「お役所的な言い方で悪いけど、正式決定はIDO法で、就任一か月前までに告示するということになっている。悪く思わないで欲しいんだけど、実は今日の同時間帯にあと八人の候補者と会っているんだ。9月1日に辞令が届くので、そこのところはよろしく頼む」
そこのところね..
橋本の口ぶりからすれば、他の八人はダミーで、お前で決まりだからということだろう。後は口の堅さが最終試験というところか。
そう思った時、橋本の肩越しに、にっこり笑う女性の映像が見えた。
物静かなたたずまい。見たことのない笑顔。恐らく、近いうちに出会う人なのだろう。
2034年9月1日、就任 1ヶ月前IDO法による告示リミットの日。
KLにいる僕の元に、IDO就任の辞令が届いた。
独立立法決裁責任者 佐野龍一 東京大学卒 福岡県出身
2034年10月1日、IDO法が施行され、初代IDOが告示された。
同法施行後も、総理大臣の権限は従来と変わらず、条約・行政・立法に及ぶ。
IDOは立法に特化した、独立決裁責任者と位置づけられた。
日本の六法である憲法・民法・刑法・商法・民事訴訟法・刑事訴訟法のうち、憲法は国会と国民投票で決める。条約は政府が外国と約束してきて、国会が批准を判断する。
法律の細目を決めた命令である政令(内閣)、省令(中央省庁)、地域住民に対する規制である条例(地方自治体)、国会議員規則(国会)、最高裁職員規則(最高裁)については従来通り。
IDOが独立決裁する法律は民法・刑法・商法・民事訴訟法・刑事訴訟法の五法。ただし、行政・司法に踏み込む立法については一定の制限がある。
FE
極東アジア経済共同体(Far East)は、EAECを発展的に解消して、2019年9月に組織された。
2034年現在、24の国と地域が加盟している。
東アジアの経済共同体は、マハティール元マレーシア首相のライフワークったものだ。それに敬意を表するという意味もあって、本部はマレーシアの首都、KLに置かれた。
マレーシアは、マレー系、インド系など三つの民族が共に暮らす国。
ラーマン初代大統領がマレー人以外を排除せず、華人とインド人にも権限を分割したことで、共存の国ができあがった。
差異を楽しむ文化があれば、人は楽しく豊かになれる。
首都の都市名クアラルンプールはマレー語で「濁った川が交わるところ」
玉石混淆のこの街こそが、アジアの拠点にふさわしい。
当時の石井総理が本部を東京に置くと言い続けていたら、設立そのものが流れていたかも知れない。
僕は設立前の一年間、法務省からFE設立準備委員会に出向した。
外務省が各省に吸収されて以来、海外プロジェクトは餅は餅屋で人が派遣される。任務はFE法の草案固め。
着任してまだ間もない頃、その「お茶会事件」は起きた。
当初、発展途上国は、FE拠出金を各国のGDP応分負担とする国連(UN)方式を主張した。これに対して日本は各国一律を主張。途上国にしてみれば、ノブレスオブリージュよろしく、お金持ちこそ応分の責務を果たせということだ。
僕は反論した。
援助とはまず、5歳までに 30%以上の子どもが命を失っている、シエラレオネやアンゴラのような国にすべきものです。それから次にODA。そういった援助の拠出額をGNP比率で義務づけようと言うのならば話しはわかります。
ただ、今話し合っている拠出金は日々の運営費であり、会費のようなものです。
これから手を合わせて経済共同体を作ろうという時に、会費をケチろうなんてせこいでしょう。皆が同じテーブルについて、同じお茶を飲みながら話すならば、皆で同じお茶代を出すのが五分と五分のつきあいというものです。
言ったあと、しまったと思った。
拠出金と食糧援助を一緒くたにした言い方もさることながら、各国の代表を相手に“せこい”は品がなかった。
