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2008年5月の31件の記事

2008年5月31日 (土)

キムタクのCHANGEと、ロマンが来る

 政治と行政については素人である。
 だから、いつも勉強したことは、ど素人!政治経済講座としてまとめる。

 ある時、国土交通省が主催するイベントの観客席に座っていた。
 著名な来賓が次から次に壇上に立ち、持論を展開している。

 そこで、あることに気づいた。
 政治家の話は、佳境にさしかかったところで、ロマンが来るのである。

 後に大学教授に転身したその政治家は、淡々とそのプロジェクトの意義を説いていた。
 すると、持ち時間が終わりに近づいた頃、いきなり声が1オクターブ上がった。

 居眠りしていた人が、数人飛び起きた。

「このプロジェクトを成功させて、パラダイム・チェンジを起こそうではありませんかっ」
「おおいに国民的議論を、やっていこうではありませんかっ」

 当時は、まだなかった言葉だが、まさに どん引き。

 声は大きくなったのだが、新たな論点を提示したわけではない。
 まさに、彼の理想、つまりロマンを語ったのだ。
 ロマンは小さい声では語れないらしい。

 その時、政治家というものは、起承転結の結びには、大きな声でロマンを語る人種なのだと理解した。
 それ以来、政治家が大きく息を吸い込むと
「あ、やばい。ロマンが来る」
 と身構えるようになった。


 5月12日から始まったフジテレビ系列のドラマ「CHANGE」では、
キムタクが放送開始からわずか、2週間で総理大臣になった。
 加治隆介でさえ、コミックを10巻以上費やしたというのに、異例の出世だ。さすがキムタク。

 キムタクは聴衆を前にして、毎週、決め言葉を言う。
「世の中に必要な悪があるなんて、子供たちに教えたくありません!」
「僕のすべては、皆さんと同じです」

 この決め言葉が、視聴者をキムタク支持に引き込んでいく。
 この決め言葉も、ロマンだ。
 声は1オクターブ上がっている。

 だが、キムタクのロマンが来ても、どん引きにはならない。
 どこが違うのか?

 キムタクのロマンは、素人が聞いていて、一般人の見識で理解できる。それは、中身が正論だからだ。
 政治家のロマンは、素人には言葉の意味がわからない。
 一般人の見識で、それが役に立つものだとは理解しがたい。
 一見正論でも、論理が破たんしているものが多い。

 「小泉政権の悪政で、格差が広がりました」
 と言うが、失業率が下がり、年収1,000万円の人と年収 0円だった差が、年収1,000万円と200万円になったことを「格差が広がった」というのは、おかしい。

 「医療負担を上げて、お年寄りに死ねと言うのですか?ちょっと軍事費を下げればいいのです」
 と言うが、医療負担を上げなければならないのは、過去に借金を先送りしてきたことに原因があり、軍事費とはなんの関係もない。

 マイクでがなり立て、住宅街の静寂を打ち破るならば、せめて、八方に筋の通った正論にしてもらいたい。



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2008年5月30日 (金)

匿名メールアドレス禁止法

 彼女は、相手が理解するのに十分な単語だけで話す。
 言い訳のための付け添え、あげ足をとられぬよう先回りした言い回し、いわゆる官僚的なことばは使わない。

 あえてあと一言を言わない。
 その潔さは、あなたを信頼していますというメッセージだ。
 寄せられた信頼に、人は信頼で応える。言い訳は言い訳を呼び、あげ足取りをする人には、あげ足取りが返ってくる。彼女は人と人が信頼し合うことの本質を、よく理解している。

 IDO任期の5年間、就業日で1,000日。毎日、最低 1つの新法を作る。IDO千法、その記念すべき第 1号は、あとに続く新法の礎になるものにしようと思っていた。

 匿名メールアドレス禁止法
 メールアドレス取得時は、住民基本台帳番号の登録を必須項目とする。
 メールサービス事業者はアドレス申請画面で、住基番号を必須としなければならない。
 事業者は、申込みを受けると、住基ネットセンターに照会データを送る。
 センターは 10分以内に回答する。インターフェースのデータ項目は「住民基本台帳番号」「氏名漢字」のみ。
 ここでデータの不整合があった場合、メールアドレスは発行できない。不正申請者には、マイナス50万ポイントが付与される。

 また事業者は、検察官の求めがあった場合、犯罪に使われた恐れのあるメールアドレスについて、登録全情報を開示しなければならない。
 一人でいくつでも取得でき、ほとんどが匿名登録されていたフリーアドレスは「フリーアドレス破棄法」により、3か月以内に全廃する。

 29年前の2005年には、特定電子メール法が施行されて「発信者の詐称」「迷惑メールの送信」が禁止されていた(一年以下または 100万円以下の罰金)
 しかし、匿名のフリーアドレスには規制が無く、それがネット上で個人、企業の誹謗中傷に利用されてきた。

 気味の悪い匿名社会は、真っ当な人々から、情報発信意欲を奪った。

 「ゲームが脳に悪い?根拠はあるのか?」
 「外国人移住者を受け入れたら、ますます田舎が寂れるだと?地方をバカにしてるのか?」

 フリーアドレスから発信されるあげ足とりを嫌って、ブログの書き手は全盛時の3分の1。3百万人代に落ち込んでいる。

 情報発信側は、企業Webページのブランドを背負っている。
 フリーアドレスのブラックメーラー達は、相手が強く反論できないことにつけ込み、言いたい放題をくり返す。こんな横着者から真摯な著作者を守らなければならない。

 @禁止法
 「アットマーク禁止法」では、2035年2月以降、メールアドレスに@の使用を禁止した。既存のメールアドレスを一掃するためだ。
 @に替わる記号は凸。
 これ以降、すべてのメール事業者は、@を含むメールアドレスから発信されたメールを、迷惑メールとして、メールサーバー側で削除しなければならない。
 僕のアドレスは ido凸ido.jp となった。

 会員から個人情報を取得しているプロバイダーが発行したメールアドレスは、@を凸に置き換えるだけで使うことができる。
 フリーアドレス業者にはドメイン名(@から右側の部分)の変更を義務づけ、旧フリーアドレスのドメインも削除対象とした。

 2000年代から凹む(へこむ)が、落胆を表すことばとして広く使われるようになった。僕はこの日本特有の凸という文字に、メールが人を楽しい気持ちにさせるという願いを込めた。

 また、迷惑メールの巣窟である海外サーバー対策として、後に設置した「独立通信委員会」の管轄下、国内外すべてのサーバーを登録制とした。
 安全が確認されていないサーバーからのメールは、すべて水際で削除する。登録されている海外サーバーに限り@アドレスを通すようにした。

 電子政府
 僕が法務省に入った年に成立した電子三権法により、日本政府は 2020年に電子化を終え、世の中はコンパクトになった。そうしなければ、国と地方の財政は破たんしていた。
 中央省庁と地方公共団体の公務員数は、2010年ピーク時の半分に減った。
 ただ、住民による電子投票だけが普及していなかった。

 「インターネットや携帯が使えないお年寄りはどうする?」
 こういう議員が全国にいたからだ。いつの世でも、こうして反対するのは、導入されると困る人達だ。

 投票率が高い高齢者層だけに、政治家が過敏になる時代は終わりにしなければならない。
 マクロで見て環境・食料・エネルギー。
 ミクロで見て年金・税金。
 地球も国もボロボロにしておいて、次世代のこども達に「はい、ひどい国になっちゃったけど、後はよろしく」と渡す訳にはいかない。最悪でも現状維持で渡すためには、誰かに気兼ねしてはいられない。

 すべての投票を電子化する法
 2034年度いっぱいで、すべての投票を電子化した。
 「お年寄りはどうする」
 そう、ご心配いただいた政治家の声にも答えなければならないので、投票方法の訪問指導を制度化した。
 全国に350のNPOが設立され、その中心メンバーは主婦。
 原資は日本ポイント制度。指導一回は3000ポイント。
 指導といっても、携帯電話、地上デジタルTVのいずれかが、ほぼ全家庭に普及していたので、内容はごく簡単なもので、技術料と言うよりは世間話料といえた。



 次回は6月2日(月)に掲載します。



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2008年5月29日 (木)

FE 極東アジア経済共同体

 「お役所的な言い方で悪いけど、正式決定はIDO法で、就任一か月前までに告示するということになっている。悪く思わないで欲しいんだけど、実は今日の同時間帯にあと八人の候補者と会っているんだ。9月1日に辞令が届くので、そこのところはよろしく頼む」

 

 そこのところね..
 橋本の口ぶりからすれば、他の八人はダミーで、お前で決まりだからということだろう。後は口の堅さが最終試験というところか。
 そう思った時、橋本の肩越しに、にっこり笑う女性の映像が見えた。
 物静かなたたずまい。見たことのない笑顔。恐らく、近いうちに出会う人なのだろう。

 

 2034年9月1日、就任 1ヶ月前IDO法による告示リミットの日。
 KLにいる僕の元に、IDO就任の辞令が届いた。

 

 独立立法決裁責任者 佐野龍一 東京大学卒 福岡県出身
 2034年10月1日、IDO法が施行され、初代IDOが告示された。

 

 同法施行後も、総理大臣の権限は従来と変わらず、条約・行政・立法に及ぶ。
 IDOは立法に特化した、独立決裁責任者と位置づけられた。

 

 日本の六法である憲法・民法・刑法・商法・民事訴訟法・刑事訴訟法のうち、憲法は国会と国民投票で決める。条約は政府が外国と約束してきて、国会が批准を判断する。
 法律の細目を決めた命令である政令(内閣)、省令(中央省庁)、地域住民に対する規制である条例(地方自治体)、国会議員規則(国会)、最高裁職員規則(最高裁)については従来通り。
 IDOが独立決裁する法律は民法・刑法・商法・民事訴訟法・刑事訴訟法の五法。ただし、行政・司法に踏み込む立法については一定の制限がある。

 

 FE
 極東アジア経済共同体(Far East)は、EAECを発展的に解消して、2019年9月に組織された。
 2034年現在、24の国と地域が加盟している。
 東アジアの経済共同体は、マハティール元マレーシア首相のライフワークったものだ。それに敬意を表するという意味もあって、本部はマレーシアの首都、KLに置かれた。

 

 マレーシアは、マレー系、インド系など三つの民族が共に暮らす国。
 ラーマン初代大統領がマレー人以外を排除せず、華人とインド人にも権限を分割したことで、共存の国ができあがった。

 

 差異を楽しむ文化があれば、人は楽しく豊かになれる。
 首都の都市名クアラルンプールはマレー語で「濁った川が交わるところ」
 玉石混淆のこの街こそが、アジアの拠点にふさわしい。
 当時の石井総理が本部を東京に置くと言い続けていたら、設立そのものが流れていたかも知れない。

 

 僕は設立前の一年間、法務省からFE設立準備委員会に出向した。
 外務省が各省に吸収されて以来、海外プロジェクトは餅は餅屋で人が派遣される。任務はFE法の草案固め。

 

 着任してまだ間もない頃、その「お茶会事件」は起きた。

 

 当初、発展途上国は、FE拠出金を各国のGDP応分負担とする国連(UN)方式を主張した。これに対して日本は各国一律を主張。途上国にしてみれば、ノブレスオブリージュよろしく、お金持ちこそ応分の責務を果たせということだ。
 僕は反論した。

 

 援助とはまず、5歳までに 30%以上の子どもが命を失っている、シエラレオネやアンゴラのような国にすべきものです。それから次にODA。そういった援助の拠出額をGNP比率で義務づけようと言うのならば話しはわかります。
 ただ、今話し合っている拠出金は日々の運営費であり、会費のようなものです。
 これから手を合わせて経済共同体を作ろうという時に、会費をケチろうなんてせこいでしょう。皆が同じテーブルについて、同じお茶を飲みながら話すならば、皆で同じお茶代を出すのが五分と五分のつきあいというものです。

 

 言ったあと、しまったと思った。
 拠出金と食糧援助を一緒くたにした言い方もさることながら、各国の代表を相手に“せこい”は品がなかった。
 僕は自分の失言を引きずる人間だ。一度、やらかすと 5年くらいずっと悔やんでいる。
 この時のことばは僕の心に錨を降ろし、ことある毎に再登場して僕を責めた。

 

 結果的に日本の主張が通り、拠出金は一律負担と決まった。
 一年後、FE発足パーティの席。
 折衝のテーブルを並べた連中が、グラスを片手にやってきた。
 「あの時のリュウイチの“せこい”には笑ったけど、悪い印象は持たなかったよ。日本の政治家は何を言っているのか、意味がわからないけど、日本の外交官は、はっきりとモノを言うからね。ただ、あまりに英語が流ちょうなんで、ちょっとだけむっとしたかも知れないな」

 

 博多の実家には、日本文化大好きを自認する、変な外人がよく出入りしていた。
 英語がぺらぺらだった父譲りなのか、高校の頃から発音がいいねと、よく外人に誉められた。英語の歌が得意だったから、ロックボーカリストになって、ステージで「準備はいいかい?」と言ってみたかった。

 

 「でも、どうしてFEに残らないんだ?日本にレディが待っているのか?だったら、こっちに呼べばいいじゃないか」

 

 日本には誰も待っていない。逆に僕がKLで待っていたのだ。
 僕は言葉が過ぎることも多かったけれど、それは、ここに来て働く人の仕事をやりやすくするためだ。
 その成果としてFE法には、かなり日本の主張が盛り込まれた。

 

 そして、来るべき人が来ないとわかった時、けじめとして、このFEプロジェクトから一旦離れることにした。自分で仕立てた、自分に都合のいい環境に身を置くことは、僕の流儀に反するからだ。

 

 ただ表向きはそうだが、理由は別にもある。それは僕の生き方にある。
 いつの頃からか、僕の人生の使命は、仕組みを作ることだと思っている。
 その時、次は日本に戻って、民間人すなわちサラリーマンをやってみたかった。

 

 KLから日本への機内で、橋本が今回のIDO選考の経緯を教えてくれた。

 

 「まず最初に外したのは、見るからに例の国の息がかかってますという奴だな。それから、政治・経済・労働・宗教、各組織の経験者。あとは、国内で立法と司法の経験者、これも外した。
 それで残った中から、今度は官僚まぁ特に法務省な。民間・UN・経済共同体、できるだけ異なる立場を経験していること。あとは、お前にはちょっと言いにくいけど、いろいろな人生経験。そしたら、こうなった」
 こうなったって、そんなの俺しかいないじゃん。

 

 「お前、何か知ってたのか?昔からそうなんだよな。すべてを見透かしてるみたいで、お前といると、気味が悪い時があるんだ」
 選ばれた理由の中には、こういう一言が欲しいと思っていた言葉は含まれていなかった。僕のこだわりに過ぎない言葉だが。

 

 7月に交渉に来た時、橋本に「就任の四条件」を出しておいた。
 その中で特に念を押したのが、スタッフ19人体制だ。
 IDOをやるからには、毎日最低一つは法律をつくりたい。
 千日で千の法律。
 それに耐える支援体制として、9省庁から男女1人ずつ、合計18人をつけて欲しい。ただし、経歴は入省8年未満。そしてあと1人、調整役の秘書を入れて、合わせて19人。

 

 「いつ考えたんだよ?こっちは今日初めて打診に来てるんだぞ?ほんと気味悪いな、お前は。相変わらず…」
 変わってるけどね。
 橋本はどんなジョークにも、滅多に笑わない。
 「自分をカリスマに見せる方法」という本に、カリスマはあまり笑わない方がいい。と書いてあって、それを忠実に守っているんじゃないのか。
 東大・法務省・総合日本商事と僕が行った先々には、笑わない日本人がたくさんいた。
 それに比べるとUNや、ここFEの仲間はよく笑う。

 

 二 軸と使命

 

 もう作って、いいんですよね?
 「えぇ」
 幸田千絵さんがにっこり笑う。
 二十歳の頃は、中学生に間違われたというのは無理もない。
 童顔の笑顔は目元が涼しい。

 

(明日につづく)

 

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2008年5月28日 (水)

7番アイアンっていつ使うの?

