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2008年1月12日 (土)

かなんかで

 「明日の作業なんだけど、佐藤さんと鈴木さんかなんかでやってもらえるかな?」

 こういう言い方をする社会人がいる。

 その心は
 「作業は佐藤さんと鈴木さんにやってもらいたいんだけど、もしかしたら違う人に頼むべきなのかも知れない。でもそこのところがよくわからないから、もし違っていたら、あとはそっちで適当に頼むよ。作業が終わりさえすれば、文句言わないから」
 というところだ。

 こう言われた佐藤さん、鈴木さんはどう思うだろう。
 「あなた達に任せる」
 「あなた達が適任だ」
 「あなたしかいないから、頼むよ」
 と言ってくれれば意気に感じて取り組める。
 その作業がたとえトイレ掃除であっても、四の五の言わずにやらなければいけないと思う。
 (最近はお金が入ってくると言うことで、トイレ掃除というと喜ぶ人もいる)

 ところが「かなんか」である。

 佐藤という一人の人間と 「かなんか」 が同格なのだ。
 「よくわからないからとりあえず」
 「まぁ誰でもいいけどとりあえず」
 とても、人としての価値を認められている気がしない。

 作業そのものの格付けもよくない。
 それがとても汚れた仕事のように感じられるのだ。
 世の中のすべての仕事が、いかしたカッコいい仕事でないことは、長く社会にいれば誰もが知っている。

 かっこよくなくていいから、その仕事の意義を高めて欲しいのだ。
 その仕事をあなたがすることで、傍の人が楽になる。助かる。
 それをやるのが、あなたたちなのだ。その一言があれば・・

 これが、人をハンカチで使うということだ。
 人の使い方には「雑巾」と「ハンカチ」がある。

 まき散らされた汚物をハンカチで拭く人はいない。
 「誰か、雑巾もってきて」
 と言って、雑巾で拭くはずだ。

 「かなんかで」と言われた人は、まさに
 「そこらの雑巾もってきて」
 と言われたのに等しい。

 汚物はどこまで行っても汚物であることには変わりない。
 要は、それを拭く仕事を雑巾に頼むか、ハンカチに頼むかという、心配りの違いが、人の心に浸みるのだ。

 いつもはキレイな仕事しかしていないハンカチに、どうすれば汚れ仕事を引き受けてもらえるだろうか? と考えてみる。 

 では、どう言えばいいのか。

 「明日の作業ですが、佐藤さん、鈴木さんで引き受けていただけると、ありがたいのですが、どうでしょう。もし、他に誰か適任の方がいるなら、自分から頼みますから、教えてください」

 さて、こうやって 指摘されると 「かなんか。。」と言った上司は だいたい
 「いや、心の中ではそう思っていたんだけどね」
と言う。

 こういう上司ばかりの会社では、読心術を持った人じゃないと、良好な人間関係は築けない。

 人事部は新卒の採用条件に 「読心術の能力」を入れなければならない。専門学校では「読心術マスターコース」が流行るだろう。





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