身近な福祉とマラソン 25→30km
25→26km
今日もまた、膝に痛みが出ないことをありがたく思う。
もうひとつありがたいと思っているのは、音楽が安定的に供給されていることだ。
ヘッドホンはコードがばたつかないよう、ゼッケンの裏を通して、ゼッケンの上1か所でクリップ留め。両耳はセラポアテープをイアーレシーバーの上に貼り固定している。
6時間のマラソンの間、ずっと音楽が聴けるのは、技術の進歩のお陰だ。
■ウォークマンとメディアの歴史
1979年 7月1日 カセットテープ
1984年 11月10日 CD
1992年 11月1日 MD
1999年 12月21日 メモリースティック
2000年6月10日 ネットワークウォークマン。100円ライター並の大きさになる。
2004年7月1日 HDD(20GB)内臓ネットワークウォークマン。
今回は6時間85曲のセットリストを持ってきた。
もし、20年前にマラソンを始めていたら、カセットウォークマン+120分テープのカセットを5本。
2時間ごとにテープを替えなければならない。
さらに、乾電池も交換しなければならない。
もし、そんな人がいたら、まるでドリフのギャグである。
もし10年前にマラソンを始めていたら、本体は小さくなったが、バッテリーは予備電池が必要だろう。
2年前、マラソンを始めた年は、音楽プレーヤーの容量が128MBだったため、およそ4時間分の曲しか入らず、それをオートリピートにして2度聴いた。
26→27km
25→26kmの1kmは10分16秒、がくんとペースが落ちた。
ところが、26→27kmは5分56秒・・・
いくらなんでも、30kmを過ぎて、5分台はあり得ない。
恐らく、26kmの距離表示がずれていたのだろう。
距離表示の看板は、前半ではボランティアが手で持っていたが、後半はほぼすべてが標識や看板などに結わえ付けてあった。
足下を見れば、道路には正確な距離表示があったのだが、それは後でミクシィの「かすみがうらマラソン」のコミュニティで読んで知った。
左手には、遙か彼方まで田んぼが広がる。その向こうにかすみがうらが見える。曇り空。
かすみがうらは、走っても走っても動かず、荒涼として広い。
あれは湖と言うより、もう海だな。
テレビドラマ「マラソン」では、このあたりで主人公はかすみがうら沿いを疾走している。
だが、実際のコースには、かすみがうら沿いを走る所はない。
湖に沿って走れば、爽快な気持ちかも知れないが、かなりの風を受けるはずだ。
景色をとるか、無風をとるかと言われたら、迷わず後者。
テレビで見たあの風景の中を走りたいと思って来たランナーも、後半のこのあたりでは、そんな景色のことはすっかり忘れていただろう。
27→28km
右足の薬指が痛む。
去年のレースでも同じ場所が痛くなった。これは靴下の問題かと思っていた。
レースで履く靴下は、裏返して丹念に毛玉を取り除いてきた。
それでも今年もまた痛みは起きた。
一度、経験したことは頭で納得できるので、怖さがない。
レース後にインソールについた指位置の跡をみると、薬指が靴に当たっていることがわかった。
靴コレクターを長くやってきて、常に50足を在庫している。
靴を買う時には、入念に足の指が靴に当たらないかをチェックする。
それなのに、こともあろうか、マラソンを走る靴で、指が靴に当たっているとは思わなかった。
次に新しいマラソンシューズを買う時は、ソール形状の違う靴を買うことにしよう。
28→29km
27→28の1kmは、エイドがあったこともあり、9分22秒。
25→30の5km区間、目標ラップは 1km8分。1分以上も遅い。
ここで、ヨムマラソンを思い出した。
直前に教えてもらったマラソン実録本。結果的に、この本を読んでいたことで、高い意識を保つことができた。
疲れていても、約束のタイムを守るために粘る。
過去のマラソンならば、自分はこの程度だろう。これ以上がんばると、どこかに故障が起きて、走れなくなるかも知れない。それでも元も子もない。
そう考えて、なすがままにペースを落としていただろう。
だが、自分には完走とDNF、成功と失敗、それぞれ1度ずつの経験がある。
まだいける。体はもってくれる。
いくか、いかないか。あとは気持ちの問題だ。
自分との約束を守らなければ。
下半身にムリはさせられないが、必死に手を振って、上半身を捻る。
そして、この1kmは7分34秒。このレース最後の7分台となった。
29→30km
いよいよ区切りの30kmがきた。
だが、ここで気合いが入るほど、もう元気ではない。
時おり、盲人ランナーと伴走者を追い抜くようになった。
1991年に始まったかすみがうらマラソンの正式名称は
「かすみがうらマラソン兼国際盲人マラソンかすみがうら大会」
身近な福祉をテーマとしており、1995年の第5回記念大会から盲人の部を併設している。
盲人ランナーの頑張りもさることながら、伴走者の圧倒的な体力と知力に敬服する。
伴走とは、相手のペースに合わせて走るだけかと思っていた。
前方の路面に凹凸があれば、ロープを引き寄せる。
前を走るランナーとの距離を測って、コース取りを変え
「今31kmの看板みえましたよ」「ちょっと、上げましょうか?」と声をかける。
なんという心の強さだろう。
いつの日か、マラソンを余裕で走れるようになったら、
・カメラを持って走りたい
・音楽無しで走りたい
・パワージェルを持たずに走りたい
・テーピング無しで走りたい
いくつかの夢がある。だが、それはなんと凡庸な夢であったか。
僕があの伴走者の強さを手に入れることはできないだろう。
30kmのスプリット
目標 3時間54分
実測 3時間54分
25kmで、2分あった貯金が ついに 0分になった。
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