「7番アイアンっていつ使うの?」【 11 】

 ゴルフバッグに入れられるゴルフクラブは14本まで。
 重量制限が決まっているゴルフ場もあり、規定の重さを超えると超過料金をとられる。
 1,000円~1,500円程度だが、ばかにならないので、使わない道具は入れないようにする。
 バッグの計量は、朝ゴルフ場に着いてすぐ行われるので、靴をバッグに入れておくと靴の重量がカウントされる。靴は手荷物として、スポーツバッグに入れておくとよい。

 たいていの人はウッド3本、アイアン10本、パター1本という構成にしている。ルール的には、パター14本でもよいが、それではゲートボールになってしまう。
1番ウッド=ドライバー
3番ウッド=スプーン
4番ウッド=バフィ

 数字が大きくなるほどヘッドの容積が小さい。
 飛距離は落ちるがボールを捕らえる確実性が上がる。

 ドライバーは、そのホールの第1打を打つティーグラウンドで使う。
 ティーグラウンドとホールがあるグリーンを結ぶ芝生の花道=フェアウェイでは、スプーンやバフィを使う。

 フェアウェイを外れた枯れ芝=ラフでは、ボールが芝に沈んでいるため、ウッドでは芯に当たりにくい。だが、ヘッドの底面=ソールに溝を切って、ラフでもボールを捕らえやすくしたウッドが1980年代後半から売られている。そういうクラブをゲタ底という。

 ウッドはさらに大きい数字のものもある。
 女性で 7番までウッドを入れている人を見たことがある。
 筋力が弱い場合、そのような選択もある。

 ホールに立っている棒=ピンまでの距離が残っていない時は、ウッドではなくアイアンの出番だ。

 男性の場合、残り200ヤードを切ったら、アイアンで打つことが多い。
 人によって、ウッドが得意、アイアンが得意と得手がある。
 どこまでもウッドで打つ人、1打目=ティーショット以外はすべてアイアンという人、様々だ。

 アイアンを10本入れる場合、3456789の7本と、PW=ピッチングウェッジ(通称ピッチング)、SW=サンドウェッジ(通称サンド)、あとはPSなどと呼ばれるピッチングとサンドの中間を入れる。

 3~9番アイアンはウッドと同様、数字が大きくなるほど距離は落ちるが、ボールを捕らえやすい。
 また数字が大きくなるほど、ボールに対する面が地面と織りなす角度が大きくなる。

 目の前にバンカーや池があり、それを越えたところにボールを落としたい。
 そういう時は、数字の大きいアイアン、あるいは PW,SW を使う。

 距離に応じてどのクラブを使うかは、決めておく。
 5番アイアンは170ヤード、6番は150ヤード、7番は140ヤードという具合。
 これを決めておかないと、ラウンド中に毎回考えなければならない。
 ただでさえ、素人は頭が真っ白になるので、練習場で各クラブを打って、決めておくとよい。

 「7番アイアンって、いつ使うの?」
 最近、ゴルフを始めた友達にこう聞かれた。
 それが、この連載のきっかけになっている。

 ゴルフのど素人には、この「7番」の意味がわからない。
 人によっては、7番ホールで使うものと考えるかも知れないし、第7打で使うと考えるかも知れない。

7番アイアンっていつ使うの?もくじ

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2008年5月27日 (火)

独裁者誕生

一 独裁者誕生

 2034年9月30日、独裁者の第一候補として、羽田空港に降り立った。
 東京は秋の長雨が続いていると聞いていた。滑走路のあちこちに水たまりが見える。
 社会に出てから、節目の日に雨が降った記憶がない。法務省の入省式、ユニセフの任務でニューヨークに発った日、僕が行くところに雨は降らない。
 
 クアラルンプール(KL) まで来てくれた橋本と、小坂を含めても総勢五人という控えめな出迎え。
 大袈裟にしないところに好感が持てる。
 まだ、僕が独裁者になるることは公になっていない。大げさな警備は注目してくださいと言っているようなものだ。
 整備員、グランドホステスに扮した五〇人の警官が、通路を固めていたと聞いたのは、空港を車が出てからだった。
 僕には人の気配がしなかった。
 アジアから帰国する度に強くなる静けさ。熟成された統制なのか、人々がその気配を消す術を身につけて暮らしているのか。

 「モノレールで行くんじゃないの?」
 待機していた黒塗りの車を前にして、帰国一発目のギャグを飛ばしたが、橋本は笑わない。
 羽田からまず私邸にはいる。小坂が探してくれた都内の二LDK。
 アンパン地区で借りていたコンドミニアムに小坂を連れて行き、その荷物が入る広さの部屋を頼んだ。KLに住んでいた五年間は家具を増やさないことを心がけていたので、週三回来てもらっていたアマさんのハブサは、掃除が楽で物足りないとこぼしていた。

 たった一つの希望として、窓から東京スカイツリーが見える部屋をリクエストした。
 「東京スカイツリーのライトアップは平日の22時までだそうです。ご存じと思いますが、環境省の指導でそれ以降はダメなんですよ」
 僕は夕暮れ時、ほのかな灯がはいった東京スカイツリーが好きだ。

 交渉
 2034年7月、
 クアラルンプールの初夏は雨期まっただ中。窓から見えるKLタワーにスコールが打ちつける。それでも僕が事務所を出て帰宅する頃には、雨はあがるだろう。

 前日の午後、橋本から電話があった。
 「明日の五時に、そこに行きたいんだけど、空いてるかな。できれば内々で話しがしたいんだけど」
 背後には発着便の英語のアナウンスが流れている。橋本の語気は強く、ノーの返事は聞かないというオーラが電話越しに見える。KL新空港からFE事務所までは車で一時間とかからない。この一日で他に何か用事を済ませて来るのか。橋本は面談の要件を言わなかった。

 七月中には日本の衆議院で独立立法決裁責任者法(IDO法)が可決される見通しとなった。
 日本は第二次世界大戦後、一貫して議会制民主主義をとってきた。国会は立法機関として機能してきたが、審議から法制化までに時間がかかり過ぎている。

 そこで今回のIDO法は、国民の暮らしにとって緊急度の高い法令を、独立した立法決裁者が迅速に決めていこうという試みだ。
 野党は徹底抗戦の姿勢をみせていたが、ここに来て長期の審議拒否にはいっている。与党は絶対安定多数確保しており、会期切れの七月末までには可決される見通しとなった。
 一日の仕事は、アルジャジーラのチェックから始まる。
 今朝のアルジャジーラ電子版が、そう伝えていた。

 執務室には、すでに秘書のリンと、書記官のナレンドラが席につき、日本からの来客を待っている。

 かき氷が食べたいなぁ

 僕がつぶやくと、華人のリンはまん丸い瞳の前で、かき氷をかき込むポーズを作る。ミルク金時が、東京大学の法科大学院を出たリンのお気に入りだ。

 リンがかき氷の器を抱えて飲み干した時、内線電話が鳴った。
 「午後4時55分入館」
 ナレンドラが声に出して時間を取る。

 「相変わらず自転車が多いな」
 チャンギから入ったの?ジョホールバル辺りはまだそれほど裕福じゃないからね。五年前にFE本部ができてからも、地元にはあまり金が落ちてないし。車で走っていると一番怖いのは自転車なんだよな。

 成田から直接KLに入れば七時間で来る。わざわざチャンギから入り、車でジョホールバルに出て電車に乗り換える。典型的な隠密行動はメディア対策なのだろう。
 連れも後輩の小坂一人きり。いつもの交渉ごとならば、もっと人数をかけて来そうなものだ。橋本は僕がジョホールバルの地名を出した時に、ちらっと視線をよこしたが、スルーして続ける。

 「日本も同じだよ。今年にはいってママチャリの三人乗りで子どもが四人死んでる。ガイドラインとか出したって全然ダメだよ。こうも同じことが続くのは、テレビで事故の報道を見ても、自分には関係ないって思うんだろうな。俺たちが子どもの頃よくあった、パチンコ屋の駐車場で赤ん坊を死なせる親と一緒。バカ親に生まれた子どもが哀れだよ」

 橋本の視線は、僕の右にいるインド系のナレンドラ書記官を捕らえている。人払いしろって言ったのに・・と顔に書いてあるが、ここはFEの敷地内なので、規則により書記官と秘書の同席は譲れない。
 そういう、規則を意地でも曲げないところがお前らしいよと書いた橋本の顔は、緊張して蝋人形のように血の気がない。

 朝、なに食べた?
 「えっ、朝?あぁラッフルズでカレー食べたかな。なんで?」
 昨日はシンガポールにいたと、言い張りたいのだろう。今朝、KLセントラルでカレー食べてたじゃんというツッコミはやめておく。
 いったん間をおく橋本。今度は僕の左に座っている秘書、華人のリンを一瞥して切り出した。

 「ニュースで聞いていると思いますけど」
 おいおい、急に敬語かよ。普通に話そうよ。もしかして、独裁者のこと?

 「いや、独立決裁責任者だ」
 いたずらっぽく水を向けてみたが、橋本はにこりともしない。一瞬ゆるんだ空気を逃すまいとばかりに速攻で来た。

 「それなんだけど、どう思う?」
 うん、やってもいいよ。でも、他にもっといい人いなかったの?

 「え?やってもいいよってお前。まぁ確かにその通りなんだけど。
ほんとか?武士に二言はなしだぞっ。録音したからな」

 江戸時代かよ。だいたい、他人んちの事務所で勝手に録音するなよ。お前の右ポケットのレコーダーと、小坂の携帯で録音してるのは知ってたけどさ。

 ようやく橋本の顔に血の気が差した。
 “交渉”は一分。僕に腹芸の習慣はない。
 僕はどんなに大切なことでも、考えずに決める。
 小さい頃は慎重な性格だったが、中学校の頃から考えずに決めることにした。そうすれば相手に驚きを与えられる。人が一日に 6万回考えるとすれば、従来は100ステップで1案件を決断していたのを、1ステップで決断する。そうすれば、脳の容量にゆとりが生まれ、また、他のことに使うことができる。
 出した答えが正しいか、間違いか。恐れていては時間が惜しい。迷ったために取り返しのつかないことになることがある。だから自分を信じて決める。結果はそこそこに良ければ十分だ。

 独立 independent
 決裁 decision
 責任者 officer

 独立決裁責任者法、通称IDO法は一週間後、第231通常国会の会期残り 4日というところで成立した。野党は 7月に入ってからずっと審議に応じておらず、衆参ともに欠席。与党の強行採決という形になった。

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 「独裁者」は2007年に、ある新人賞に応募した小説です。
 数回に分けて、連載します。 (次回は 5月29日です)

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2008年5月26日 (月)

尾崎豊と缶コーヒー

尾崎豊「15の夜」は物価の移り変わりを実感させてくれる。

この曲は尾崎のデビューシングルであり、デビュー・アルバム「17歳の地図」に収録されている。
尾崎はこの曲を15歳までに書き上げていたと、NHKのテレビ番組「尾崎豊がいた夏」で紹介していた。

1965年生まれの尾崎豊が15歳といえば、1980年。
当時、缶コーヒーは100円玉1枚で買うことができた。
スーパーでは当たり前のように78円で売っていた。

日本初の缶コーヒーが発売されたのは1965年9月。
尾崎豊が生まれる2か月前だ。
缶コーヒーと共に生まれた尾崎は、そのデビュー曲で缶コーヒーについて歌っている。

100円玉で買えるぬくもり (尾崎豊 15の夜)

そう。この時、缶コーヒーを温めて売ることが始まっていたのだ。
1965年に発売されてからずっと、缶コーヒーは冷たいものだった。
冷蔵庫から取り出して、珈琲の苦みと砂糖の甘さ、絶妙なブレンドのよく冷えた液体が喉を通りすぎていく。

まだ、ポカリスエットもない頃で、お金のない高校生は、安くて量が多いペプシコーラを飲んでいたが、少しリッチな一部の学生が缶コーヒーを飲んでいた。

当時、コンビニのバイトをしていた。シフトに付くと、まずレジ脇のおでんの仕込み、そして倉庫から缶コーヒーを出してきて、ウォーマーに補充する。当時人気ナンバー1だったC社の商品をウォーマーに入れると、店長がとんできた。

「なにやっているんだ。C社のは黙っていても売れる。B社のほうを入れなさい」

仕入れ伝票で卸価をみると、B社の缶コーヒーのほうが10円安かった。つまり、B社を売ったほうが、10円多く儲かるのだ。

早朝、出勤前のサラリーマンや、水道工事現場の兄ちゃんたちが、温かいものを求めてやってくる。

「あれ、*****(C社の商品名)はないの?」
「えぇ、さっき売れてしまって」
「じゃ、しかたないな △△△△(B社の社名)にするか」
ちょっと、申し訳なかった。

1980年代後半に、岡山県でカラオケボックスが登場した。
それまで、スナックに集う人だけの趣味だったカラオケが、1990年代からは子どもから大人まで、一般人すべての趣味になった。

カラオケの本がぽすたるガイドの薄さから、電話帳の厚さに変わるとすぐ、尾崎豊の「15の夜」が収録された。

自動販売機で買えるぬくもり、缶コーヒーは、110円になり、120円になった。
価格があがると、カラオケでは、そこだけ歌詞を替えて歌った。
モニターを見ていた仲間が、にっこり笑う。

その顔には、こう書いてある。
ちがうでしょ?
歌詞が違うでしょ?という単純な意味もある。
だが、それだけではない。

尾崎は100円という価格を歌っているのではない。
100円玉という、中学生の財布にも入っていて、割と気軽に使うことができる貨幣。それを1枚費やすだけで、得られるこれだけの幸せ。

どんな力の弱い者にも許されている、しばしのぬくもり。ささやかな幸せ。

コイン1枚 というきりの良さもポイントだ。これが90円では、カッコが付かない。50円玉と10円玉を組み合わせて5枚も硬貨を入れていては、硬派な気分も台無し。100円玉を入れて、かがんで返却口をまさぐり、10円のおつりを忘れずに回収するという行為も、歌にはなりづらい。

缶コーヒーは嗜好品だ。人は缶コーヒーを飲まなくても、生きていける。付加価値を楽しみたいのだから、ワンコインで買えるスマートさが欲しい。
これが、命を支える納豆や玉子だったら、78円とか、68円のように、1円でも安いほうがいい。
ただ、納豆や玉子ではロックは成立しない。

「78円で買えるタンパク質、特売の玉子を握りしめ」

これでは、フォークソングになってしまう。

ひゃくえんだま
拗音を含めて7文字
これだけの文字数があれば、どんな価格に変わっても、替え歌は可能だ。

500円玉 8文字
千円札 6文字
一万円札 8文字

ただ、320円とか570円とかになると、かなり早口じゃないと難しい。

尾崎豊がいた冬
その冬の幸せは、今も一部の「ジャストプライス!」自販機に残っている。
100円ぽっきりの自販機を置いてくださっている皆さんに、ここで敬意を表したい。

これからも、よろしくお願いします。

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2008年5月25日 (日)

デコ、マンUへ移籍

 2004年7月22日発売「ワールドサッカーダイジェスト 2004年8月5日号」には、デコがポルトからバルセロナへ移籍したニュースが載っている。

刊行形態:月二回第1・3木曜刊
版元:日本スポーツ企画出版社
価格:570円

記事名:ビッグクラブの理想と妥協のシナリオ BARCELONA
内容:入団発表時のラポルタ会長との2ショット写真を掲載。
「引く手あまたのファンタジスタの獲得に成功」とキャプションがつく。
 ただし、デコの影響力の大きさを予測した記述は皆無だった。

 前回移籍の年もユーロ開催年。
 移籍決定はユーロ終了後の7月だった。

 それに倣えば、今回もデコの移籍先が判明するのは、ユーロ終了後の7月となるだろう。
 チームが一丸となって戦っている時は、個人の話題を先行させない。それがデコの流儀。

 移籍先を予測しよう。
 最有力候補はマンチェスター・ユナイテッド
 理由は2つ
・CLに勝ち、12月にCWCで来日する。
・デコが望むプレミアのトップクラブである。

 デコはタイトルにこだわる男だ。
 代表ではまだ「W杯」「ユーロ」のタイトルを獲得していない。
 クラブチームでは「CWC」を獲得していない。
 特に、2006年12月、決勝まで進んで涙をのんだCWCには、強い執念があるはずだ。

 あとは、マンUが彼を必要とするかにかかる。
 デコは「自分を必要とするクラブ」であることにも、こだわる。
 CL決勝後、さっそくクリスチアーノ・ロナウドの移籍報道が出ている。ただし、ロナウドはメディアに残留を明言した。ロナウド、デコ、ナニのポルトガル・トリオが並ぶ2列めが、毎週見られるとなると、ポルトガル・ファンはこたえられない。もしも、ロナウドが移籍すれば、戦術面で、よりデコの必要性が高まる。

 デコ、現在の契約は、2005年6月16日に更新したもの。
 FCバルセロナと2009-10シーズン終了までの契約。残りは2年。
 2008年8月で31歳を迎える年齢からして、さほど高い移籍金にはならないだろう。

 第二の移籍候補はインテル
 理由は2つ
・デコが先日、移籍候補は「プレミアかイタリア」と語っている。
・ポルト在籍時の監督 ホセ・モウリーニョが、インテルの監督に
就任するとメディアが報じている。

 先日、雑誌インタビューで、ユーロ2008の展望を聞かれたモウリーニョは、デコについて「欲しがらない監督はいないMF」と語り、依然として高い評価を与えている。
 2003-04シーズン終了時、ポルトでCL優勝を果たし、チェルシーへ移籍したモウリーニョは、デコも連れて行くつもりだった。
 しかし、デコは憧れのクラブであるバルセロナとの交渉を求め、バルセロナが応じた。

 当時、バルセロナの監督フランク・ライカールトの第一声が「デコ?(獲得できるなんて)信じられない」だったのが、いかに急転直下のどんでん返しだったかを物語っていた。

 モウリーニョがインテル監督となれば、デコがこだわる「自分を必要とするクラブ」の条件を最大限に満たすことになる。

 ただし、インテル移籍の場合、いくつかの憂慮がある。
・これから、イタリア語を覚えるのが大変
・来シーズンにCLで優勝して、CWCに参戦できるのは2009年12月

 そして、攻撃的なプレミアリーグに憧れるデコが、守備的なセリエAのスタイルを望んでいるとは思えない。

 ということで、デコの移籍先はマンチェスター・ユナイテッドである。
 結論は7月に出るだろう。

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2008年5月24日 (土)

ライブアルバムは好きですか?

