日本の弓道(十六)
何が夢の5割だ。
残りは2本とも中てなければならんじゃないか。
神さまからの頂き物、果報は寝て待て、棚からぼた餅、他力本願・・
それらの悠長な考えに浸り、二射を無為に費したことが悲しかった。
いったい、どこをみているのか。
学生だった僕にうまく愛は語れなかった。
と歌うのは甲斐バンドの「バス通り」だが、
学生だった僕に、他を見ず、自分の心と向き合うという思考はなかった。
「最後は勝ちたいという気持ちが強かったほうが勝つ」
「勝ちにこだわる」
「楽しみたい。すると結果がついてくる」
現代ならば、メディアが奏でるこうしたスポーツ訓に、さらに頭が混乱するところだが、学生だった僕に
「開き直る」
という言葉しか浮かばなかったことは、結果的に幸いした。
午後の時間の流れは速い。
人生の後半になると、人は時間の流れを速く感じるようになる。
子どもの頃は新たな経験が、未来から過去へ怒濤のように流れてくる。
逆上がりができないで延々と地面を蹴る時、
次から次にスケジュールされる試験に立ち向かう時、
その時間は永遠に思われた。
だが、多くのことが経験済みとなった大人の時間では、ほとんどの出来事は日常となる。
相対的に、時間は速く流れるように感じられる。
午前で一日の流れに身体が慣れた午後、四立ちめは瞬時に訪れた。
四立ちの甲矢(はや)
引き分けたところで矢がこぼれた。
妻手(右手)のひねり具合、取りかけの深さ具合が悪いと、矢が弓手(左手)から落ちてしまう。
弓道の初級者にはよくあることだ。
矢を床に取り落としてしまうと、それは失として扱われる。
残りは2射、もう1つもおろそかにできない。
こういう時、弓道家は顎で矢をしゃくり、妻手のひねりを使って弓手に乗せる。
落ち着いて対処すれば、なんということはない動作。
だが、早気の僕にとっては一大事だ。
こぼれた矢を上げる動作が難なくできるのは、両手が会の位置に降りて、矢が頬の前に納まってこそ。
ところが、僕と来たら引き分けの最中にも、いつ妻手が弦を離すかわからない。
矢がこぼれたままで妻手が離れたら・・
あの体育館裏のできごとが繰り返される。
矢は床を転がり、メガネが飛んで矢道に落ちる。
ギャラリーはざわめき、競技が中断される。
メガネを拾うために、審判が下駄を履いて矢道に入るだろう・・
矢が的に届かない女子をみて、苦虫を噛んでいた思いを、一堂に会している長崎県高校弓道選手の皆さんに味合わせてしまう。
頬で矢をしゃくれる位置まで必死で引いた。
幸い僕の顎は、人よりも少しだけ角張っている。
この顎は後にアントニオ猪木の物まねで役に立った。
弓道では的は右目で狙う。
弓の左側に半円で見える的を、弓に近い側にある右目を主眼として狙う。
ただし、これは後に弓道解説書で知ったことで、指導者のいない僕らの弓道部では主眼などお構いなしだった。
ようやく顎に当たる位置に降りてきた矢を弓手に乗せると、早気の僕に残された時間は少ない。
すかさず的を探しフォーカスを合わせる。
とりあえず、ここだ
これはあとから合成した記憶であり、その時、左脳は停止していた。
事なきを得て、空を飛んだ矢はハエが止まるような放物線を描いて的の中心からやや上に当たり"ぼすっ"という音を立てて、何重もに張られた的紙を貫いた。
僕は左利きだが、目は右利きだったのだ。
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