窪山哲雄と洞爺湖サミット
カンブリア宮殿に懐かしい名前を見た。
かつてはきら星のごとく表舞台にいた人だが、もうとっくに地上の星の一つに埋もれたものだと思っていた。
人は自分の関心の領域から消え去ったものについての評価が低くなる。
村上龍は「窪山さんがハウステンボスを去ってから、ずっと注目していた」と言った。
窪山哲雄 【 くぼやま てつお 】
高級リゾートホテル事業で高い実績を上げている人。
【 窪山哲雄の略歴 】
1948年
福岡県生まれ
1971年
慶応大学卒業
1973年
コーネル大学入学 ホテル経営全般を学ぶ。
1989年
東京ベイヒルトン副総支配人
1991年
NHVホテルズインターナショナル(当時の名称)社長就任。
1992年
ホテルヨーロッパなどのハウステンボスの園内直営ホテルを運営。
1993年
初めての著書「ヒューマンウェアのホテル学」日本経済新聞社 出版
1996年
北海道拓殖銀行の社員がハウステンボスを訪れ、ホテルエイペックス洞爺(1993年6月開業)の経営再建を依頼。
1997年
1月1日、ホテル運営会社 ザ・ウィンザーホテルズ・インターナショナルを設立。
3月31日、NHVホテルズインターナショナル退社
7月1日、ホテルエイペックス洞爺からザ・ウィンザーホテル洞爺に改名。
1998年
3月22日、北海道拓殖銀行倒産(1997年11月)に伴い、ザ・ウィンザーホテル洞爺 閉鎖
2000年
10月、セコム損保と契約。ザ・ウィンザーホテル洞爺再開の目処が立つ。
2002年
ザ・ウィンザーホテル洞爺 再開業
2008年
7月7日~9日、ザ・ウィンザーホテル洞爺で 洞爺湖サミットを開催
創業者の神近義邦、総料理長の上柿元勝、そしてホテルのスペシャリスト窪山哲雄が紡ぎ出すハウステンボスのストーリーに心酔していたファンは、興ざめした。
去られた側には快く思わない人が多いし、去ったほうの窪山も去らざるを得なかった理由を2002年7月の著書、「プロジェクト・ホテルズ」小学館に書いている。
部外者には本当のことはわからない。
そして、そんな話を知りたくも、読みたくもない。
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