 ライブアルバムは好きではない。
 ライブとは生きていること。
 コンサート(またはライブ)会場において、目の前で演奏されるのがライブ。

 生きているものを録音したものは、ライブではなくレコード(記録)
 それを言うならば、ライブアルバムではなく、デッドアルバムだ。

 オリジナルアルバム(オリジナル曲をスタジオで録音し、編集する音楽群)とライブアルバムのどちらが好きだろうと考えてみる。
 オーディオセットや携帯音楽プレーヤーから流れて来る音楽であれば、断然、オリジナルアルバムを好む。

 ライブアルバムは余録だ。
 大好きな音楽家がライブアルバムを発売する。
 一挙手一投足を見逃したくないアイドルだから、聴かないわけにはいかない。

 初めて聞いたライブアルバムは「陽水ライブ戻り道」だった。
 テレビに出ない陽水が、日頃どんなふうに喋るのかが聞けて嬉しかった。
 だが、大人になって、自分のお金でライブに行くようになると、そういった興味は解消されている。

 初めて聞いた洋楽のライブアルバムは「クィーンライブキラーズ」だった。
 「100m先から聴いてもわかる」と言われた、オーバープロデュースなオリジナルアルバムで有名なクィーン。
 ライブではいったい、どこまでレコードに近い演奏をするのかに興味があった。
 それも、一度聴けば十分だった。

 長く活動を続けているアーティストが、2枚目のライブアルバムを出すことがある。
 だが、2枚目のアルバムには、もう期待感が残っていない。

 オリジナルアルバムを出さず、ライブアルバムを2作つづけて出すアーティストはいない。
 もし、そんなことが起きたら
「もう曲が書けないのだろうか?」
「レコード会社と何かトラブルがあったのではないか?」
 支持しているファンの中に、こんな疑問符が浮かぶ。
 ライブアルバムだけを出し続けるアーティストというのは成立しない。

 過去に買ったライブアルバムがいくつか、CDラックに入っている。
 だが、それをパソコン、ウォークマン、カーナビに録音して聴きたいとは思わない。

 かつて、ジェフ・ベックのライブ・ワイヤーが名盤と言われた。
 ギター演奏家である彼の音楽の特徴、選曲がベストであることが、名盤と言われたゆえんだろう。

 アイドルの音楽家、ベストの名演奏、ベストの選曲
 2枚組ではなく1枚もの。
 そういうライブアルバムならば、聴いてみたい。



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2008年5月23日 (金)

かすみがうらを走った

時計は16時を回っている。
制限時間は6時間。ここから後は、完走扱いにはならない。
いったい、どれくらいの完走率になったのだろうか。

東京マラソンは 97.8%(2008年大会実績)という完走率が、一般人を驚かせた。
2万5千人が走って、完走できない人がわずか 2%しかいない。
これには「え~っ、走れない~ 絶対、ムリぃ~」と言っている人も、軽くショックを受ける。
なんだか、自分がとてつもなく、運動能力が低いように思えるのだ。
人は内心、もっと低い完走率を期待している。
走れないのは、皆、同じだと思いたい。

後半、僕の周りで歩いていた人たちは、恐らく皆完走できていないはずだ。
男女ランキングの数値から推計すると、完走者:8,836人(男7571/女1265)
参加者は9,733人なので、完走率は90.78%。

東京マラソンより 7ポイント低いのは、制限時間が1時間違うからだ。
素人が目指す初マラソンとして、かすみがうらの6時間はぎりぎりの線だろう。
2008年11月に開催される、第3回湘南国際マラソンは、第1回の制限時間から20分延ばして、6時間制限となっている。

荷物預かり所の手前にある、自販機に目を留める。
まだ、飲み足りない。
ウェストポーチに 500円玉が入っているのを思い出した。
練習時、万が一のバス代に使おうと、いつもポーチに入れている。
いわば、お守り代わりの500円玉。レース中に使い道はないのだが、縁起を担いで入れたままにしておいた。

「ジョージア VINTAGE LABEL」と「アミノバリュー」
自販機で2本買いするなんて、人生で初めてではないか?
「VINTAGE LABEL」は甘くなく、苦さが心地よい。
あまりに美味かったので、後日何度か飲んだが、いずれも甘く、この時の味にはならなかった。

露店前の椅子は満席で、ランナーが食べ物にかぶりついている。
チョコで少ししのいだというのもあるが、腹は減っているし、食べたい気持ちもある。
だが、満腹になれば、一気に安全な日常に戻ってしまう。もう少しこの飢餓の余韻に浸っていたかった。

荷物預かり所は人影もまばら。
荷物はもう残り少なくなっていて、ナンバーカードを示すと10秒で出てきた。
テニスコートのスタンドに陣取って着替える。

腰を落ち着けると、心に安堵感が広がり始めた。
陽が翳り、空気は冷たいが、疲労が心地よい。
ゴールしたら、コミュニティ「かすみがうらマラソン」のトップ写真用にゲートを撮ろうと思っていたが、思い出したのは帰りの「ひたち」が駅を離れた後だった。

完走すると不機嫌があらわになる。
痛い、疲れた、歩けない
次々に悪態をつきたくなる。
それは完走したからこそ、できること。
今は足の疲れさえ心地よい。その傷みが栄誉を思い出させてくれるからだ。

完走して乗る、帰りの電車は格別。
特急の指定席を奮発していたから、ことはなおさら。
去年は藤沢からの帰りの電車で、小さくなっていた。

これで、半年食べなかったアイスも、控えていた冷たい飲み物も飲み放題。
あぁよかった
牛久を過ぎた頃、実感がわいてきた。

一年前の惨めさを思えば、まさに雲泥の差。
去年は走りを止められた時、息も切れていなかった。
「ひたち」はあっという間に上野に着いた。

胃袋の下が凹んでいる。
レース前のVESPA、ここ一週間のカーボローディング、すべてうまくいった。
5日前に腹をこわした影響の有無はわからない。

曇りの天候に恵まれた。
雨が汗と混じって目に入ったのは辛かったが、雨はほどよく体温を下げ、そして、すぐにあがってくれた。

炎天下で 10kmを走った練習の時よりも、汗はかかなかった。
「30kmからが本当のマラソン。それまではジョギング」
そう言いつづけたのも、功を奏した。
ただ、42kmを走りきるスタミナはまだなかった。

「マラソンというのは自信で走るものだから、やっていないと、どうしても怖くなってしまう。その不安を取り除くのはやはり練習しかない。」
瀬古利彦 「東京マラソン完全ガイド」ダイヤモンド社 2007年8月

最後の10kmを怖がらず、ペースを守るための負荷を体に強いることができた。
これは過去2度の経験で目安ができたこともあるが、やはり、ここ4か月の準備が自信となった。

家に着く頃、猛烈に腹が減ってきた。

「かすみがうらを走る」 おわり



「かすみがうらを走る」もくじ

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2008年5月22日 (木)

戦った 粘った 負けなかった 走りきった

こぢんまりとした競技場は、エントランスというものもなく、呆気ないほどあっさりと場内につながっていた。

競技場に入った後はトラック4分の1周でゴールだと知っていた。どうせならば、トラックを1周半くらい走らせて欲しい。
拍手を受けながらのトラック1周は苦にならないが、競技場がなかなか見えてこないのは苦しい。
公道部分をカットして、トラックに回してもらいたい。
電光掲示を見た。目標タイムにロスタイム分を足した時間が表示されていた。
グロスタイムの目標を、ネットタイムでクリアする。それにわずか1分遅れた。結局、あの靴を脱いだ分だけ届かなかったことになる。
でも今日は「歩かずに完走」をするレース。それができれば後はどうでもいい。

やっと終われる。
この時考えていたことは、ただ一点。
42kmも走ってきたのに、達成感や歓喜のポーズもない。
all sports 撮影の写真では、35kmのりりしい表情とは打って変わり、情けない表情で時計を止める自分が映っている。

特別な感慨はなく、この時にどの曲が鳴っていたかも覚えていない。
大の字にひっくり返りたいところだが、まずは体のためにも大量に給水したい。

水をもらうには、その手前でチップを返却して、引き替えにTシャツを受け取る必要がある。
この順番、逆にして欲しい。
せめて、まず水だけは飲ませてほしい。
そう思ったら、芝に尻を付いて座り込んでいた。

ボランティアの兄ちゃんが声をかけてくれる
膝をついて、靴のチャンピオンチップを外し、再び靴紐を結んでくれた。
「もうしばらくゆっくりしますか?」
この機会を逃したら、手助けはしてもらえない。
手を引っ張ってもらえますか?
彼の手助けで立ち上がる。

記念品のTシャツのサイズは事前申告制。
ナンバーカードの隅っこに「M」と書いてある。
Mサイズのテントはどこだ?と探しながらの歩きは千鳥足。まっすぐ歩くことが難しい。
さっきまでこの足で走っていたことが信じられない。

チャンピオンチップと引き替えで、受け取ったTシャツは青。
去年、湘南ではもらえなかったTシャツ、今年は手にできた。
3度のマラソンでTシャツが2枚になった。

ようやく給水にたどりつく。
立て続けにアミノバリューを2杯もらい、バリケードに寄りかかって、ゆっくりと飲む。
それからバナナ。
もう走り終えたので、バナナでも何でもどんと来いだ。
憔悴して貪るように食べる様子に、おばちゃんがこちらを見てにこにこ笑っている。

この屈託のなさは、おばちゃんならでは。
これから家まで帰るのが大変だよね おばちゃんの会話が聞こえる。
「家まで帰れますか?」
大きな声で呼びかけてくれた。面目ないですという顔をして頷く。

バナナの隣に「チョコ」の字が見える。
そういえば、甘いものが欲しい。キットカットが2種類。その場で封を切って2つとも食べた。美味い。

チョコの隣には、完走証のテント
係の女性が、ナンバーカードを視認するや、4桁の数字を打ち込み実行キー一発。
プリンターから2秒もたたずに出力される。
「はやっ!」
完走証の即日発行は、かすみがうら自慢のサービスだ。

場内では、ゴールする選手を讃えているのか、しきりにマイクで何やら、がなり立てているが、何を言っているのかは全く耳に入らない。

ナンバーカードの安全ピンを外し、2005年にカンプノウで買ったユニフォームをゼッケンから解放する。
そういえば、レース直前に、デコからファンクラブのみんなへお返事のカードが届いたのだった。あれは、レースを前にした不安な時期に勇気になったなと思い返す。

完走証を握りしめ、千鳥足で歩き始めた。



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2008年5月21日 (水)

ジャック・ニクラウスもボギーだった。

「7番アイアンっていつ使うの?」【 10 】

 「ご迷惑をおかけすると思います。今日一日、一生懸命走りますからよろしくお願いします」
 まず、初めにそう言えと、先輩からアドバイスを受けていた。

 いやいや、こちらこそよろしく。
 年の頃 57歳。
 小柄でにこやかなスズキ専務。
 偉い割には、腰が低くていい人そうだなと思ったが、まだその頃は、人の本性をみる洞察力が備わっていなかった。

 キャディさんにも挨拶する。
 「ど素人なので、一生懸命 走ります。よろしくお願いします」
 この習慣はゴルフをやめる日まで続いた。

 この挨拶をした時に、キャディさんの人柄がわかる。
 人は鬼ではないので、真摯な態度で接する人には好感を持つものだ。
 だが、真摯な態度にも心を鬼にする人は、少なからずいる。

 「はい、はい。いいんですよ。がんばりましょう」
 と笑顔で言ってくれるキャディさんだと、その日はずっと楽しい。

 「はあっ?下手だったら コース出るなよ」
 と顔に書いて、露骨にぶすっとするキャディさんだと、悲惨な気持ちになる。

 肝心なことは、キャディさんがどんな人であっても、自分が怒りんぼしないということだ。怒ってうまくいくスポーツはない。
 怒ってうまくいくこともあるのは、子育てと恋愛の駆け引きだけだ。
 ただ、いずれにせよ、怒りを駆け引きに使うのは、人後に落ちる。

 その日の第一ホールのことを、スタートホールと言う。
 スタートホールで打つ順番は、上手い順ではなく、くじで決める。
 ティーグラウンドの脇に「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と昔の占い師がやっていたような、金属の棒が4本立ててある。

 誰かがこの棒を手に握り、メンバーに 1本ずつ取るよう促す。
 この時の「誰か」は誰でもよい。一般的にはその組のお世話役、あるいは番頭格が棒を握る。
 ただ、ど素人の下手くそがいきなり、この役目を買って出ると、皆がびっくりする。

 棒を引く順番も特に決まっていない。近くにいた人から順に引く。
 3人が順番に1本ずつ棒を取る。
 棒の下のほうに溝が切ってある。
 溝が1本だと1番め。4本だと4番めに打つ。

 1人が1本引くごとに「はい3番ね」と確認して、棒はすぐ返してもらう。返してもらった棒を混ぜると3番が2人になってしまうので、混ぜてはいけない。

 最後に残った1本が自分の分。
 真っ先に自分が引いてはいけないという決まりはないが、そんなことをしたら、皆がびっくりする。

 複数の組で回るゴルフコンペの場合、第1組の1番めは、注目度が高くとても緊張する。ど素人にとって、是非とも避けたいところだが、だいたいそういう人に当たるようになっている。

 真夏の宮崎の太陽は過酷だった。
 この日のスコアは177 恐らくこれは名門フェニックスのコースレコードだろう。
 17番ショートホール par3 では、ゴルフを始めて以来初めてのボギー。
 ゴルフでは規定打数と同じ打数でそのホールを終えることを「パーをとる」という。
 1打多いボギーについては「ボギーをとる」とは言わず「ボギーを打つ」「ボギーを叩く」という。一流ゴルファーにとって、ボギーは劣悪な結果であり、そういう結果に終わることを「叩く」と表現する。

