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2008年1月22日 (火)

日本の弓道(二〇)

 オイゲン・ヘリゲルは長く技巧としての弓道から脱することができずにいた。
 的に中てるには、中てようとしなければ中らない。
 そう言い張った。

 そんな、ある日のこと。
 阿波研造師範はヘリゲルを自宅の道場に招く。

 阿波研造は真っ暗闇の中、射場に立つと、
 甲矢を的の中心に。続く乙矢を甲矢の筈に中てて見せた。

 この奇跡的な事実に接したヘリゲルは、師の言葉を盲信することに答えがあったことを見いだす。
 その後は、理屈を唱えず、一心不乱に稽古を積み、やがて阿波研造師範から、師範として認められた。
 免許皆伝だ。

 中てようとするうちは中らない
 人は誰も志半ばにして、師のことばを疑う

 師のことば
 あるいは自らを師とするならば、みずからの信念
 それを盲信する
 疑わない

 そうすれば軸がぶれることはない

 「だまされたと思って・・・」
という助言のしかたがあるが、人はなかなか騙されると思っていては、行動に移せない。

 信じるものに従う
 その暗示を自らにかける者が道を開く

 ただ、誤った道を選ばないようにする。
 そのために必要なものが、幾多の経験である。
 経験なくして、直感も判断もない。

 2007年の夏、ジョニー・デップの小屋はまだそこにあった。
 安土は痩せて崩れ落ちていたが、ヤブ蚊が多いのは変わらない。
 野球部が着替えに使っているのか、ユニフォームやソックスが散乱していた。
 100m離れた場所には立派な弓道場。

 遠い後輩が言うには、ここ数年、弓道部は団体で全国大会にも出ているという。
 なんちゃって弓道部は今や立派なスポーツ弓道部になったようだ。

 だが、スポーツ弓道と弓術はかけ離れている。
 高校・大学では試合があり、チームから結果を求められる。そして何よりも自らが強く結果を求める。それはスポーツとしての弓道。

 かつてオイゲン・ヘリゲルが求めた弓術は、酸いも甘いも噛み分けた大人の時間にこそ、あるのではないか。

 いつかもう一度バイクで走りたい。
 いつかマラソンを完走したい。
 いつか日本の隅々まで旅をしたい。

 人生の後半にさしかかり、人は心の底に沈んだ夢を掘り起こそうとする。

 かつて高校、大学で弓道を修めた人の心に、今眠っている弓術への憧憬。
 やがて一人、そしてまた一人とそれを現実に変えていくのかも知れない。

(終わり)

 長い間、読んでいただきありがとうございました。
 書籍化のお誘いをお待ちしています。

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