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2008年1月 3日 (木)

日本の弓道(八)

 早気を患った射手にとって、長くもった会、無心の離れ、残心は憧れ。
 かつて、伸び伸びと弓を引いていたイメージに戻りたい。

 ただでさえ手狭なジョニー・デップ小屋では、的にも巻藁にも向かわない素引きの射手は肩身が狭い。日々、腕を上げていく仲間を尻目に、的に向かうことができない惨めさを否が応でも感じてしまう。
 そんな時に見つけた一人きりの練習場は、かつてのイメージを思い起こさせてくれた。

 緩やかな動作で八節が進んでいく。
 大三からがいよいよ問題のステップだ。
 右肩から先の力を抜き、弦を肘で引いていく。

 野球でバッターが実際には腕で打っているのに「腰で打つ」と言う感覚と同じで、弓道の指導者は腕で引くのではなく「肘で引く」という言葉をつかう。

 ランナーズハイという言葉は、ほとんどのマラソン・ランナーは本に書いてある幻想の言葉だと知っているが、この日の僕には天からまさに「弓道ハイ」といえそうなイメージが降りていた。

 晴れやかな心で弦をいっぱいに引いた。
 その手を離すと、矢は素直な心を映すようにまっすぐに28m先を目指し、36cmの的の中心を射る。
 力を解きはなった弓は、左手を軸にきれいに返り、弦は左手の外側に収まる。

 ばちっ

 すごい音がして右耳がしびれた。
 瞬時にガラスが粉々に割れる音がした。

 2秒ほど全身が固まった後、すぐ辺りを見回した。
 誰も見ていなかっただろうか。
 目撃者がいないことを確認すると、痛む右耳を押さえながら、飛んだものを回収する。

 かけていたメガネが体育館の壁に当たった後、地面に落ちていた。
 初めてのメガネは3年使った。
 まだ一年しか使っていないスチールフレームのメガネは、レンズが割れ落ち、フレームはぐにゃぐにゃになった。

 あの時と同じだ。
 小学3年の時、下りの坂道で止まりきれず自転車でこけて大けがをした。
 傷んだ左足よりも、曲がったハンドルよりも、まず最初にきょろきょろと辺りを見渡した。
 誰も見ていないことを確認すると、あまりの痛さに涙が出た。

 親に連れられて駆け込んだ外科で、先生に言われた。
「誰も見てないと思ったら、安心して泣きたくなっただろ?」
 読心術者かと思ったが、先生は病院の屋上で休憩していて、一部始終を見ていたのだった。

 こんな細かい心理描写が心に焼きついたのは、それをなぞって解説した人がいたからだ。
 恩着せがましくてはいけないが、言葉を持たない子供には、その心理描写を大人が替わりにしてあげるのがいい。

 番えていない矢の替わりに、弦は耳からメガネを弾き飛ばして、きれいに弓返りの位置に納まっていた。
 2500円の小遣いではメガネの弁償もままならない。
 母は喧嘩じゃなかろうね?とだけ確認すると、替わりのメガネ代をくれた。

 
 高校生活最後、そして弓道生活最後の、快心の会がこれだった。

 結局、半年を過ぎても早気は克服できぬまま、僕は高校3年生の春を迎えていた。

つづく

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