スポーツは力、今君はそれを手にしている
ようやく雨があがり、うっすらと晴れ間が覗いた浅草の午後。
公設のエイドに食べものがない。
そこで、沿道の応援者はコンビニに駆け込んだ。
ありったけの食べ物を買い、ランナーに配った。
自己管理に気を配るランナーにとって、私設エイドはありがたいとは思うものの、手を出すことには躊躇してしまう。
その点、今コンビニで買って来ましたという飴玉やチョコを手盆で配ってくれるのは、手が出しやすい。
空腹で雷門にさしかかり、初マラソンを7時間ぎりぎりでゴールした友達は、このことが嬉しくて泣いてしまったという。
■レース後半
■応援の列が途切れた寂しい場所
■スタミナ切れしたランナー
この3つの条件と私設エイドはマッチしている。
ゆえに、人垣ができた場所で速い時間帯のランナーに飲食を振る舞うのは、マラソンにはミスマッチな行為。
飲食の提供は選手への援助にあたるため、陸連登録者が私設エイドを利用すると失格になる。
ただし、一般参加者が失格になることはない。
私設エイドに対して、主宰者は黙認の姿勢をとる。
東京マラソン事務局は
「いいとも悪いとも言わない」
という回答を出している。
市民とランナーが交流する文化として育てたい一方、何か事故が起きた時に責任問題が厄介だからだ。
ただ、食中毒などの事故があったとしても、主宰者の責任を問うのは筋違い。
自分がどれくらいの給食が必要かは自分で考える。レースはそこから始まっているし、それがあるから楽しい。
必要なものはウェストポーチに入れて走るのが、マラソン・ランナーの常識。
私設エイドの利用は、提供者とランナーの信頼関係、ランナーの自己責任のうえに成り立っている。
栄養補給のことなんか何も考えてなくて、何にも持って来てないけど、そこにあるからもらって置こうという脳天気な利用ではなく、提供者の志に感謝し、心の交流をするのだという気持ちで利用したい。
東京マラソン2007では 3万人のランナーと、1万2千人のボランティアが注目を浴びた。
東京マラソン2008では3万2千人のランナーと、市民の交流が注目を浴びた。
五輪女子二大会連続金メダルという競技実績だけのマラソン大国なのではなく、市民スポーツとしても根付き始めたマラソン大国なのだということが証明された。
2012年ロンドン五輪がロンドンマラソンの実績をベースに選ばれたように、出遅れている2016年五輪招致レースで、東京は強力な陣形を整えたと言える。
テレビを見ているだけでは伝わりにくいが、マラソンの現場に居合わせた人には、敵も味方もない。国籍もなければ、嫌なやつもいない。
石原都知事がくり返したワンフレーズ「東京が一つになった」は、その現場においては確かな真実なのだ。
2月17日(日)横浜 神奈川県民ホール
18:00からのライブ開始を控えた佐野さんが、16:00頃、日テレでこの光景をちらっとでも見ていたら・・
制限時間ぎりぎりにゴールに飛び込んだ市民ランナーに こう言っただろう。
「スポーツは力、今君はそれを手にしている」
あるいは、この光景を見て、心を一つにできる力を持った音楽、そのタクトを振る位置にいる自分の立場を再認識して、なにか行動を起こさなければならないと思って、先の発言となったのかも知れない。
いつも、マラソンでは佐野さんの曲をたくさんウォークマンに入れて走る。
その中でも「星の下路の上」はまさに走るリズムにぴったりの曲。
ライブを聴きながら、この次のレース、この曲を10kmで聴こう。
この曲は35km、辛くなったところにいい。
そんなふうに、レースでの曲の構成を考えていた。
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