 かつて、ダンロップフェニックスオープンでジャック・ニクラウスがボギーを叩いた17番で、ニクラウスと並ぶボギーを取った。
 このネタをその後、10年語り続けたのは言うまでもない。

 18ホールを終えて、その日のゴルフを終えることを「ホールアウトする」「上がる」という。
 ホールアウトしてお風呂に入る。
 素人ゴルファーにとって、この風呂と、風呂上がりのビール以外に、楽しいことは何もない。

 「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
 初めはにこにこしていたスズキ専務だが、もうお風呂では口をきいてくれなくなっていた。

 だいたい、日焼け止めを塗った真っ白な顔が気持ち悪かった。\^^ オイオイ
 世の中はまだ、オゾン層も紫外線も話題になる前。
 ただ単に、日焼けして「仕事をしていない」と言われるのを嫌ったのだろう。

 ゴルファーを見分けるポイントは、右手と左手の色。
 左手だけにグローブをはめるので、右手に比べて左手が白い。
 スナックでもてるために、営業車を走らせる時、いつも左手に軍手をはめている人がいたくらいだ。

 頼まれたからコンペに出たのに、2万円以上払ったうえに、怒られたのでは割に合わない。
 だが、ぺーぺーの身ではそんなことはおくびにも出せない。
 この日を境に、さらにいっそう、ゴルフが嫌いになった。



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2008年5月20日 (火)

ワンダオープンカーコレクション

 「糖類0」と宣伝しているワンダゼロマックスは、本当に甘い。

 実際に飲んでみたら、テレビCMで「え゛~っ」と俳優が驚くのが、決して大袈裟ではないというのがわかる。

 その甘いワンダゼロマックスに、プルバックカーのMR-Sがついているという情報をキャッチした。これは、甘いうえに美味しすぎる話だ。

 巡回すること4日め。ついにファミマで発見。MR-Sはその場にあるだけ全部買おうと思っていた。缶コーヒーとしても買っておいて悪くないうえに、こんな貴重なミニカーだから、MR-S仲間に分けるなど、いくらでも使い道はある。

Mrs_wonda1  どこが、貴重かというと、MR-Sは1999年に発売され、2007年に製造中止になったのだが、市販されたミニカーやグッズのほとんどが「前期型」仕様なのである。

 マイナーチェンジ後、フロントフェンダーにフォグランプがはまっている仕様のグッズは、既に絶版になっているラジコンしか存在しない。

Mrs_wonda2  お店にあったMR-Sは2つ。倉庫にまだ在庫がないかと言いそうになったが、それは自粛して二つゲット。

 カラー青のみなので、一つは、赤に塗ることにする。

Mrs_wonda3 プラモデル塗装用のマスキングテープで、ヘッドライト、エアインテーク、フロントガラスなどをマスキングしていく。マスキングテープは大きめに貼って、プラモデル用のNTカッターで切り取っていく。

 つづいて、タミヤカラーではなく、トヨタ純正 MR-S赤のタッチペンで、塗る。Mrs_wonda4 

この時、机が汚れないよう、白い紙を敷いていたのだが、デジカメ画像のピントが安定することがわかった。瓢箪から駒であった。

Mrs_wonda5

しばらく置いて塗装が乾いてから、ピンセットを使い、マスキングを剥がしていく。前後のMR-Sエンブレムは、塗り直しが効かないだけに、マスキングテープの威力は絶大だった。赤がはみ出した所は、銀と黒のマーカーで塗って境界線を整える。

Mrs_wonda6 多少の塗りむらはご愛敬。さすが、純正カラーだけあって、それなりに見映えがする仕上がりになった。世界に1台、後期ファイナル仕様赤のミニカー誕生である。

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2008年5月19日 (月)

ロナウジーニョとバナナのステップ 40km→42km

40→41km
目標ゴールタイムにセットしておいた「In this country」が流れてきた。
曲を選ぶ時は、その場面、この曲で自分にこのような感情を呼び起こさせようという意図を描いている。

この曲はかつて、CXがF1中継のエンディングで流していた曲。
長かったマラソンのゴール
やり遂げたランナー(自分)
暮れていく空
やり遂げた充実感と、終わってしまったことへのかすかな寂しさ

こうして書いてみると、いかに自己満足でマラソンと取り組んでいるかがよくわかる。

40km過ぎの地点で、この曲がかかるということは、目標タイムに及ばなかったことを意味している。
だが、今考えることは、走りきることだけ。
沿道の応援者はほぼ皆無の後半だったが、ここにきて、声援が飛ぶようになってきた。
20代のグループが、通り過ぎるランナーをおもしろおかしく茶化しているのが見える。

僕の番がきた。
「お、バルセロナ がんばれバルセロナ。ACミランに出すぞ!」
ロナウジーニョの移籍に引っかけて、へろへろに走っている僕をやじってくれた。
思わず苦笑い。そして、とても嬉しい。

通り過ぎてから、彼らに向かって「これこれ」と背中を指さす。
「お、デコ、デコ頑張れ!」
一ヶ月後ならば、デコ、インテルか?と言われたかも知れない。

声援に心が暖まったところで、目の前に交差点が迫ってきた。
そのかどを右に曲がれば、そこにはもう競技場の姿が見えているだろうと確信している。

ところが、そこにあったのは延々と続く川沿いの道・・
さらに、ランナーの列は、遠くで左折して川を渡っている。

ウソだろう。ウソだと言って欲しい

この瞬間はこのレース中、一番ショックが大きかった。
もう何も考えられない。
あとでこの時、何を考えたかを想起しても、何も出てこない。
脳は記銘を拒否したようだ。

ようやく橋を渡り、競技場への道へと左折。
すると、いきなり沿道の人が増えた。
いや、沿道ではない。コース上だ。
まさに走路の先に、たくさん人が居るのだ。

コース上におばちゃんが出てきている。
「はい、バナナよ。頑張って」
4月に大学のキャンパスで、新入生を勧誘する応援団を思い出した。
行く手を封鎖して、幼気な一年生を拉致しようとする。
捕まったら最後、入団するまで帰れない。
(今はそんなことないと思うが・・)

おばちゃん達は軽快なステップを踏んで、このランナーの次はあのランナーと、次々にバナナを勧めていく。
ランナーも快く、それを受け取っている。

残りは 1kmを切っている。もう給食は要らない。
今食べたところで、ゴールまでの糧にはならない。空腹を満たすのはゴールしてからでも遅くない。

おばちゃんとおばちゃんの隙間を見定めて、突破を試みたが、バナナを差し出す手が、にゅっと伸びてきた。

「すみません」と片手をあげて、素通りする。
背後で「あんた、無理じいして渡しちゃいかんよ」とツッコミが聞こえた。

41→42km
どこかに42kmの看板があったのかも知れないが、目にはいらなかった。
右折して、競技場に入る。
いや、右折だったと思う。記憶は曖昧。

子どもの頃からずっと、マラソンで公道から競技場に入るシーンに憧れていた。
できればスタンド下の薄暗い通路を通りたかった。
姿を現した瞬間に、静まりかえったスタンドから地鳴りのような拍手が欲しかった。

5月22日につづく

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2008年5月18日 (日)

デコ移籍の第一報

シーズンをなぞってきたが、ここで臨時ニュースです。
というか、デコの移籍が確実となった。

クラシコ前の試合でデコは5枚めのイエローカードをもらい、次節であるクラシコに出場停止となった。
このことが、意図的にクラシコを避けたとしてファンの不興を買った。

リーガでは、リーガ優勝が決まった次節の試合、
優勝チームの入場時に、相手チームがビクトリーロードをつくるという風習がある。

レアル・マドリーが優勝を決めた翌節は、FCバルセロナとのクラシコ。
デコはこれを嫌ってわざと、出場停止になるよう、ファウルを犯したというのがファンの言い分。推察は自由だが、邪推に過ぎない。

37節カンプノウでのマジョルカ戦
先発したデコに対して、地元ファンはブーイングを浴びせた。

デコは会見で、そうした意図はなかった、あり得ないと否定した。
だが、そういう誤解を受けた状況は受け入れられないと言う。

もちろん、ファンに嫌われたから移籍するという、単純な話ではない。
デコに対するクラブ上層部の姿勢は、決して好ましいものではないのだろう。

日本の掲示板を見ていると「クラシコに出たくない選手は要らない」という書き込みがあった。
書き手はデコと直接話したのだろうか。
まさか、スペインの報道を鵜呑みにして、断定するなんてことはあり得ないだろうから、よほどデコに近い人なのだろう。
だが、デコ本人は会見で、それを認めていない。

FCバルセロナは、今後もリーガでは最も好きなクラブであり続ける。
それは、デコにとっても、デコファンにとっても同じ。それだけ、魅力的なフットボールをするからだ。

だが、デコファンは、次はデコが移籍したクラブのファンになる。
そのクラブの勝ちを応援し、そのクラブのユニフォームにデコをマーキングをして買う。

デコはプレミア(イギリス)か、セリエA(イタリア)で移籍先を探すという。
ぜひとも、日本ツアーを催行するクラブにして欲しい。
あるいはNHK・BSで放送されるプレミアのクラブにして欲しい。
CLで優勝してCWCで来日するクラブにして欲しい。

そして、欲を言えば、クラブ公用語が英語であるプレミアリーグにして欲しい。
フットボール選手は、クラブ帯同時、その国の言葉で話すことが義務づけられる。
母国語がポルトガル語(=ブラジル語)のデコは、バルセロナではスペイン語を話していた。
直接お土産を渡した時は 「グラシアス」と言っていた。

今から、イタリア語を覚えるのは、デコも デコファンも大変だ。

英語ならば、昔取った杵柄。
イタリア語の単語カードを作らなくて済む。

5月21日はCL決勝 共にプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドとチェルシーの戦いが控えている。

デコがクラブチームで獲得していない唯一のビッグタイトルは、2006年に逃したCWC。彼は絶対にこれをとりに来る。21日に決まるビッグイアーの行方は、そのままデコの行方を左右するだろう。

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2008年5月17日 (土)

自転車が飛び出してこない平和な道 38km→40km

38→39km

コースは田舎道を後にして、片側1車線(対面通行)の道路へと交差点を左折する。
交差点の内側より、さらに内側の歩道をショートカットしていくランナーたち。
あれは正確に言えば失格ではないのか。
係員はほとんど立っていないので、そんなの関係ねぇとばかりに、皆が最短距離を行く。

交差点を曲がって、死角だった景色が広がるのは初体験。
荒川、湘南は一本道の往復コース。交差点や死角がなかった。
ただここで、遙か彼方までつづくランナーの列をみて、愕然とする。

見通しがよいのは、ランナーにとっては良くない。
湘南(第1回)では折り返してすぐ、遙か彼方にゴール地点の江ノ島が見えた。
マラソン雑誌のプレビューでは「折り返してすぐ、江ノ島が見えて、ゴールが近づいてくるのが勇気になる」と書いてあったが、とんでもない。
これから、あんなに遠くまで走るのかと思ったら、気絶しそうだったので、すぐ江ノ島から目をそらした。

金メダルを賭けて競うアスリートのレースならば、先を行くランナーの姿を捕らえやすい直線は勇気になるだろう。
だが、素人にとっては、見たくないものだらけ。
遙か彼方には、スタート直後の2km地点で登った陸橋が見える。
もしかして、これからまたあれを渡るのか・・ぞっとした。
結局、帰りのコースは違っていて、陸橋は渡らずに済んだ。

東京マラソンを走ったランナーは、終盤に続く橋の上り下りがきついと言う。
その気持ちがよくわかる。
記録が出やすいよう、レインボーブリッジを外したのだが、あれだけ勝負どころでアップダウンが続けば記録どころではない。
コースにレインボーブリッジを入れて、観光マラソンに特化するか、ゴールをお台場ではなく陸つづきの平地にして高低差をなくした方がよいと思う。

39→40km
後でデータと照合すると、ここではYUIの「Tokyo」が鳴っていたのだが、まったく記憶にない。
レース直前にリリースされた新譜(I loved yesterday)についていたDVDで、この歌で声を詰まらせていたYUI。
その感動が、レースでは停滞した心を揺さぶってくれるのでは?と期待して入れてきた。

しかし、85曲を聴いて、この曲には励まされたというのは、ほとんど無い。
かと言って、どんな曲でもよいというわけではない。
昨年は、制限時間ぎりぎりの疾走中、さだまさし「案山子」がかかって、がくっと力が抜けた。
音楽も、小説も、その人間性も好きな同郷の先輩だが、今回のセットリストには1曲も入れなかった。
できれば、母の日向けの歌を作った後に、マラソン用の曲も作ってもらいたいものだ。

レースは高速道路に似ている。
一部の例外を除いては、レースでは自転車もクルマも人も飛び出してこない。
前方の歩行者信号が赤になることもない。
同じ方向に走る人と抜いたり、抜かれたり、並んだりの繰返し。
路面もひどい凸凹や傾きはなく、安心して走ることができる。

日頃のジョギングは自転車とクルマとの戦いだ。
免許制度のない自転車ライダーには、ランナー(歩行者)を優先するという認識はない。
交差点では徐行しないし、すれ違いざまにもスピードを落とさない。

免許制度があるクルマもひどい。
道路交通法では、横断歩道ではクルマが一時停止して、歩行者を通すと決まっている。
だが、横断歩道でクルマが停まるのを見たことがない。

交差点では、クルマ側に一時停止の標識が出ていて、ランナー側が徐行の時でも、クルマは滅多に停まらない。
それは、違反だろう。
非番のお巡りさんに変身して、切符を切りたくなる。

ランナーになって以来、クルマを運転する時は、歩行者、自転車、そして特にランナーに対して道を譲るようになった。

口を開けて走ったせいで、喉がからからに渇いてきた。
まずい。このままでは、脱水症状になりそうだ。給水所がこんなにも待ち遠しい。

陽ざしも強さを増している。
口の開きを半分にして、必死モードをがんばりモードに落とす。

手が汗をかいてきたので、手袋をはずしウェストポーチのベルトにはさむ。
ポーチにはさんでおいた書類留めクリップが役立つ。
本来、このクリップはブレスサーモ用に持ってきた。

暑くなってきたら外そうと思っていたブレスサーモは、結局一度も外さなかった。
なかなか上がらない気温をにらみながら、レースの1週間前にミズノの直販サイトから取り寄せた。1,890円。
これはいい買い物をした。
来年以降も3月、4月のレースでは欠かせない。

着ているユニフォームは半袖だが、実質長袖で最後まで、走りきることになる。
4月というのは、暖かい月だとずっと思っていた。
まさか、4月下旬のレースをこんな重装備で走るとは、思っていなかった。

40kmのスプリット
目標 5時間21分
実測 5時間37分

35kmで、5分だった借金は、ここでは6分。
心のどこかで怖がっていた「35kmの壁」が、立ちはだかることはなかった。
マラソンの書籍、雑誌にはよく「35kmには壁があり、突然からだに力がはいらなくなる」と書いてある。

5時間台で走るランナーには、そもそもその壁がないのか。
それとも、直前のカーボローディングや、レース当日の栄養補給策がうまくいったのか。それはまだ、わからない。
二度三度、歩かずに完走をした時に、わかってくるだろう。

まだ3回のマラソンだが、レース後にふり返ってみて、わかったことがある。
それは、体は自分が思っているよりも、力があると言うことだ。
初マラソン、二度目、そして今回。経験としての事実が積み重なるにつれて、それがはっきりしてきた。

初マラソンの時は、マラソン雑誌に書いてある「膝を傷めて、走れなくなった話」に怯えて、早々に歩き始めた。
二度目の時は、足がつって、もうこのまま走れなくなるのかと、途方に暮れた。

だが、三度目の今回、怖れていたのは、自分が走り通せるか、頑張りきれるのか、ということ。
体についての懸念ではなかった。



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2008年5月16日 (金)

37kmのヤングマン 35→38km

35→36km
36kmの看板が"38"に見えた。
見間違えだということはよくわかっていた。
でも本当に38だったらいいなと、看板をじっと見た。

レースの2週間前に、眠りながら走る夢をみた。
目が覚めたらマラソンを走っていたという夢をみて、目が覚めたのである。
眠っているうちに走って、レースが残り5kmになっていたら、どんなに楽だろう。
睡眠学習法があるくらいだから、睡眠走行法も編み出せないのだろうか・・
その日一日、考えていたが、この短期間では開発は難しかった。

