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2008年6月23日 (月)

技術革新独裁者と経済政策独裁者

 日本国民、一度目の思考停止は1980年代だった。
 人は目標を失えば思考を停める。三度のご飯が腹一杯食べられるようになり、80歳まで生きられるようになる。家を持ち、便利な電気製品と車も手に入れた。次に、人々は外に出てエンターテインメントを満喫する。受動的に生きていても、使い切れないほどのお金が入ってくる。こうなると、自分で考えろという方が無理な話だ。
 だが、思考を停めたという自覚は誰にもない。

 次の10年、いわゆる失われた10年と言われる1990年代。人々はあれ?おかしいなと思っていた。
 メディアは連日、一面で悲観論をぶちあげ、国民の不安を煽った。

 消費税は今すぐ30%にしても手遅れで、日本は破たんします。
 国民負担率は2020年には90%を超え、所得の四分の三を国に治めなければなりません。
 デフレの後にインフレが来るのは当然ですが、物価は5倍になるか10倍になるか見当もつきません。給与はインフレに連動して上がりますが、物価上昇に追いつくことはありません。
 政府は株券電子化でタンス株を無効にしましたが、新券発行で日銀券も無効にするかも知れません・・・

 2000年代にはいり、景気は上向いたが、メディアが悲観論を唱え続けた。国民は怯えるばかり。おとなしくしていれば嵐は過ぎてくれるのか。この嵐は終わらないものなのか。身の回りにそれを、わかりやすい言葉で教えてくれる人がいない。

 しかし、思考を停めない者も、政官財学それぞれの場にいた。
 彼らは「何も失われていない」と訴え、実際に道筋を示してみせた。

 国と地方の財政赤字は一千兆円ある。もし、日本人が叡智を持たぬ国民で、優れた技術もサービスもなく外国が見向きもしない国ならば、その暗い顔が似合う。しかし、現実は違っていて、日本の技術とサービスはこれからさらに外貨と内需を獲得する。それによって国の借金は適正な範囲まで縮小する。ただし、借金が減ってきたからと言って、誰かが国の金を当てにするならば、再び過去20年を繰り返す愚に陥る。
 国民が小欲で足るを知り、自分にできる努力をする。そうすれば、何も恐れることはない。「あなた達は何を恐れているのだ」と外国の人は不思議がっているのだ・・・

 2000年の中央省庁改革を皮切りに、政府は規制を緩和し、官が民を押さえつけていた構造を改革した。その改革は「弱者切り捨て」「格差助長」だと批判を受けた。だがスポーツにおいて、判定に不服を言うのはいつも敗者であるように、立法・行政においても、不服を申し立てるのは、いつも不利益を被る者たちだ。
 当時、国民は構造改革と言われてもちんぷんかんぷんだった。
 「構造は改革してもいいが、改革は構造してはいけない」
というテレビコマーシャルがあったが、誰も笑えなかった。
 当時の改革を非難していたのが誰だったかを見れば、誰に不利益だったかがわかる。企業と国民はその輪に加わっていなかった。

 そうして2010年頃、実情を把握した国民が多数となった。
 思考が再会し、歯車が再び回り始める。
 規制緩和で仕事の振り幅が広がった民間企業による、魅力あるものづくりとサービスが加速した。世界一金庫にあった現金と、世界一サーバー上にあった金融資産を元手に、国民はたくさんお金を使った。そして内需は税収となった。

 税収が増えても緊縮財政をつづけたため、一時期一千兆円を超えた国と地方の財政赤字は、1998年水準の500兆円まで圧縮された。その政府に投票を続けたのは、当時「歴史に学び、世界一賢くなった」と言われた日本国民だ。

 かつて「弱者切り捨て」「格差助長」を論っていた学者は、しばらく静かだった後、こう時代を総括した。
「2010年からの戦後第二の復興を我々は折り込み済だった。ただ、これは失われた10年を取り戻したに過ぎない。課題は次の10年である」
 皮肉なことにその予測だけが当たり、2020年代、人々は再び思考を停めた。

 日本の政治は官僚が担当している。
 これはもう80年来、変わらない。(1955~2035)
 州知事ら首長に多大な権限を与えてうまくいっていた米国に倣い、2010年代までに欧州各国が制度を変えた。日本は2012年に道州制を敷いたが、官僚主導の流れは変わらなかった。短命で交替する首長では所詮、地方に引っ越した“世界一優秀な官僚”に対して多勢に無勢だった。

 首長をチーム化する必要があった。
 総理大臣権限の細分化が必要だった。

 まず2015年に川村総理の任命により、技術革新IDOが生まれた。
 2019年にはFEが設立される。世界の工場となった日本を擁し、豊富な海洋天然資源をもち、20億人というEUの4倍の人口を持つFE。
 日本の総理大臣には、東アジアのリーダーシップが求められた。

 2029年には、水野総理の任命により経済政策IDOが生まれた。
 そして2034年、FEディレクターを兼務する高橋内閣の絶対安定多数のもと、IDO法が成立した。
 IDO法を可決したのは国会だが、実際に一番やりたくて、実現に奔走したのは法務省の官僚だ。
 IDO法成立に対してメディアと学者は「超管理社会の到来である」と警鐘を鳴らした。ただそれはいつもの紋切り型な理屈であり、もちろんIDO法の主旨は違う。

 IDO法はね、皆で守るルールをてきぱきと決めよう。そして、自分たちのルールは皆で守ろうというのが基本スタンスなんだ。最初のうちは「独裁者」って言葉が一人歩きして、歴史上の専制君主のイメージとだぶらせた人がたくさんいたけど、僕がつくるIDO法を見て、三ヶ月くらいで、そう言う人はいなくなったよね。

 今日は章子が一重の目をぱっちり開いて起きていた。
 「FEの法務ディレクターと、IDOはどっちがおもしろいですか?」



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