僕が独裁者になったら
草案作成
8:59 幸田さんが入室。9:00始業。
一日の仕事は「僕が独裁者になったら」のメールと「意識調査ウェブ」のレポートを読むことから始まる。
業務連絡のメールは一通もない。外部からの相談はIDO室員が受け、それを幸田さんがまとめて、口頭で伝えてくれる。
僕は立法の独立決裁者であり、予算の執行、残業や交通費の承認といった決裁事項は一つもない。
「僕が独裁者になったら」は「個人提案法」によりウェブ上に開設した目安箱。広く国民から法案を募っている。
1日平均200通のメールが届く。ただ国民の大半は、まさかIDO本人が第一閲覧者だとは思っていない。法務省の官僚が予備審査をして、選ばれた案だけがIDOに上げられると思っている。
愛知県にお住まいのKさん(40歳、男性)は、ある夜いつものように名古屋の広小路通りを走っていた。すると前を走っていたドライバーが窓を開けたかと思うと、タバコの灰をトントンと落とし始めた。
しばらく繰り返し、終いにはタバコをぽいっと投げ捨て、路面に火の粉が散ったという。
何かに燃え移ったら危険だし、だいたい車内を汚したくないから灰を外に落とすという根性が気にくわない。死刑にして欲しい。というご意見だった。
ウェブで投稿される法案の大半が、プルダウンメニューの「適当と思われる量刑」では、死刑を選択している。
第三者には些細なできごとでも、当事者は大変怒っているということがよくわかる。
この意見を取り入れて施行した「タバコポイ捨て禁止法」は罰金30万円とした。民間人がデジカメで現場を押さえれば常人逮捕、または通報により後日警察官が逮捕できるようにしたので、デジカメを常備する人が増えた。
カー用品メーカーからは、サンバイザーに挟んで取り付けるデジカメが発売された。画質は200万画素、メモリーは10枚撮影可能で一個1,000円。この商品はその後、道路で痰を吐いた人や、自転車の三人乗りなどの常人逮捕用に改良されて、ヒット商品になった。
そして、この法律は施行三か月後に改正して、罰金を30万円から5千円に下げた。
人がルールと向き合う時、一番困る反応はルールに寄りかかることだ。
ルールに反発して抗議するという行動は、人と社会を活性化する。
ルールづくりはIDOに任せておけば安心だからと、何も考えないのは困る。
僕は真っ当な人が安心して暮らせる社会にはしたいが、真っ当な人が腑抜けになるのは見たくない。
そこで一度決めた法律でも、後から罰則や科料を変えた。
一度「タバコのポイ捨てはやばい」と思った人が、30万円から5千円に値下げされて、どう考えるか。
これ幸いとぽいぽい捨て始めるのか、それとも、お金ではない道徳で自律できるか、そこで横着と真っ当の道が分かれるのだ。
「私のおじいちゃんは週に三回、病院にとうせきに行っています。
でも病院の前にはバス停がありません。
バス停は病院から 200m離れているそうです。
おじいちゃんは歩くのがきついと言っています。
ある時、病院の先生に『どうしてバス停が遠いんですか?』と聞いたら、病院が建つ前から近くの公民館のバス停があったので、500m以内にはバス停が作れないのだそうです。
私はおかしいと思い、学校で担任の松尾先生に言いました。
先生もそれはおかしいと言って、市役所にお手紙を持っていこうということになりました。
クラスみんなで書いたお手紙を持って、市役所に行きました。
市役所の人は『けんとうします』と言いました。
これでバス停ができたら、おじいちゃんは喜んでくれるだろうなと、わくわくしながらお返事がくるのを待っていました。
でもお返事はなかなか来ませんでした。
学級会では、みんながいいと思うことは、すぐその場で決まります。
市役所にいる人たちは公務員といって、みんなのために役に立つことをする人だとお母さんが言っていました。
だから、きっとすぐ決めてくれるだろうと思っていたんです。
三か月ほどたってから、学校にお手紙がきました。
『けんとうした結果、バス停を作ることはできないです』
と書いてありました。バス停の間は500mあけなければいけないということと、病院の前がカーブになっていて、見とおしが悪くて危ないのですということでした。
私は、病院の前に並んでいるタクシーや、お迎えの車が道をふさいでいることの方が、よっぽど危ないと思います。
『これからも意見があったらどんどん言ってください』
と書いてありましたが、私たちクラスのみんなはがっかりしました。
でも、松尾先生が私に『あとで職員室に来なさいと』いうから行きました。
すると、先生は『これは先生が言ったというのは内緒にしておいて欲しいんだけど、IDOさんならば法律をすぐ変えてくれるかも知れないから、メールを送ってみるといいよ』と教えてくれました。
私のおじいちゃんだけでなく、たくさんの人が困っています。IDOさん、法律を変えてください。よろしくお願いします」
章子ちゃん(一〇歳、女性)からのメールを読んで、
先生の名前書いとるやん!
とつっこんだ 5時間後に「市民交通における距離規制を禁止する法」を施行。
バス停の間隔は500mといった条例、規則を禁止した。
地方自治体案件は総務大臣との「越権協議」となる。
その日の午後は予定を入れ替えて、谷村総務大臣に来てもらった。
谷村大臣には「一つ貸しですよ」と言われたが、わかりましたとにっこり笑って、合意した。
何が貸しで、どう借りを返すのかは、わからない。
ただ、細かいことにつっこんで、時間を失うことは、結局、受益者のためにならないということを、国連とFEの仕事でよくわかっていた。
先進国の背広を着た人が、些末な言い争いをしているさなかに、ある地域では、ばたばたと人が死んでいるのである。
次回は6月9日(月)に掲載します。
「独裁者」もくじ
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