歩きたい。
この地点で撮影された写真を見ると、自分以外は皆歩いている。

「俺は今日ここに走りに来たんだ。歩きに来たんじゃない」
そう心で叫んで前へ進む。

荒川の時は僕が歩く側にいた。
その時、どんなに速く歩いても、ゆっくり走る人にはかなわないことを知った。
歩いたほうが楽で速いということはあり得ない。
やはり走ったほうが速いのである。
ただ、その速度差はほとんどない。

道いっぱいに広がってだべりながら歩いている集団を追い抜いていくと、その会話をしばらくの間聞くことになる。
「なんだ、この人走ってるのか」という感じで、皆がこっちを見る。

マラソンでは初めの10kmは、仲間で参加したランナーがわいわいと喋っている。
それが半ばを過ぎる頃には静かになる。
だが、ここかすみがうらでは、チームで歩いているランナーがところどころにいて、賑やかだった。

36kmに到達。もうペース表は見ない。
予定では、ここから先は 1km8分45秒ペースでゴールまで行くことになっている。
この1kmのラップは 8分41秒。
前半は皆が走っているので、ペースメーカーを見つけられた。
後半は走っている人はさらに速いし、歩いている人はさらに遅い。ペースメーカーは見つからなかった。

36→37km
去年の秋からアイスを断った。
本来ならば3月の湘南国際が終わるまでだったが、出場レースをかすみがうらに鞍替えしたので、アイス断ちは 1カ月延びた。
ランニングが趣味なのではなく、マラソンが趣味なので、30kmレースに変わってしまった湘南国際は走れない。
湘南に照準を絞っていたため、東京マラソンは応募もしなかった。
一度走った荒川、復路のあの猛風は勘弁して欲しい。
そこで、見つけたのが、かすみがうらだった。

その間も、コンビニでアイスのチェックは欠かさない。
あ、新製品出てるな。これマラソン終わるまで、売ってるかな・・
日常的に買っている時は、変わり映えしないアイス商品群に愛想が尽きていたが、半年も買わないと、どれも魅力的に映る。

練習では「アイス」「アイス」と連呼すると、楽しく走ることができた。
ここで、それをやってみたが、あまり心に響かないので、すぐにやめた。

スポーツ写真サイト Allspotrsで撮影された自分の写真には、陽射しの影が映っている。
カメラが待っていたので、周囲のランナーから離れて、ピンでファインダーに収まる位置を取る。これもマラソン3回めの知恵だ。これは、いい写真が撮れたなと感じた。

このようなスポーツ写真を専門に撮影する業者があることは、マラソンを走って初めて知った。
大会終了後、3日ほど過ぎるとウェブサイトに写真が掲載される。
自分のナンバーで検索すると、自分の写真が出てくる。
だが、今回はナンバー検索で出てきたのは1枚きり。
あの自信のあるショットがない。

おかしいな、確かもっと撮ってもらったはずなのだが・・
すると「ナンバーなし」のページにあった。
自分のフォームは自分ではわからないもので、右手を前に巻き込むように振っていた。それでナンバーが隠れていたのだ。

走りながら、驚いていたことがある。
それは37kmも走ってきたのに、下を向かず、息もあがらず、まっすぐ前を見て走っている自分。
写真でも、前を見据えた覇気の残る表情が捕らえられていた。

37→38km
37km地点で聴こうと思っていれた「ヤングマン」が鳴っている。
35kmの壁というのは本当だろうか?
残り5kmあたりを、自分はどんな気持ちで走っているだろうか?
そして、ヤングマンを聴いて楽しい気持ちになるだろうか。

友達に勧められた「ヤングマン」は、聴いてみて楽しかった。
85曲のうち10曲ほどは、友達に「マラソン向きの曲、何かない?」と言って、教えてもらった。
みてくれ、これが僕のマラソンだ!
何度も、そう叫んで走る。

左側に 37.5kmのエイドが見えてくる。
すると右側で 5歳くらいの坊主がハイタッチを待っている。
そっちに行きたかったが、もうその力は残っていない。
ごめんな心で言って、エイドで水とバナナをもらう。

どこのエイドもそうだが、スポーツドリンク(アミノバリュー)と水の区別がつかなかった。
水とスポーツドリンクのコップのデザインが似ているのだ。
水は無地の白。アミノバリューはオレンジというふうに、わかりやすくするとよい。

そして、大半のエイドは水しかなかった。
速いランナーが通り過ぎた時点で、スポーツドリンクが終わってしまったのだろう。

スポーツドリンクが必要なのは、速いランナーだけではない。
「参加者が昨年比150%になったので読み違えました」
というのが、理由に使われるのだろうが、今年しか走らない人にとっては不運というしかない。

飲んだ後の紙コップは歩幅を合わせ、ゴミ箱に落としていく。
だが、風に煽られた紙コップはゴミ箱の外に着地した。
ゴミを1つも落とさないというのは、初マラソンからの約束ごと。
ここに来て、拾い直しに戻る力は残っていない。
ごめんなさいと言い残して、先を急ぐ。

ここまでは、整然と呼吸して口を閉じてきた。
淡々とした顔で走り、応援の声にはにこにこと笑顔で応えた。

だが、もうここらで口を開けて、力を振り絞ってもいいんじゃないか。
辛さを顔に出してもいいんじゃないか?そう考えた。

そして、ここから口を開けて必死の形相に切り替える。
てくてくと負荷をかけずにいくことが安全なのだが、それでは時間がかかる。
とにかく一刻も早く、この苦しさから逃れたかった。



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2008年5月15日 (木)

かすみがうら名物私設エイド 30→35km

30→31km
「30kmまでは練習。30kmからが本当のマラソン」
そう心に唱えつづけてきた。
ここまで、目標タイムとの誤差は0分。
後から思えば、測ったように順調な展開なのだが、この時はそうは思っていない。

30kmを超えたからといって、さぁいよいよ始まるぞ!という張り切りモードの気持ちは全くない。
そんな晴れやかな気持ちは、どこにも残っていない。

31→32km
31.3kmは去年、湘南で止められた第三関門の距離。
時計を見ると、今日もその時のタイムとまったく同じ。
どういうことだ?去年と比べれば、格段に走りこんできたというのに・・・

レースが終わって、考えてみた。
湘南では第一、第二関門を突破するために、前半から速いペースで走らなければならなかったし、第三関門前では全力で走った。
もし、あのまま第三関門を突破しても、制限時間内(第一回湘南は5時間40分)で、残る 11kmを走るのは無理だったかも知れない。

今年は行く手を遮る者はない。
自分がこの足を止めさえしなければ、ゴールにたどり着ける。
30kmを過ぎ、ここからがマラソン。まさに自分との戦い。

右足がつりそうになる。これは、去年も折り返してすぐに起きた。
あの時は大変なことになったと慌てたが、しばらく走っているうちに治っていた。
一度経験すると、やり過ごしてよいということがわかる。
痛みを忘れるまで、足を使わずにやり過ごす。
この後に左足、左ふくらはぎと順番に同じことがあった。
ありがたいことに今年も最後まで膝に痛みが出なかった。
丈夫に生んでくれた母への感謝を走りながら、口にした。

32→33km
呼吸は安定し、常に前を見て走っている。
我ながらやるものだ。
去年の湘南はとにかく暑く、ずっと下を向いて走っていた。

レース1週間前、最後の日曜日はいつも長時間のウォーキングをする。
今年は2時間半、多摩川沿いを歩いたが、途中で眠くなった。
きょう眠くならないのは、本番の緊張感もさることながら、音楽を聴いていることが効いている。

30km過ぎには「かすみがうら名物施設エイド(大会資料には施設と書いてある)が並ぶ」と聞いていた。
ずらりと居並ぶ温泉街のお土産屋さんのような光景が思い浮かぶ。

ここはその厚意に甘えることもマラソンのうちと思い、いつもよりパワージェルを1つ減らしてきた。
目指すのはおにぎり。
荒川市民マラソンでは、楽しみにしていた金芽米のおにぎりは、速いランナーと応援の人たちが食べてしまっていた。
今日こそは、マラソンでおにぎりが食べたい。

だが、行けども行けども私設エイドの隊列は見えてこない。
3か所ほど確かに私設エイドはあった。
おにぎりは見つけられなかった。もう予定していた食べ物が売り切れてしまい、撤収した後だったのかも知れない。
22.5kmで3つめのパワージェルを摂ってから、もう1時間半、給食していない。
何か食べなくてはと、バナナとビスケットを手にした。

33→34km
はるか前方にFCバルセロナのユニフォームを着たランナーがいる。
同輩と会うのは、3度目のマラソンにして初めてのこと。
ユニフォームの上には、13というナンバーのビブスを羽織っている。
歩いたり走ったりをくり返していて、辛そうだ。

ついに横に並んだ時、これこれと背中の20を指さし、合図を送る。
僕の背中に追走してくれるかと思ったが、足音は続かなかった。

沿道の男の子が、がんばれ~と叫んでハイタッチを求めている。
笑顔で手を合わせ「ありがとう」
去年のマラソンでは知らなかった言葉だ。
この1年で30万回のありがとうを言った。
ありがとうと言っている時、時間は緩やかに優しく過ぎていくことを知った。
今日ここに集ったランナーが一人一回ありがとうを言えば、1万回のありがとうがこの地に木霊する。それを言われた1万人の心が暖かくなる。

34→35km
左手、田んぼの向こうにかすみがうらが見えている。
景色を見ていると言うことは脳が活きているということ。
練習や準備の成果は、こうした最後まで気は確かだったところに現れていた。
最後のスタミナ切れがないよう、エイドごとに何か食べるようにする。
35kmエイドにはパンがあった。去年湘南で大量に余っていたパンを思い出した。
一つ手にして走りながら食べる。だが、むせにむせた。
やはり、パンは何か飲みながら食べるものだ。パンはもうやめておこう。

30kmを過ぎた頃から、辺りは歩いている人ばかりになっていた。
コースのまん中を歩いている人も多い。
歩いているかと思うと、走り出す人もいる。
これは調子が狂う。

右を抜けようか、左を抜けようか、追い抜くために少しだけペースを上げなくてはと考えている時、いきなりその相手が走り始める。

クルマを運転している時を思い浮かべて欲しい。
左側にクルマが1台路駐している。停車灯はつけていない。
少し右に膨らんでまさに抜こうとした時、発進のウィンカーも出さず、いきなりそのクルマが走り始める。

「おい、ウィンカー出せ。後ろ見ろ!」
まさに、それと同じ。ランナーには、歩いている時、走っている人への気配りができる人、できない人がいる。
気配りができるランナーにもたくさん出合った。
そういう人は、歩いていて、走りだそうとした時、僕が追い抜こうとすると、発進を待ってくれていた。

35kmのスプリット
目標 4時間37分
実測 4時間52分

30kmで、0になった貯金は、5分の借金に転じた。
頭の中では、万が一、走り続けられなくなった場合のタイムの暗算をしている。
1km10分で歩いたら・・ 15分で歩いたら
その時のために作っておいた「安全圏ペース表」は、ペースブレスレットと共に、預けた手荷物の中。
簡単なかけ算だが、計算力は小学2年生レベルまで低下していて、正しい答えが求められない。
「わっ、このまま1km10分ペースだと、完走できない」

頭の中が真っ白になったが、500mほど走ってから、計算違いだと気づいた。
ただ、呑気に歩いていられる場合じゃないことに変わりない。残り7.2kmを1km10分かかると72分。ゴール予測は5時間54分。制限時間まで6分しか余裕が残らない。

今日の誓いは「走りつづけること」だが、走り続けなければ、最低限の目標だったはずの完走すら難しくなっている。



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2008年5月14日 (水)

メンバー制とパブリック

「7番アイアンっていつ使うの?」【 9 】

 ある時、業界の年次総会が宮崎で行われることになった。
 ホテルはフェニックスリゾート。
 まだ、シーガイアはなかった頃。

 

 ホテルの窓からは、波高く遊泳禁止の太平洋が眼下に広がる。
 海の手前には防風林が広がり、そこにフェニックスゴルフコースがある。
 秋にはダンロップオープンが開かれる名門コースだ。

 

 総会の翌日はゴルフコンペと聞いていた。
 もちろん、出るつもりはない。
 業界のお歴々と地元の名士がこぞって出場するコンペ、しかも名門コース。
 もし出たいと言ったところで、向こうからお断りが出るだろう。

 

 ところが、総会を1週間前に控えた時、地元の会長から、上司に電話がはいる。
 「キャンセルが相次いで、困っている。組数は減らせないので、最低あと一人出してくれ」

 

 ゴルフコースにはメンバー制とパブリックがある。
 メンバー制は、そのコースのゴルフ会員権を持っているメンバー本人と同伴者、または、メンバーの紹介者だけがプレーできる。
 パブリックは誰でもプレーできる。

 

 ゴルファーのほとんどは会員権を持っていないので、パブリックに集中する。ゆえにパブリックの予約はなかなか取れない。

 

 メンバー制のコースも、名門になればなるほど、プレー資格が厳しく、メンバーの同伴がないとプレーさせない。

 

 ゆえに、名門コースで組数の多いゴルフコンペを開催するには、大きな責任が伴う。
 いったん押さえた組数を「やっぱり、参加者減ったから」と言って、減らすことは、後の信頼関係にヒビが入る。

 

 幹事は必死。まさに「溺れる者は藁をもつかむ」状態。
 「会長がそう言っている。仕方がない・・お前出ろ」
 あっさり、藁はつかまれてしまった。

 

 ゴルフは1組4人でコースを回る。
 5人以上で回ることはない。
 3人以下で回ることはある。
 ただし、複数組で回るゴルフコンペの場合、2人で回ることはない。

 

 あるゴルフコンペの参加者が12人で、3組の枠を押さえていたとしよう。
 各組の人数は 4-4-4
 そこに2人のキャンセルが出た。
 その場合、4-4-2 とはせず、4-3-3 で組む。
 3人のキャンセルが出たら、3-3-3
 ただし、4人キャンセルが出たら、もう3組は維持できない。
 1組の枠をキャンセルして、4-4の2組にするのだ。

 

 年次総会は、ほとんどの組を3人にしても、さらに人が足りなかった。
 他の会社からも同様の理由で藁が集められた。
 たださすがに、200を切れるかどうかという藁は他にいない。

 

 せめて、組合せは配慮してくれと会長に頼み、仲よしの青年部会のサトウさんと同じ組にしてもらった。
 だが、そこはお歴々の年次総会。あと一人は業界最大手企業のスズキ専務がはいった。

 

 あとは、初対面のスズキ専務なる人が、温厚な人であることを祈るだけだ。

7番アイアンっていつ使うの?もくじ

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2008年5月13日 (火)

身近な福祉とマラソン 25→30km

25→26km
今日もまた、膝に痛みが出ないことをありがたく思う。
もうひとつありがたいと思っているのは、音楽が安定的に供給されていることだ。
ヘッドホンはコードがばたつかないよう、ゼッケンの裏を通して、ゼッケンの上1か所でクリップ留め。両耳はセラポアテープをイアーレシーバーの上に貼り固定している。

6時間のマラソンの間、ずっと音楽が聴けるのは、技術の進歩のお陰だ。

■ウォークマンとメディアの歴史
 1979年 7月1日 カセットテープ
 1984年 11月10日 CD
 1992年 11月1日 MD
 1999年 12月21日 メモリースティック
 2000年6月10日 ネットワークウォークマン。100円ライター並の大きさになる。
 2004年7月1日 HDD(20GB)内臓ネットワークウォークマン。

 今回は6時間85曲のセットリストを持ってきた。
 もし、20年前にマラソンを始めていたら、カセットウォークマン+120分テープのカセットを5本。
 2時間ごとにテープを替えなければならない。
 さらに、乾電池も交換しなければならない。
 もし、そんな人がいたら、まるでドリフのギャグである。

 もし10年前にマラソンを始めていたら、本体は小さくなったが、バッテリーは予備電池が必要だろう。
 2年前、マラソンを始めた年は、音楽プレーヤーの容量が128MBだったため、およそ4時間分の曲しか入らず、それをオートリピートにして2度聴いた。

