育成選手
育成を目的としたプロ野球の契約制度。
2005年11月時点では「準支配下選手」という仮称がついていたが、正式に育成選手と呼ぶことになった。
プロ野球の支配下登録選手枠は1球団あたり70人までだが、それとは別枠で選手契約ができる。
経済的にゆとりがある、あるいは低い投資金額で生え抜きの選手を育てたいという球団はこの制度を活用している。
育成選手は100番以上の背番号を着ける。
■対象となる選手
育成ドラフト(二次ドラフト)指名選手
プロ野球を自由契約になった選手
■最低年俸保証:240万円(支配下選手は440万円)
■ファームの試合出場は可能(1球団5人まで同時出場できる)
■一軍の試合には出場できない
2005年
10月21日、プロ野球実行委員会で承認された。
巨人はこの制度を使い、一旦2005年オフに解雇したばかりの平岡政樹、横川雄介と再契約した。
12月1日、育成ドラフト開催
2007年
中村紀洋は2006年オフにトレードを直訴してオリックスを自由契約から自由契約を勝ち取った。しかし各球団は獲得に二の足を踏む。日本球界には、ある球団と契約でごたついたり、社会的な問題となった選手には球界をあげて声をかけないという空気がある。ただ1球団を除いては。
中村は春季キャンプ途中に中日が育成選手として契約。207の背番号を与える。
その時点で充分に想像できたことだが、開幕前には支配下選手登録され、結果的には年間を通してレギュラーとして主軸を打った。
中日が育成選手として契約したことで、中村に手厳しく接しているというイメージが生まれた。春先にはその契約を訝しむ報道は見られなかった。
このことは、別に契約違反でもなんでもない。
中日球団は育成選手制度の精神に則って検討し、実力に大きな疑問符がついたから育成選手として契約したのだろう。
初めからクリーンアップを打たせるつもりならば、育成選手としてではなく支配下選手として契約するものだということはプロ野球に身を置く者ならば誰にだってわかる。
ところが、中村を実際にプレーさせてみたら、思いの外実力はさび付いておらず、慌てて支配下契約に踏み切った。そう考えるのが自然である。
5月9日
巨人の山口投手が、育成選手からプロ契約した投手として初勝利。
2008年
巨人 隠善智也がオープン戦で一軍に帯同して好成績を収めており、開幕までに支配下登録される見通しとなっている。
育成選手で契約したところが瓢箪から駒、あっと驚く大選手が誕生した。
育成選手の生い立ちには、そんなドラマが待たれていたはずだ。
2007年、晴れてその育成選手からクリーンアップを打ち「日本一」に貢献するというストーリーが生まれた。
それなのに、晴れがましくそれを語り合うファンはいない。
「育成選手」の価値をねじ曲げてしまった人たちについては、これからも大きな声で語られることはないだろう。
そういう白黒のつかない責任は有耶無耶にしなければならない。
また、次の世代の教材が一つ生まれた。
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