日本の弓道(十七)
弓道では左利きが有利。
弓を押す左手は弓手(ゆんで)というが、弓を押す手と書いて押し手ともいう。
人が日常的に使う言い回しは「弓を引く」だが、弓は引くものではない。弓は押すものであり、引くのは弓ではなくて弦(つる)である。
押し手が弱いと矢の軌道は安定しない。
キロ数が重い弓を押すためにも、左腕の力が強い左利きが有利というのが、僕らの定説だった。
プロゴルフのテレビ中継を見ると、ギャラリーがティーグラウンドの両側に所狭しと並んでいる。
映像の錯覚もさることながら、ギャラリーはティーの目の前にいるように見える。
もしプロがシャンクしたら、ボールは至近距離からギャラリーを直撃し、怪我人がでるだろう。
いやプロに限って、そういう可能性はゼロに等しいという信頼関係あってこそなのだと独りごちる。
だが、ここにいる弓道家の場合、恥ずかしながらその信頼には耐えない。
もし矢こぼれしたまま、右手を離していたら・・
今頃、矢道の両脇に並ぶギャラリーの列に矢が飛び込んで、怪我人が出ていたかも知れない。
よく、あんな危ない場所で見ていられるものだと、こっちが怖くなるが、まさか「フォアー」と叫びながら打つわけにもいかない。
練習中、二度ほど弦を引きすぎたために矢が弓につっかえたことがある。
一度は師範が駆け寄り、矢を定位置に戻してくれた。
一度はそのまま離してしまったが、矢はその場にカランカランと音を立てて落ちた。
実際には、取り落とした矢はそうは遠くに飛びはしない。
解説書によると、こういう場合、矢が折れて体に刺さることがあると書いてある。
その点からも、高校生の僕らにはジュラルミンが好適だったと言える。
甲矢を○にしてこれで、7射3中。
乙矢に夢の5割がかかる。
1立ち× 地獄
2立ち◎ 天国
3立ち× 地獄
4立ち○ 天国
めまぐるしく地獄と天国を往復してきたが、不幸にも8射めの乙矢を前にして、僕はまた3立ち目と同じ「神さまからのプレゼント待ち受けモード」に入ってしまった。
高校生活最後の一矢。
結果を怖れず、求めず、虚心坦懐、無我の境地で臨む。
わけがない。
無心と言う言葉は知っていたが、その入り方は知らなかった。
心を静めることが無心の入口だと、この時は思っていたが、実際には無心はそんな方法論では手に入らない。
「どうかお願いです。高校生活を夢の5割で終わらせてください。どうか中りますように。そうすれば支えてくれたお母さんにもいい報告ができます」
この際だから、いろいろな人を動員して祈る。
ただ、ただ幸運を祈った。
そして高校生活最後の八節。
早気が突然治るわけもなく、大三からほんの少し引き分けたところで、*手は弦を離した。
祈った 狙った 外れた
あっと声が出た。
僕の矢はゆっくりとした放物線を描く。
あっと言い終わって、しばらくしてから的の右上15cmほどの安土に突き刺さり、僕はもう早気と戦わなくてよくなった。
ジョニーデップ小屋が紅の葉に包まれ始めた頃、
水曜日の6時間め、僕らはいつもの場所にいた。
週に一度の「課外クラブ」
いつもの部活とは違うものを経験させようということなのか、趣旨のよくわからない50分。
全校生徒は、運動部と文化部の中から興味本位で1つを選び、それを1年間続ける。
顧問のイシイが弓道の素人ということもあり、素人クラブ員の指導は弓道部員が交代で立つ。
その日はOBの僕とマツモトにお鉢が回ってきた。
2年間使っていたジュラルミンの矢は、練習用として道場に寄贈していた。
寄贈というのは、おこがましいぼろぼろになった矢。
それでも、練習用の矢は多ければ多いほどいい。
練習用の矢を買う学校予算は一円もないのである。
水曜日は放課後に職員会議が行われる。
大人の会議というものが、どんなものかを知らなかった。
今思えば、あの職員室のレイアウトでは、話が通り辛かっただろうと思う。
一方的に教頭や教務主任がしゃべっていたのか。
チャイムが鳴ると、ホームルームはなく、クラブ員はそれぞれの部活や帰宅へと散っていく。
最後まで二年生の女子が二人残っていた。
一人は通学のバスで毎朝隣りのバス停から乗ってくるから、よく見かける顔だ。
二人とも何を話すでもなく、手持ちぶさたですと顔に書いて、佇んでいる。
つづく
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