26→27km
25→26kmの1kmは10分16秒、がくんとペースが落ちた。
ところが、26→27kmは5分56秒・・・
いくらなんでも、30kmを過ぎて、5分台はあり得ない。
恐らく、26kmの距離表示がずれていたのだろう。

距離表示の看板は、前半ではボランティアが手で持っていたが、後半はほぼすべてが標識や看板などに結わえ付けてあった。
足下を見れば、道路には正確な距離表示があったのだが、それは後でミクシィの「かすみがうらマラソン」のコミュニティで読んで知った。

左手には、遙か彼方まで田んぼが広がる。その向こうにかすみがうらが見える。曇り空。
かすみがうらは、走っても走っても動かず、荒涼として広い。
あれは湖と言うより、もう海だな。

テレビドラマ「マラソン」では、このあたりで主人公はかすみがうら沿いを疾走している。
だが、実際のコースには、かすみがうら沿いを走る所はない。
湖に沿って走れば、爽快な気持ちかも知れないが、かなりの風を受けるはずだ。
景色をとるか、無風をとるかと言われたら、迷わず後者。
テレビで見たあの風景の中を走りたいと思って来たランナーも、後半のこのあたりでは、そんな景色のことはすっかり忘れていただろう。

27→28km
右足の薬指が痛む。
去年のレースでも同じ場所が痛くなった。これは靴下の問題かと思っていた。
レースで履く靴下は、裏返して丹念に毛玉を取り除いてきた。
それでも今年もまた痛みは起きた。
一度、経験したことは頭で納得できるので、怖さがない。

レース後にインソールについた指位置の跡をみると、薬指が靴に当たっていることがわかった。
靴コレクターを長くやってきて、常に50足を在庫している。
靴を買う時には、入念に足の指が靴に当たらないかをチェックする。
それなのに、こともあろうか、マラソンを走る靴で、指が靴に当たっているとは思わなかった。
次に新しいマラソンシューズを買う時は、ソール形状の違う靴を買うことにしよう。

28→29km
27→28の1kmは、エイドがあったこともあり、9分22秒。
25→30の5km区間、目標ラップは 1km8分。1分以上も遅い。

ここで、ヨムマラソンを思い出した。
直前に教えてもらったマラソン実録本。結果的に、この本を読んでいたことで、高い意識を保つことができた。
疲れていても、約束のタイムを守るために粘る。
過去のマラソンならば、自分はこの程度だろう。これ以上がんばると、どこかに故障が起きて、走れなくなるかも知れない。それでも元も子もない。
そう考えて、なすがままにペースを落としていただろう。

だが、自分には完走とDNF、成功と失敗、それぞれ1度ずつの経験がある。
まだいける。体はもってくれる。
いくか、いかないか。あとは気持ちの問題だ。
自分との約束を守らなければ。

下半身にムリはさせられないが、必死に手を振って、上半身を捻る。
そして、この1kmは7分34秒。このレース最後の7分台となった。

29→30km
いよいよ区切りの30kmがきた。
だが、ここで気合いが入るほど、もう元気ではない。
時おり、盲人ランナーと伴走者を追い抜くようになった。

1991年に始まったかすみがうらマラソンの正式名称は
「かすみがうらマラソン兼国際盲人マラソンかすみがうら大会」
身近な福祉をテーマとしており、1995年の第5回記念大会から盲人の部を併設している。

盲人ランナーの頑張りもさることながら、伴走者の圧倒的な体力と知力に敬服する。
伴走とは、相手のペースに合わせて走るだけかと思っていた。

前方の路面に凹凸があれば、ロープを引き寄せる。
前を走るランナーとの距離を測って、コース取りを変え
「今31kmの看板みえましたよ」「ちょっと、上げましょうか?」と声をかける。
なんという心の強さだろう。

いつの日か、マラソンを余裕で走れるようになったら、
・カメラを持って走りたい
・音楽無しで走りたい
・パワージェルを持たずに走りたい
・テーピング無しで走りたい
 いくつかの夢がある。だが、それはなんと凡庸な夢であったか。
 僕があの伴走者の強さを手に入れることはできないだろう。

30kmのスプリット
目標 3時間54分
実測 3時間54分

25kmで、2分あった貯金が ついに 0分になった。



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2008年5月12日 (月)

2本の線の上を走る 20→25km

20→21km
左足が右足にぶつかり始めた。これは、練習では一度もなかったことだ。
これまで、ウォーキングでフォームを固めてきた。
練習ではいつも2本の線の上を走る。
左右の足が、平行する2本の線をトレースするように走る。

マラソン指南書には「1本の線の上を走るとよい」とする説と「2本の線の上を走るとよい」とするものがある。
一般的な素人は1冊の本を読み、そこに書いてあることを信じる。
だが、こうして2冊の本を読めば、正反対のことが書いてあるのが現実だ。

ただ「1本の線の上」説には、その根拠が書いていない。
「朝食は大切だ。朝食を抜くと体調が壊れる」と書いておきながら、その根拠を示した本を1冊も読んだことがない。
それに似ている。

「2本の線の上」説を唱える福岡大学 田中教授は、1本の線を走ると、体に余分な捻りが発生し、それは無駄な動きだと書いている。
2本の線の上を走ることには、もう一つメリットがある。
それは、両足が離れていて接触しないので、転倒のリスクがないということだ。
だが今日は疲れてきて、まさに足がもつれ始めている。
転倒しないよう、足運びを慎重にする。

21→22km
21kmを過ぎて少し走った頃、ぴっぴっとチャンピオンチップがセンサーを踏んだ音がする。
そうか、ここが折り返し点なんだな。と気づく。

右手前方にテレビドラマ「マラソン」で見た折り返し地点の下りヘアピンカーブが見えてきた。
ずっと、ここを走るのが楽しみだった。
バイクに乗っていた時の習性で、峠のヘアピンカーブにさしかかると、心が躍るのである。

ドラマではヘアピンカーブのところに折り返しのコーンが立っていた。
ドラマは創作であり、実際のコースとは違う点が多い。ここもその一つだ。

すると、ここで靴に石が入った。
練習でも時々、靴に石が入る。だが、その時の石は1mm程度の小石で、走っているうちにインソールの溝に収まってしまう。
だが、今日の石は史上最大と言っていい。
かかとを刺す痛みが違う。
靴を脱いで石を出すか?このまま我慢するか?という選択を迫られる。
靴は紐を結び直すと、なぜか、またすぐほどけやすくなる。
できれば、靴は脱がずに済ませたい。

22→23km
石をやりすごそうと、アウトソールの左右をとんとんと地面にぶつけてみたが、石はさらに中央に寄ってきた。
これではとてもあと半分を走れない。
仕方なく 22kmの看板を過ぎたところで靴を脱ぐ。
靴を逆さにして出てきたのは、2mm×10mmくらいの長方形の石。
この石の映像をずっと忘れないだろうと思った。

寸暇を惜しんで走り出したのだが、まだなにか入っている。
10秒も経たずに二度目のストップ。
こんなことを何度もやってはいられない。

これきりにしなければという苛立ちで、靴を民家のトタンに思い切りガンガンと叩きつけた。
大きな音は、家主を何事かと驚かせたかも知れない。

品のないことをしてしまった。きつく締めすぎぬよう、慎重に靴紐をむすぶ。
二度靴を脱いだことでのロスタイムは、46秒64。

ドラマ「マラソン」では主人公が転倒した細い林道に入ってきた。
路面が濡れ、足ももつれている。
これまでジョギングでも転んだことはない。ここで転んでは洒落にならない。

22.5kmのエイドを前に、最後のパワージェルを取り出す。
3つめはアップル。
走りながらメモを取ったわけではないのに、どの味の順番で摂ったかは克明に覚えている。
今回聴いた音楽85曲のうち、後で聞いたことを覚えていない曲が17曲あった。全体の20%だ。

人は聴覚よりも味覚の記憶力がよいのかも知れない。

これこそ、学会に発表しなければと思い、知人に打ち明けたところ
「単にパワージェルの方が、数が少なかったからでは?」
とつっこまれた。

23→24km
20-25km区間 自分との約束は7分45秒。だが、この1kmは8分1秒。
タイムを粘らなければならない。
下半身はもう終わっているが、まだ上半身が残っている。上は疲れてない。
このために腕立て伏せ千回、腹筋二千回をしたじゃないか。
ここからは腕を振る番だ。30kmからのマラソン本番までは、まだあるぞ。
そう言い聞かせる。

後で思うに、日頃から腕を振るフォームで練習していないから、まず足が終わってしまうのだろう。

24→25km
エイドの近く、距離表示の近くにラジカセが置いてあり、音楽が流れている。
音楽は魂を揺り起こす。
眠気を覚まし、正気を保つのに役立つ。
音のない世界で孤独に走っているランナーにしてみれば、このラジカセから流れる音楽が心を覚醒させてくれるだろう。それにしても、同じような小型ステレオラジカセ。同じような置き方。
走っている時は、地元の方の気配りだと思っていたが、主催者が置いているのかも知れない。

25kmのスプリット
目標 3時間15分
実測 3時間13分

20kmで、3分あった貯金は1分減って あと2分。思いの外がんばっている。
ただ、それは後からくつろいでタイムを振り返って思うこと。この時はもう、時間の把握まで、頭が回らなくなっている。

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2008年5月11日 (日)

FCバルセロナ 2008年2月

2月3日
リーガ22節オサスナ(カンプノウ)○1-0
デコは先発出場して、82分シャビと交代。

2月5日
スポルト(マドリー寄りスポーツ紙)が
「ユベントスがデコに関心を寄せている」と記載。
スポルトが何を書いても、バルセロナの選手にとっては痛くもかゆくもない。
それは巨人選手の悪口を中日スポーツが書くようなもの。
ただ、巨人選手について報知新聞が書いたら、確証が高いのと同様、バルセロナの選手にとっては、ムンドデポルティーボに書かれたら終わり。
前シーズンオフにつづき、今シーズンオフもムンドから目が離せそうにない。

2月9日
リーガ23節セビージャ(away)△1-1
ボージャンがスペイン代表に初招集されたため欠場。
ボージャンの欠場がニュースとしてとりあげられるようになった。
デコは怪我のため召集されていない。
マドリーとの勝ち点差は8点差に広がった。
セビージャのユニは白。バルセロナは1stユニフォームを着用。

2月16日
リーガ24節サラゴサ(away)○2-1
怪我で前節を欠場したデコがフル出場。
マドリーがawayで破れて、5点差に縮まった。
サラゴサのユニは白。バルセロナは2週続けてawayで1stユニフォームを着用。

2月20日 20:45 CET 日本時間 21日 4:45
CLベスト16第一戦 セルティック(away)○3-2
デコは先発出場 66分シャビと交代。
ベスト16第一戦8試合のうち、awayで勝ったのはバルセロナだけだった。

2月24日(日)
リーガ25節レバンテ(カンプノウ)○5-1
デコは休養のため招集されず。
マドリーがホームでヘタフェに破れた。
ロッベンのゴールがオフサイドと判定されたというのに、マドリーの選手は集まって喜んでいた。そこにヘタフェがカウンター攻撃で決勝ゴールを決めた。
2週間前に9点あった差は、一気に2点差。
しかも、マドリーは失態でのホーム敗戦。
バルセロニスタが、やはり風はカタルーニャに向けて吹いていると再確認する週末となった。

2月27日
国王杯準決勝第1戦 バレンシア(カンプノウ)△1-1
バルセロナは2月を終えて、依然として CL、リーガ、国王杯 主要3冠の可能性を残している。



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2008年5月10日 (土)

ビーログではなくブログ

【 ぶろぐ 】
 日記、随筆(論説、論評)を日々更新するWebページ
 web log を省略して blog と呼ぶ。

 エントリーという記事単位で更新順に表示される。
 日本では2003年にこの言葉が登場し、2004年に入りwebの作り手の間で話題に上る機会が増えた。

 2004年4月頃は、およそ随筆とは縁がなさそうな技術者たちが 「ブログってすごいらしい」「ホームページは古い。次はブログが来る」と連呼していた。

 当時は"ビーログ"と呼ぶ人がいた。
 GUI(Graphical User Interface)をグイと呼ぶ技術者は残ってしまったが、2008年5月現在、blog をビーログと誤読する人は残っていない。

 2005年、ブログのプラットフォームを使ってホームページ(=通称)を構築する個人と企業が急増した。

 また2005年は、ミクシィ日記により、Webでの交換日記が一気に普及した。
 ミクシィの日記は日記と呼ばれていて、ブログとは呼ばれない。
 web上のlogという点では同じなので、ミクシィ日記もブログである。
 ただ、ミクシィ日記の場合、公開相手を限定できる。「全体に公開」にしても、招待制という入り口での制限がある。その制限があることで、日記という別の呼称が定着している。

 2006年には業務で有効に活用する企業が増える一方、個人ユーザーが「書くことがない」という理由でほったらかしにするブログが急増した。
 この傾向は、2008年の今も変わっておらず、一定周期で加筆されているブログの比率は低い。

 Webページ(通称ホームページ)の場合、記事を新規または修正して公開することを「更新」と呼ぶ。ブログではほぼすべてが「新規」のエントリーであり、修正はしたとしても、こっそりやるもの。
 ブログの場合、更新という言葉よりも加筆という言葉が適切だが、実際には「最近、ブログ更新してないなぁ」というように更新という言葉が使われている。


企業内の有効活用を考える場合に有益な図書
「社内ブログ革命」シックス・アパート株式会社 日経BP社 2007年1月

「きゅるる文庫」「ココログ出版」「はてなダイヤリーブック」では、ブログの受託製本を手がけている。
 お金を出せば、自分のブログを本にすることができる。インターネットを見ていない老いた両親へのプレゼントに好適だろう。



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2008年5月 9日 (金)

これがコーヒーカップヌードル(写真付)だ!

 コーヒーカップヌードル挑戦の日
 カップヌードルはノーマルな醤油味に決めた。
 いやそういう常識にとらわれるのはよくないと思い、いったんはカレーにしようかと思ったが、今回は自嘲した。

 もう売っていないプラ容器カップヌードルを使うのはもったいないので、紙容器のカップヌードルを買ってきた。

 この挑戦は何度もやるようなことではない。
 作業は慎重を要する。
 そこで、前もってつくる手順を書き出すことにする。

 コーヒーはモカ・ブレンド。理由はない。
 ドリップ・パック1つでは充分な湯量と味が確保できないとみて、2パックを使う。
 料理は水に始まり、水に終わる
 そんな話は聞いたことないが、水はアルカリイオン水
 水は沸騰すると空気が抜けてしまう。おいしいコーヒーを淹れる時と同様、沸騰する手前で火を止める。

 本日の行程で懸念されるのは、沸騰直後のお湯ではないコーヒーで、果たして麺がほぐれるのか?ということ。
 ただ、いつもカップヌードルは 2分半の固麺で食べ始めるくらいなので、少々の固さはご愛敬だ。

 コーヒーを作る過程で極力、熱を下げないため、カップには別に沸騰させたお湯を張り、温めておく。そして、2パック分のコーヒーを淹れるため、このセットを2つ用意。
 手際よく、コーヒーを淹れる。
 豆を蒸らすための20秒を今日は15秒に短縮する。

 ここでこの手順の破たんに気付いた。
 そうだ、コーヒーをカップヌードルに直接淹れればよいのだ。

 

Coffee_cup_noodle2

 一刻を争うため、ドリップパックは1つでカップにお湯、じゃなくてコーヒーを満たす。
 入れてみると、案外、黒くない。
 見た目は一見、ふつうのカップヌードルだ。

 そして、待つこと3分

 

Coffee_cup_noodle1

 

 これが、世界初(ただし写真付)
 コーヒーカップヌードルだ!