僕は自分の失言を引きずる人間だ。一度、やらかすと 5年くらいずっと悔やんでいる。
この時のことばは僕の心に錨を降ろし、ことある毎に再登場して僕を責めた。
結果的に日本の主張が通り、拠出金は一律負担と決まった。
一年後、FE発足パーティの席。
折衝のテーブルを並べた連中が、グラスを片手にやってきた。
「あの時のリュウイチの“せこい”には笑ったけど、悪い印象は持たなかったよ。日本の政治家は何を言っているのか、意味がわからないけど、日本の外交官は、はっきりとモノを言うからね。ただ、あまりに英語が流ちょうなんで、ちょっとだけむっとしたかも知れないな」
博多の実家には、日本文化大好きを自認する、変な外人がよく出入りしていた。
英語がぺらぺらだった父譲りなのか、高校の頃から発音がいいねと、よく外人に誉められた。英語の歌が得意だったから、ロックボーカリストになって、ステージで「準備はいいかい?」と言ってみたかった。
「でも、どうしてFEに残らないんだ?日本にレディが待っているのか?だったら、こっちに呼べばいいじゃないか」
日本には誰も待っていない。逆に僕がKLで待っていたのだ。
僕は言葉が過ぎることも多かったけれど、それは、ここに来て働く人の仕事をやりやすくするためだ。
その成果としてFE法には、かなり日本の主張が盛り込まれた。
そして、来るべき人が来ないとわかった時、けじめとして、このFEプロジェクトから一旦離れることにした。自分で仕立てた、自分に都合のいい環境に身を置くことは、僕の流儀に反するからだ。
ただ表向きはそうだが、理由は別にもある。それは僕の生き方にある。
いつの頃からか、僕の人生の使命は、仕組みを作ることだと思っている。
その時、次は日本に戻って、民間人すなわちサラリーマンをやってみたかった。
KLから日本への機内で、橋本が今回のIDO選考の経緯を教えてくれた。
「まず最初に外したのは、見るからに例の国の息がかかってますという奴だな。それから、政治・経済・労働・宗教、各組織の経験者。あとは、国内で立法と司法の経験者、これも外した。
それで残った中から、今度は官僚まぁ特に法務省な。民間・UN・経済共同体、できるだけ異なる立場を経験していること。あとは、お前にはちょっと言いにくいけど、いろいろな人生経験。そしたら、こうなった」
こうなったって、そんなの俺しかいないじゃん。
「お前、何か知ってたのか?昔からそうなんだよな。すべてを見透かしてるみたいで、お前といると、気味が悪い時があるんだ」
選ばれた理由の中には、こういう一言が欲しいと思っていた言葉は含まれていなかった。僕のこだわりに過ぎない言葉だが。
7月に交渉に来た時、橋本に「就任の四条件」を出しておいた。
その中で特に念を押したのが、スタッフ19人体制だ。
IDOをやるからには、毎日最低一つは法律をつくりたい。
千日で千の法律。
それに耐える支援体制として、9省庁から男女1人ずつ、合計18人をつけて欲しい。ただし、経歴は入省8年未満。そしてあと1人、調整役の秘書を入れて、合わせて19人。
「いつ考えたんだよ?こっちは今日初めて打診に来てるんだぞ?ほんと気味悪いな、お前は。相変わらず…」
変わってるけどね。
橋本はどんなジョークにも、滅多に笑わない。
「自分をカリスマに見せる方法」という本に、カリスマはあまり笑わない方がいい。と書いてあって、それを忠実に守っているんじゃないのか。
東大・法務省・総合日本商事と僕が行った先々には、笑わない日本人がたくさんいた。
それに比べるとUNや、ここFEの仲間はよく笑う。
二 軸と使命
もう作って、いいんですよね?
「えぇ」
幸田千絵さんがにっこり笑う。
二十歳の頃は、中学生に間違われたというのは無理もない。
童顔の笑顔は目元が涼しい。
(明日につづく)