はやらない心 スタート→2km
5時間30分以内のプラカードの後ろに並ぶ。位置についた時ペースブレスレットを忘れたことに気付いた。
「まぁいいや」と口について出たが、実はそういうわけにはいかない。
レース中盤は意識がもうろうとして、暗算能力が落ちる。普通の計算ができなくなる。
その時すぐ、ウェストポーチに予備を持ってきたことを思い出した。ポーチをまさぐると、確かにはいっている。
転ばぬ先の杖。この過剰とも思える準備が、完走に大きく役立った。
ヘリコプターが上空を何度も旋回している。プロペラの風を切る音で、とても距離が近いことがわかる。墜ちたら大変なことだ。大会は中止になるだろうか。いや難を逃れた人だけで走るのだろうか。
→スタートライン
去年の湘南国際では号砲が聞こえなかった。
スタートラインから最後尾までは数百メートルあり、ピストルの音が聞こえることはない。号砲が鳴ればわかるのだが、スタートの合図で号砲を打ちますという事前の説明は、過去3つの大会で一度も見たことはない。
今年も聞こえないものと思い、時計が10時を指すと同時にストップウォッチをスタートさせる。
今回、号砲は聞こえたが、僕らはまだ一歩も動けない。5~6歩進んだと思うと止まる。しばらくはその繰り返し。流れるようなウォーキングが始まると、並んでいた5時間30分プラカードから、スタートラインまでの距離は、思いの外短かった。
スタートラインでラップボタンを押す。6分39秒 ロスタイムを15分みてペース計画を立てているので、ここで8分の貯金ができた。今日はこの貯金を大切にしたい。
0→1km
マラソンは年に1度と決めている。1年間ずっとこの日のために備えてきたわけではないが、ここで失敗すれば、再チャレンジは1年後。去年、湘南で完走に失敗しているだけに、2年連続の失敗は許されない。
初マラソンで完走した時、それは日々の大きな自信になった。自分は特別な誇りを手に入れたという実感が、日々の暮らしに横たわっていた。
二年め、湘南の31.3kmで止められてからは、下を向いて暮らす日が続いた。そして、何かを変えなければと言う強い気持ちが生まれた。よい結果からも、悪い結果からも学ぶことはできる。ただ、今年はよい結果が欲しい。完走という勝ち星を先行させたい。
走り出してしばらくして、気分が乗っていないのに気付く。競技場から公道に出てもまだ、今日走るのか、これから本当に走るのかと考えている。高揚感がない。
「レースは30kmから。それまではジョギング」*
という瀬古利彦の言葉を胸にしまっていたからかも知れない。
*「マラソンの神髄」瀬古利彦
いきなりの陸橋。練習でやった通り、腕だけで足を使わずに進む。
今日の出で立ちは半袖のシャツと短パン。
初マラソン、3月の荒川は後半に寒くなった。
その反省をふまえ、二度目のマラソン3月の湘南は長袖にしたが、炎天下のもと暑くて仕方なかった。
そして今回は1か月遅い4月の大会。迷わず半袖を選んだ。だが、ここにきて過去のレースでは気温があまり上がっていないことを知った。
2005 晴 17度(最高気温)
2006 曇 8度
2007 晴 14度
そして、ここ一週間、土浦の天気予報。当日は曇り、予想気温は16度と出ている。
そこで残り1週間になって、アームウォーマーを用立てることにした。ミズノのブレスサーモをB&Dに買いに行くと、春先のこの時期はもうブレスサーモは置いていないという。結局、ミズノの直営ネットショップで取り寄せた。アームウォーマーならば、暑くなれば外すことができる。
両腕に装着してスタート。お陰で去年のようにスタート地点で寒さに震えずに済んだ。
1→2km
マラソン大会はどこも、第一給水所(エイド)は5km過ぎから。
スタートから5kmは給水できない。そこから先は2.5kmから3kmごとに給水所があるので、脱水することはない。
だが、第一給水所まではスタート前の待ち時間、ロスタイム、5kmの所用時間で、1時間近く給水できないことになる。
そこで、2度めのマラソンからは、1回分の給水をポーチに入れている。
2.5kmで飲もうと思っていたが、1km過ぎで早くも喉が渇く。給水は喉が渇いた時では遅い。乾く前に飲むのだ。そうマラソンの本に書いてある。
処方箋薬局でくれる飲み薬のミニボトルに入れてきたダカラを飲む。
顎を空に向け、最後の一滴まで大切にする。飲み終えたボトルは、またウェストポーチにしまう。
レース当日まで治らなかった腹具合が読めない。
途中でトイレに駆け込むということがありませんように。祈ると言うよりは、体を信じて忘れるしかない。
2→3km
右端を走っていると、子どもが2人ハイタッチの構えをして待っていてくれる。さっそく今日初めのハイタッチ。
これが勇気になる。今日も一人でも多くの人とハイタッチをしたい。
去年の湘南「ハイタッチ無料でできます」というプラカードを作って応援してくれた若者の団体を思い出す。
一度もマラソンを沿道で応援したことはないが、応援する時は、彼らに学びたい。
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