 

 カップから妙な香りが漂う。なんだ、これは?
 まず、箸で麺をすくい、音を立てて、ひと息にすする。
 ふぅ~ ず ず ず
 ラーメンを食べる幸せは、この瞬間に凝縮されている。

 印象はカップヌードルとさほど変わらない。
 イカスミスパゲッティを初めて食べた時の感覚に似ている。
 見た目で、これは絶対無理と思うのだが、食べてみると、ふつうに食べられる。ただし、特段、イカスミだから美味いとも思えない。どうして、スパゲッティにイカスミなの?と不思議に思う。

 コーヒーラーメンをメニューに入れているお店があるが、お客はまさにイカスミ感覚になるのだろう。

 カップヌードルは中間保持により、できあがりの見た目がよい。
 えびの赤、玉子の黄、肉の茶色
 さて、我がコーヒーカップヌードルはどうか?

 ふんわり黄色い玉子にコーヒーの茶が、うっすらと浸みている。
 寒い冬、味が浸みて、コーヒー色がついた玉子のおでんを思い出す。
 えびは染まりやすい性格のようで、珍しく黒みがかっている。

 肉は単独で噛みしめると肉の味がする。
 えびは、魚貝類特有の後味があり、染まりやすい外見とは違い、えびらしさを保っている。
 玉子は元々玉子の印象が薄い具材のため、コーヒーに染まったのかどうかが、わかりづらい。

 麺を食べ終えた。
 ふと我に帰ると、コーヒーで作ったことを忘れていた。
 そもそも、初めからコーヒーの味はしていなかった。

 期せずして、ここで、この企画のクライマックスがやってきた。

 いつもはカロリーと塩分を気にして、汁を飲むのは一口だけと決めている。
 残りの汁は流し台に捨てる。
 底に沈んだ肉やえびの欠片、胡椒粒が惜しい。あまりに惜しいので、箸で肉片の転落をせき止めて、食べたりもする。

 ところが、今日は最後の一滴まで飲みたいと思っている。
 なぜならば、食後のコーヒーは、人類が始まって以来、長く愛されてきた習慣だからだ。

 いつもならば、食事を終えた後、コーヒーを別に注文するか、喫茶店へハシゴしなければならない。

 コーヒーカップヌードルには、その煩わしさがない。
 食べ終えた時、そこには「はい、お待ちどう」とコーヒーが待っている。
 自宅であれば、カップを洗う必要もない。
 ということは環境にも優しい。

 まいった。
 コーヒーカップヌードルは意外と普及するかも知れない。
 論文として、日本ラーメン学会に発表しておいた方がいいのではないか?
 今、コーヒーカップヌードルを商標登録するか、真剣に考えている。

 と頭の中で、速くも原稿ができあがる。

 食後のコーヒータイム。
 だが、汁は汁だった。コーヒーではない。
 最後の一滴まで飲んだ。
 塩がきつい。
 しばらく飲んでいないうちに、カップヌードルは塩が増えたのか。それとも紙容器変更時に塩を増やしたか。いや、自身が減塩に気をつけているため、塩辛いと感じたのかも知れない。

 最後までつきまとったのは、香りへの違和感。
 経験のない香りだ。
 想像で言うならば、賞味期限を数年過ぎて、変質したカップ麺はこうかも知れないというような香り。
 薬膳にありそうな香りでもあり、どこかの銘柄のスナック菓子にこんな香りがあった気もする。

 かつての世界初の試み、さしみカレーは他人に勧められるような発見がなかった。
 そして今回もまた、読者の皆さんに新たな価値観を提案することはできそうにない。

 食べ終えて、20分が過ぎたのに、まだあの違和感のある香りがそこらに漂っている。カップに残った香りを嗅いで、過去の記憶を照会したが、脳は答えを返してこなかった。

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2008年5月 8日 (木)

コーヒーカップヌードル

 先日、プラ容器 対 紙容器の食べ比べをした時に気付いたことがある。
 それは、紙容器のほうが冷めるのが速いということだ。

 同時にお湯を入れて、同時に、かつ均等に食べ進めていく。
 すると、5分ほど時間が経過した時に、その違いがわかる。

 カップを持った時、プラ容器に比べて、紙容器は熱い。
 ところが、汁を飲んでみると、実際にはプラ容器のほうが熱く、紙容器の汁はぬるい。

 紙容器のほうが熱伝導率が高く、持つと熱い。
 すなわちそれは、熱が逃げやすいということであり、紙容器のほうが汁が冷めるのが速い。

 味はほとんど変わらない。紙容器は若干、醤油のくせがなく、無難にまとまった味に感じる。

 環境への配慮でプラから紙に変更したカップヌードル
 この熱伝導の差が、ファンにはどう受け入れられるか、日清開発者は注意して見守っているだろう。

 エコで冷めやすくなった今回の改訂は、猫舌のカップヌードルファンには福音と言える。

 さて、机の引き出しには、プラ容器時代に買い置きしたカップヌードルがまだ2つある。
 1つは 5か月後に食べる。もう1つはコレクションとして保存用。

 そのカップヌードルを眺めながら、珈琲を飲んでいて、脳に閃光が走った。

 カップヌードルをコーヒーで作ったら、どうなるだろうか?

Images

 コーヒーの変わりメニューとしては
「コーヒーぜんざい」阿蘇山のドライブイン
「コーヒースカッシュ」福岡市博多区の漫画喫茶
 という経験があるが、いずれもまずかった。

 

  コーヒーラーメンというのは、まだ聞いたことがない。
 「さしみカレー」の時は、Webで世界中に前例がないことを確認。
 世界で初めて、さしみカレーを食べた男としてギネスブックに載った(ウソです)

 コーヒーラーメンはどうか?

"コーヒーラーメン"での検索結果
Yahoo! 54,300件
Google  8,510件

 なんだ、けっこうあるじゃないか。つまらん。
 では、気を取り直してコーヒーカップヌードルはどうか?

"コーヒーカップヌードル"での検索結果
Yahoo! 755件
Google 229件

 その記事をみていくと、大半がコーヒー、カップヌードルという別々のキーワードがヒットしてしまったものだが、1つのレポートを発見。そのサイトは、お湯以外のものでカップヌードルを作るというテーマ。

 牛乳、ビール、ジャスミン茶、そしてコーヒーも試したと書いてある。だが、それを裏付ける写真は載っていない。

 電話を発明したベルは、その発表をした数時間後にまったく同じ発明が発表され、タッチの差で発明者の称号を得たという。
 「世界で初めて、コーヒーでカップヌードルを作った男」にはなり損ねたが、ここは、研究の成果を写真入りで発表することで、コーヒーカップヌードルの権威になれるのではないか・・・

 書いているうちに、だんだんテンションが下がっているが、そこは乗りかけた船。
 ここまで書けば、写真入りレポートがあるものと期待してくれる方も、一人や二人はいるだろう。

 これは、近日中に実行に移すつもりである。

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2008年5月 7日 (水)

買い戻されたビンテージクラブ

「7番アイアンっていつ使うの?」【 8 】

「これってどうやって打つんですか?」

目の前には、ゴルフセットが置かれている。
年季のはいったバッグに、年季のはいったクラブ。ウッドはパーシモンだ。
などというのは後に思うことで、その時は生まれて初めてみるゴルフクラブに戸惑っている。

どっちに向かって打つかくらいは素人にもわかる。
前後の林や、今出てきたばかりのクラブハウスにボールを打ち込む競技でないことは察しがつく。

だが、クラブを構えて見ても納得がいかない。
こんな凸凹の面でボールがまっすぐ飛ぶのだろうか?
反対側の平らな方で打った方が、いいのではないか?

渋々、一度素振りをする。
そこで、周囲が騒然とした。

「おまえ、左利きなのか?」

そうですよ。僕は生まれながらの左利きですよ。
お箸と鉛筆は下関のおばあちゃんが厳しく母親に言ったから、直しましたけどね。
と言っている場合ではない。
ソフトボールのバットはいつも、左から右に振っているし、棒状のものを右から左に向けて振ったことは一度もない。

なんだよ、左利きなら、そう言えよ
という先輩に、ゴルフだったらゴルフだと、前日に言えよ
というツッコミは心に仕舞う。

四の五の言っても始まらない。
ゴルフ場の貸し靴でティーグラウンドに踏ん張り、生まれて初めて棒を右から左へ振った。

すると、芯を食った(=真芯をとらえた)ボールは、風を切る音を残して、300ヤード彼方で弾んだ。
わけがなく、ぽくっ という鈍い音を残して、5m先に転がった。
皆が笑い転げている。
今思えば、なぜボールに当たったのかが、わからない。

ゴルフ場での記憶はここまで。
つづきの記憶映像の中の自分は、その数時間後、ハーフで上がって(=1ラウンド18ホールではなく、9ホールでやめて)山口駅のホームで、九州へ帰る電車を待っていた。

先輩が用立ててくれたゴルフクラブは、おじいちゃんからのお下がりだという。
お前にやると言われたが、いい大人がタダでもらうのはかっこがつかないので、1本あたり千円×14。キャディバッグ(ゴルフクラブを入れるバッグ。キャディさんが持って回るのでこう呼ぶ)千円。合わせて15,000円で買い取った。

しかし、数ヶ月後、ビンテージで値がつくクラブだということがわかったらしく、5千円プレミアをつけて、2万円で再び、先輩の元へと帰って行った。

 その後、4年間、ゴルフはどうしても断り切れないコンペ以外では、一切しなかった。

7番アイアンっていつ使うの?もくじ

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2008年5月 6日 (火)

ランナーが抱く妄想、描く夢 16→20km

16→17km
上り坂は足を使わぬよう、上半身で進む。
練習ではこの数倍の急勾配を走り、上り坂何するものぞと思っていた。だが、その長さが違う。16km走って来た後、だらだらと 1kmつづく上りはさすがにこたえた。
6kmから15kmまで7分ペースを刻んできたが、この1kmは30秒を余分に要した。
ふり返ってみれば、この「最後の難所」で心がぐったりしてしまった。

コースは右折して山道へ。
このレース唯一の関門17km地点が見えてくる。
制限時間は2時間15分。
手元の時計では、2時間9分37秒
5分20秒の余裕をもって通過した。

ロスタイムの読みで 8分の貯金があった割には、タイムは速くない。自分はまだ、こんなものだったのか。

未経験者は、レース前に夢を見る。
1km7分ペースを思い描いているが、レース日になると、羽根が生えたようなペースで楽々走れるのではないか。
いや、素人が世界記録を出してしまったら、どうなるだろう・・・
ここまで妄想できるのは、ちょっと異常か、ある意味で才能かも知れない。

17→18km
時計は第一関門の制限時間、12時17分を指している。
ここで、雨が落ちてきた。
最初は2、3滴。次第に強くなりメガネが水滴で埋まる。
レースはいつもメガネをかけて走る。
マラソン指南書には、サングラスをかけると紫外線対策になり、レースに集中できると書いてある。
だが、近視のランナーにとって、サングラスは夢でしかない。
サングラスをかけるために、コンタクトレンズを入れるという手はあるが、さらに疲労が増幅しそうで、気が進まない。
メガネはナイキのフレーム。なんのストッパーもつけていないのに、まったく揺れることがない。これにUVカットレンズを入れている。

右の靴底にガムでも踏んだような異物感がきた。
直径3cmはありそうなしこりを感じる。
靴の裏を確認したい。いや、走っているうちに自然と剥がれ落ちるかも知れない。
地面に靴底をなすりつけるような動きを2度3度。だが、故障しては元も子もないので、すぐやめる。
そのまま、1kmほど我慢したが、たまらず右端に寄り、ガードレールに手を添えてアウトソールを見る。
だが、靴底には何もなかった・・

荒川、湘南はアシックスニューヨーク2110(2005年秋モデル)で走った。
アートスポーツで「目標はとにかく完走」と告げたら、これを勧められた。だが下調べで、心はこの靴に決まっていた。
「マラソンシューズ売れ行きナンバー1」
右も左もわからぬうちは、この謳い文句に従っておくのが無難だ。

今回は2007年秋モデルのニューヨーク2130
会社でも履けるオールブラック。スラックスに運動靴を履くと、中学校の先生になってしまうところだが、ミッドソール、アウトソールまで黒い靴ならば、違和感が薄い。
ブラックは、2006年の2120までは数量限定カラーだったが、2130から定番カラーとなった。

レース後に確認すると、2130のアウトソール(靴底)の溝は、大きめに切ってある。小石を噛まないためなのかも知れない。

18→19km
道路は右へ左へと蛇行している。
コース取りをアウトインアウトに変更する。
こうすれば最短距離となり、少しでも体力を温存できる。
ただ、ほとんどのランナーは路側やセンターラインに沿って、道なりに走っている。そんな中、一人アウトインアウトで走るのは勇気が要る。
極力、他のランナーを煩わせないよう、後方確認に気を配った。

雨はいったんあがったが、再び緩やかに降り続き、路面も濡れて完全なウェットレース。
F1ならばピットインして、レインタイヤに履き替えるところだ。
レースで雨走行は初体験。足を滑らせないよう気を配ることは、足に負担がかかりそうだ。できれば、路面は乾いて欲しい。

ここは周回コースの東端。折り返し点を過ぎる 14時45分頃には雨はあがった。この一帯だけが雨だったようだ。
サブスリー、サブ4ランナー達は、雨に遭っていないかも知れない。
完走証に記された天候は「晴」 これは、スタート/ゴール地点のもの。
確かに土浦の競技場は行きも帰りも晴れていた。だから間違いではない。だが、実際のコース上は 35kmまでずっと曇っていた。

公式記録「晴れ 9.8度」は来年、ランナーが検討する時には、魅力的なデータだ。
素人のうちは「晴れ」を喜ぶし、アスリートは、ほどよく低い気温を喜ぶだろう。公式記録はこのように作られているのだと知った。

39番めに入れてきた QUEENの「'39」がヘッドホンで鳴っている。
QUEENのファーストアルバムから数えて39番めに収録されている、2039年を歌った曲。
今日のセットリストは全85曲だから、そろそろ折り返しが近づいている。

昔のCDはパソコン・ハードディスク時代を想定していない。
'39 はフェードアウトの終わりがけに、次曲 SWEET LADY のイントロが入っている。

19→20km
生活道路にはいると、軒先に椅子を並べて応援してくれる老婆が目につく。
おじいちゃんはどうしたのだろうか。
そして、なぜか椅子は全員の分はなくて、3人の老婆の横に一人おばちゃんが立っているというパターンが多い。
ぱちぱちぱちとしなびた拍手に、頑張れ~という声援。微笑ましくて嬉しい。

時折、郷里にいる母親に似た老婆がいた。
僕が似ているなぁとしげしげと見ていると、むこうもきょとんとした顔でこちらを見ている。

節目の20kmを迎える。
だが、30kmからがマラソン、それまではジョギング。再び、そう言い聞かせる。そうやって「まだ半分来てないのか..」そんな弱気を追い出す。

ペース表を取り出す。
予備のペース表も、メンディングテープで濡れ防止加工をしておいた。
ここまでやるか?という準備が役に立った。

20kmのスプリット
目標 2時間35分
実測 2時間32分

この5km区間には、16→17kmに「最後の難所」があった。
15kmで 守っていた 6分の貯金は、3分使ってしまい、残り3分となっている。

5月12日につづく



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2008年5月 5日 (月)

「チャイルド」と「負けないで」 12→16km

12→13km
松浦雅也の「チャイルド」が聞こえてきた。
はるか昔にみた伊丹十三映画「スウィートホーム」の主題歌。1989年作品。
歌うのはPSY・Sのチャカ。
発売当初はCDシングルが出て、「スウィートホーム」のサウンドトラックに収録された。

サウンドトラック「スウィートホーム」
松浦雅也 商品コード 32DH5188 1989年1月21日発売。3,200円。
2002年秋、楽天に出店しているショップで1,500円で売られていた。
このCDに収録されている「チャイルド」は音量レベルが低い。
他のCDの楽曲に続けて聴くと、この曲だけ音量を上げなければならない(ノーマライズ処理をしても、やはり音が小さい)

レース中、ウォークマンのボリュームは「18」で固定している。
これ以上大きくすると、自分の足音や周囲の音が聞き取りづらくなるし、これ以上小さいと、曲が聞こえない。
レース後に、コミュニティで「音楽を聴いていて、視覚障がい者が近づいているのに気づかない人がいた」という指摘を読んだ。
思わず、自分は大丈夫だったろうかとヒヤリとした。

