日本の弓道(二〇)
オイゲン・ヘリゲルは長く技巧としての弓道から脱することができずにいた。
的に中てるには、中てようとしなければ中らない。
そう言い張った。
そんな、ある日のこと。
阿波研造師範はヘリゲルを自宅の道場に招く。
阿波研造は真っ暗闇の中、射場に立つと、
甲矢を的の中心に。続く乙矢を甲矢の筈に中てて見せた。
この奇跡的な事実に接したヘリゲルは、師の言葉を盲信することに答えがあったことを見いだす。
その後は、理屈を唱えず、一心不乱に稽古を積み、やがて阿波研造師範から、師範として認められた。
免許皆伝だ。
中てようとするうちは中らない
人は誰も志半ばにして、師のことばを疑う
師のことば
あるいは自らを師とするならば、みずからの信念
それを盲信する
疑わない
そうすれば軸がぶれることはない
「だまされたと思って・・・」
という助言のしかたがあるが、人はなかなか騙されると思っていては、行動に移せない。
信じるものに従う
その暗示を自らにかける者が道を開く
ただ、誤った道を選ばないようにする。
そのために必要なものが、幾多の経験である。
経験なくして、直感も判断もない。
2007年の夏、ジョニー・デップの小屋はまだそこにあった。
安土は痩せて崩れ落ちていたが、ヤブ蚊が多いのは変わらない。
野球部が着替えに使っているのか、ユニフォームやソックスが散乱していた。
100m離れた場所には立派な弓道場。
遠い後輩が言うには、ここ数年、弓道部は団体で全国大会にも出ているという。
なんちゃって弓道部は今や立派なスポーツ弓道部になったようだ。
だが、スポーツ弓道と弓術はかけ離れている。
高校・大学では試合があり、チームから結果を求められる。そして何よりも自らが強く結果を求める。それはスポーツとしての弓道。
かつてオイゲン・ヘリゲルが求めた弓術は、酸いも甘いも噛み分けた大人の時間にこそ、あるのではないか。
いつかもう一度バイクで走りたい。
いつかマラソンを完走したい。
いつか日本の隅々まで旅をしたい。
人生の後半にさしかかり、人は心の底に沈んだ夢を掘り起こそうとする。
かつて高校、大学で弓道を修めた人の心に、今眠っている弓術への憧憬。
やがて一人、そしてまた一人とそれを現実に変えていくのかも知れない。
(終わり)
長い間、読んでいただきありがとうございました。
書籍化のお誘いをお待ちしています。
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