実際には、多数決が暴挙で、力が民主主義を守ることだと、学んだ人もいたのです。
大人が教えたように、子供は学ばないのでしょう。
また、そういうご都合主義な子供が演じる見本を、その次の世代の子どもはどう見るのでしょう。
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