2000年代に発売された音楽CDはどれも、音量レベルが上がっており、90年代、80年代のCD楽曲と続けて聞くと、後者は音が聞き取りづらい。
レース中、その曲だけ音が小さいと、心に響かない。
「チャイルド」は特にその中でも音が小さかったが、2004年発売のPSY・S「GOLDEN☆BEST」に収録されたものは少しましになった。レースではそちらの音源を使っている。

「どうして、楽しい時は 短いのだろう」とチャカが歌う。
1年間かけて、準備してきたマラソン。それもあと4時間ほどで終わってしまう。
「まだ、あと4時間」ではなく、「もう、あと4時間」
そういうふうに考えれば、少しはこの苦しさも紛れるかな。いや、そう考えていたい。


13→14km
右手からおばちゃんの「頑張れ」という大きな声がかかる。
ランナーは静寂の中を走っている。
こういう時声に出す応援、拍手、太鼓、音楽。とにかく「音」が嬉しい。

先頭から最後尾まで、すべてのランナーが通過し終えるまでには、少なくとも 30分はかかるだろう。
「がんばって」とずっと言い続けるのも大変なことだ。
「がんばって」と言った次には「がんばってください」と交互に声をかけてくれるおばちゃんがいた。
「ください」は大変だから、いいですよ。ランナーは丁寧な言い方より、ちょっと乱暴なくらいのほうが嬉しいですよと言ってあげたかった。

14kmの看板は見落としてしまい、ラップボタンを押せなかった。
かすみがうらコミュニティの書き込みで「看板が外れていた」と書かれていたが、この14kmがそうだったのかも知れない。


14→15km
ZARD「負けないで」が聞こえてきた。
この曲は、初マラソンから3回連続でセットリストに入れている。
荒川の強風の中「ゴールは近づいている」の歌詞に強烈に励まされた。
この曲だけは、マラソンに音楽を連れて行く限り、聴き続けるだろう。
そういう心の支えなので、今回は 17km手前、35kmあたりに2回入れた。

ただ、さすがに半分にも満たないこの位置で「ゴールは近づいてないぞ」とZARDにつっこんだ。

15kmエイド手前で2つめのパワージェル。
今度取り出したのは、トロピカルフルーツ味。
一度絞り出すように吸い、さらに二つ折りにして絞り出す。
1つ260円だったからもったいないというわけではなく、とにかくエネルギー切れが怖い。

「マラソンには35kmの壁がある」
と大抵のマラソン書籍に書いてある。ところが、まだその経験がない。
初マラソンは27kmからずっと歩いていたし、二度めは31kmでバスに収容された。
自分の足で走って迎える35kmに、いったいどんな壁があるというのか。
怖れていても始まらない。そんな壁が現れないよう、いろいろと準備をしてきたのだ。

再び、ペース表を取り出し、15kmのスプリットタイムを確認。

15kmのスプリット
目標 2時間00分
実測 1時間54分

10kmで 6分あった貯金は、この5km 一切使っていない。
「30kmまではジョギング、そこからが今日のマラソン」
そう念じる心に、少し余裕が生まれていた。

15→16km
15km過ぎまでは一旦下り。
そして、16kmからは1km近い上り。2km地点とこの上りがこのレースの難所。
あとはフラットで走りやすいと大会パンフレットに書いてあった。
主催者が言うように、全体的にはフラットととるか、それとも、二度も長い上りがあるととるか。
レースに臨んでいる以上、前向きにならなければ走れない。当然、前者の考え方をしている。
ただ、唯一の関門(17km地点)がその難所の先に設けてあるというのは、意地が悪い。ど素人ランナーにとっては辛い。

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2008年5月 4日 (日)

バルセロナの2008年1月

2008年 1月 2日 サッカーは夏を除く3シーズンにやるスポーツ。
スペインにはクリスマス休暇はあるが、お正月休みはなく、1年は国王杯で明ける。
冬を外した3シーズンで戦う日本の天皇杯は、正月が決勝だが、スペインはまだベスト32
ベスト32 第2戦 アルコヤーノ(カンプノウ)△2-2
CWCの来日時、その陽気さで株を上げたサンティ・エスケーロが2ゴール。ベスト16進出を決めた。

1月6日
リーガ18節マジョルカ○2-0(away)
水色のセカンドユニフォームで海を渡ったバルセロナは、珍しくaway戦で勝利。
デコはまだ左足内転筋に軽い故障があり、出場していない。

1月9日
国王杯ベスト16第1戦セビージャ△1-1(away)
デコは招集されず。awayだが、バルセロナは1stユニフォームを着用。

1月12日
リーガ19節(折り返し最終戦)ムルシア(カンプノウ)○4-0
折り返しでリーガ1位にいることを「冬のチャンピオン」と言う。それ自体には何の権威もない。前シーズンは、冬のチャンピオンだったバルセロナ、今年は首位レアル・マドリーとは7点差の2位。シーズンを半分残した時点でのこの位置は悪くない。バルセロニスタには、まだチームへの信頼と心の余裕があった。

1月16日
国王杯ベスト16セビージャ第二戦(カンプノウ)△0-0
クラシコ以降、内転筋を故障してチームを離れていたデコが、およそ2カ月ぶりにこの試合から復帰。
68分からドスサントスに替わって出場した。
本拠地を渋いゲームで乗り切ったバルセロナは、国王杯ベスト8に駒を進めた。

■ベスト8の組合せ
バルセロナ-ビジャレアル
ラシン・サンタンデール-アスレティック・ビルバオ
ヘタフェ-マジョルカ
アトレティコ・マドリ-対バレンシア
リーガ首位を行くレアル・マドリーは既に姿を消している。

1月18日
カタルーニャ代表戦で負傷した二番手のGK ジョルケラの穴を埋めるため、セルタから今シーズン終了までの期限付きでGKホセ・マヌエル・ピントを獲得。
これがバルセロナにとって冬の移籍唯一の選手異動。

1月20日
リーガ20節ラシン(カンプノウ)○1-0
デコはフル出場。後半40分に警告を受けた。
FWはボージャン、グジョンセン、アンリが先発している。

1月23日
国王杯ベスト8第1戦ビジャレアル(away)△0-0

1月27日
リーガ21節アスレティック・ビルバオ(away)△1-1
水色のセカンドでバスクに乗り込んだバルセロナ。デコが先発してフル出場したが、勝ち点3はとれず。
マドリーはホームで、今シーズン上位につけているビジャレアルを破り、勝ち点をバルセロナと 9点差に広げた。(この時点での今シーズン最大差)

1月30日
国王杯ベスト8 第2戦ビジャレアル(カンプノウ)○1-0
2年連続のベスト4 進出を決めた。前シーズンはベスト4(準決勝)でヘタフェに敗れている。



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2008年5月 3日 (土)

火を吹く すずめ男

【 すずめ おとこ 】
 仕事のメールを読んでいる時、5分に1回以上のペースで舌打ちしている男。

 メールの中でも特に、メーリングリストや [CC:] [BCC:]で届いているメールに対して不満を持ち、すずめ男に変身する。


 同僚にすずめ男がいると、1日じゅう
 ちっ ちっ ちっ
 というさえずりが聞こえてくる。
 すずめが職場に迷い込んできたのかと思う。
 重度のすずめ男は「あ゛~っ」「なんでだよ」と独り言も多い。

 仮面ライダーの20話、21話ではドクガンダー幼虫、成虫が登場して旧2号と戦った。  舌打ちだけの「すずめ男」を幼虫とすれば、独り言を伴う男は「すずめ男成虫」である。

 すずめ男の前、左右に座っている人は、さえずりが聞こえてくる度に憂鬱になる。
 すずめ男が部下の場合は「なに怒ってるの?」と穏やかに対応できるが、
 すずめ男が上司の場合、誰も「舌打ちはやめてください」と言えない。

 すずめ男の舌打ちは伝染する。
 燃えさかる怒り、苛立ちの火は、延焼するのだ。
 いつのまにか隣の人も、すずめ男に変身している。
 すずめ男2号の誕生だ。
 すずめ男ウィルスは男にしか効かないようで、すずめ女というのは見かけない。

 すずめ男の舌打ちをやめさせる方法はない。
 人事部に訴えるのは、大人げない。
 メンタルヘルス窓口に相談しても、結局、相手にその声は届かない(届いたら怖い)
 すずめ男が舌打ちで示す怒りは、周囲の人のストレスに転化される。
 企業がすずめ男を飼っていると、周囲の生産性が落ちて、被害を被る。
 人事部は管理職研修で、舌打ちや苛立った奇声を発することを慎むよう指導するとよい。

 やめさせる方法がないからと言って、報復に舌打ちを返したら、その日から自分もすずめ男だ。
 すずめ男対策は「怒りに対して、怒りの報復をしない」と決めることしかない。
 報復しないと決めたら、聞き流せるようになる。
 それでも、5分に一度のさえずりは、否が応でも聞こえてくる。
 時には「この人、死ぬまで怒り続けるのか?」と呆れてしまう。
 呆れるようになったら、ひとまず、すずめ男変身の危機は脱している。


 作家 西村ヤスロウは「彼女はなぜフグになるのか」ソフトバンクパブリッシング 2003年12月 で次のように書いている。

 「チッ」と音に出すことで、怒りの気持ちが緩和される。これを思考停止または、ストップ法という。
 舌打ちの多い人を見ると「人間ができていないやつ」と思うものだが、そうではない。彼は、沸き上がる怒りを必死に抑えようとしている平和主義者なのだ。

 そう言われてみると、確かにすずめ男は根っからの悪党というよりは、小心者が多い。そう考えれば、ますますさえずりは聞き流せるようになる。

 世の中の人は今、とても怒っている。
 他人の怒りを鎮めることはできない。
 新たに自分が、怒りのすずめ男に変身しないことで、世の中の怒りが薄まっていく。



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2008年5月 2日 (金)

2008年5月6日は振替休日

今回のGWはGWらしくないな。
これじゃ、単なる3連休じゃんと思っている。

ふと、いつも目の前に置いてある5月のカレンダーを見た。
あれ、6日が赤いぞ。
なんで?6日は平日でしょ?

よく見ると、6日のところには小さく「大安 振替休日」と書いてある。
5日の「こどもの日」は月曜日だから、火曜日に休日が繰り越すことはないと思っていた。

 2005年に「国民の祝日に関する法律」通称「祝日法」が改正されて、2007年に施行。その初めての適用が2008年5月6日だったのだ。

 4月29日が「昭和の日」となり、5月4日が「国民の休日」から「みどりの日」となった。
 その時の改正で「国民の祝日」が日曜日に当たる時は、その後最も近い「国民の祝日」でない日を休日とする。ということになった。

 つまり、2008年は5月4日の「みどりの日」が日曜日。
 振替休日を探していく時、最も近い祝日ではない日は 5月6日。
 2008年5月6日についていえば、この日は「みどりの日」の振替休日ということになる。

 2000年代に入り、政府は連休を増やしてきた。

2000年
月曜日を祝日にして3連休を作ろうという試み「ハッピーマンデー」により「成人の日」「体育の日」が移動。ただし、1月15日、10月10日という祝日の意味合いが薄れてしまった。

2003年
「海の日」「敬老の日」も変動月曜日に移行。

2005年
5月4日が国民の休日から「みどりの日」となり、3日連続の祝日となる。
「国民の祝日に関する法律」改正(2007年施行)

2008年
2005年の「国民の祝日に関する法律」改正により、初めて5月6日が「みどりの日」の振替休日となった。

 そろそろ次は、6月の祝日が欲しいところだ。

■しらべるが推奨する祝日候補
 6月 1日 公園の日(1903年 日本初の公園、日比谷公園の開園日)
 6月 1日 投資の日(1878年 東京証券取引所開設)
 6月 2日 貿易記念日(1959年 横浜・長崎の開港記念日)
 6月 5日 環境の日(1972年からの世界環境デーにちなみ、既に環境の日となっている)
 6月26日 国際貢献の日(1945年国連設立にちなむ)

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2008年5月 1日 (木)

私設エイド初体験 8km→12km

8→9km
天気予報では終日東北東の風。
コース図で確認したところ、折り返しまでは向かい風または横風。
折り返してからは追い風または横風となる。

体力がある前半が向かい風、疲れが出るところで追い風というのはありがたい。
いずれにせよ強い時間帯でも風速は4(m/s)。
2006年荒川で体験した 20m/sを超える風に比べれば、風のうちじゃない。

今日はパステルピンク、パステルブルーのシャツにCW-Xという出で立ちで、小ぎれいにまとめた女性が目につく。

中には「雪山登山か?」とつっこみたくなるような厚着のランナーもいる。
レースで汗を出して、ボクシングの試合にでも出るのだろうか。

ウェストポーチを背面につけている人が相変わらず多い。
お尻の上に荷物があって、よく走れるものだ。
初マラソンの時は「前につけたほうが、走りやすいですよ」と教えたくて仕方なかったが、3度目となると、他人のことはどうでもよくなった。

コスプレもちらほらと見かける。
タイガーマスク、アフロヘア、ピカチュウ・・・
この日見たベストコスプレは、コンプリートなメイドの女性。
しばらく見ていたかったが、とにかく速い。
あっという間に置いていかれ、見えなくなった。
皆に見せるために、わざと最後尾からスタートしているのではなかろうか。

9→10km
スタート地点では「5時間30分以内で走る人」プラカードの後ろに並んだ。
6時間制限のレースなので、後ろにはほとんど人はいなかったはずだ。
それなのに、これでもかというほど沢山のランナーに抜かれる。
走力のある人はゆっくり来て、号砲が鳴った時にはまだトイレの列に並んでいるのだろう。
自分も走力をつけて、一度そういうレースをしてみたいものだ。

そういえば、これまでのレースでは、後ろを振り返ったことがないことに気づいた。
そう思うと、無性に後ろを振り返ってみたくなる。
そこには、ランナーの長い列が続いているだろうか。
それとも、これだけ抜かれたのだから、もう誰もいないかも知れない。
怖いもの見たさだ。
だが、どちらかというと、縁起をかつぐ方だ。
ここで、後ろを振り返ると、何かよくないことが起きるような気がする。新しいことにはリスクが伴う。
振り返るのはやめた。

手袋に差し込んだペース表を取り出し、10kmの目標スプリットタイムを確認。

10kmのスプリット
目標 1時間25分
実測 1時間19分

スタートラインで8分あった貯金は、6分に減っていた。

10→11km
12.5kmだけは 2.5kmごとのエイドがない。
給水できないこの 5kmは辛抱のしどころ。
と思って走っていたら、私設エイドで飲み物を配っていたのでいただくことにする。

私設エイド初体験。
おじさんが紙コップに濃い味の烏龍茶を注いでいる。
マラソン中に宇烏龍茶というのは新鮮だった。

友人はかつてかすみがうらの私設エイドでお酒を振る舞われ、千鳥足で走ったという。
ただでさえ千鳥足の自分には、レース中の飲酒など考えられない。
速いランナーの力は底知れないものだ。

あれがウーロンハイだったら大変なことになるだろうと考えていたら、お礼の言葉を言い忘れた。
11kmあたりでお茶を出してくれたおじさん、ありがとう。

11→12km
徐々にコースの左右は人家が途絶え初め、それと同時に応援の人もまばらになる。
すると突然、後ろからきた大会車両が追い抜いていった。
こんなことが三度あった。

パイロンで区割りしているわけでもなく、空いているところを縫うように走る。
一度は真後ろにつかれて、ふり返った。

荒川と湘南ではこんなことはなかった。初めてのことに驚く。
今思えば、湘南国際マラソンのコースはとても統制がとれており、走っていて安心感があった。
ずっと片側2車線以上の道路ということもあるだろうが、箱根駅伝のコースでもあり、警備が手慣れているのかも知れない。

すべての沿道を警備やスタッフで埋め尽くすのは大変なことであり、過重になるほどに、それは費用に跳ね返る。これがほどよい市民マラソンなのだ。

■関東春大会の参加費比較(2008年大会)
 かすみがうら 3,700円
 荒川 5,000円
 湘南 7,000円 *1
 東京 10,000円

*1 湘南は30kmレースだったが、2007年のフルマラソン時と同じ参加費

5月5日につづく



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