ハンカチの仕事 ぞうきんの仕事
幸田さんは補助的事務作業を、卒なくこなしてくれる。
総合日本商事の時の島田さん、FEでのリン。日々の仕事を支えるスタッフに恵まれた時は、すべてがうまくいった。ユニセフにいた時は、何もかも自分でやらなければならず、それが大きな失敗の遠因にもなった。
法務省の時は「自分はクリエイティブな仕事をするタイプ」と、訳のわからないことを言う事務方がいて困った。
自分はなんとかなタイプというやつにろくなやつはいない。
こういう人は、事務作業を“雑用”と見なして敬遠する。
雑用を嫌う人がとても多いのは、仕事を頼む側に原因がある。
日頃から、その人の仕事の価値を認める。あなたがいるからこんなにうまくいく。あなたは欠かせないのだ。そうことばにして感謝を伝える。
別に作り話をする必要はない。ありのままをことばにするだけだ。
そういうことばがない人に限って、余所でいい人キャラを演じて引き受けてきた無理難題を、どさっと部下に押しつける。
部下をハンカチで使うか、雑巾で使うか。
トイレで手を洗えば、誰もがハンカチを使う。しかし、誰かがげろを吐いたら雑巾を使う。ハンカチでげろを拭く人は滅多にいない。
仕事を頼む時、これはハンカチの仕事だろうか。雑巾の仕事だろうかと考えてみる。いつもハンカチでできるきれいな仕事ばかりではないだろう。誰もがやりたくない雑巾の仕事も多い。雑巾の仕事なのに、ハンカチを使うきれいな仕事のように頼まれたら心は荒む。
ハンカチと雑巾の違いをわきまえて、ことばを尽くしてくれる人に出会えば、人はどんな仕事も雑用だとは思わない。
組織はそれを名称でごまかそうとする。
人が嫌がる定型作業の部署には、かっこいい仕事かと錯覚させるように、コンタクトセンター、プリントセンター、サポートデスクと言ったカタカナ名称が付けられる。作業従事者の名称もオペレーター、プランナー、アドバイザーのようにカタカナ名称が使われる。
名称をカタカナにするまでもなく、定型作業は重要だ。組織活動は定型作業の質の集積なのだ。定型作業従事者の質が、その組織の質を決める。一生のうちヒット商品の一つも出さずに終わる“クリエイティブな”企画担当者や、いい人キャラの管理職ならば、誰にでもできる。
“てにをは”は直していいよ。ここを直しましたという報告も要らないからね。
法令以外の文書は、推敲・校正ともに幸田さんに一任している。
「あの私、秘書と言ってもやることは事務員だと思っていますので、何なりとおっしゃってください」
初対面の日、IDO室幸田千絵とだけ書かれた名刺をくれた。開口一番のことばに秘めた聡明さを今も覚えている。
僕は戸惑った。間違いじゃないのかと考えた。秘書はてっきり五つくらい年下の男だと思っていた。
国家公務員は、不祥事以外でメディアに取り上げられることはない。功績があっても表舞台に立つことはなく、国民も官僚個人に関心を持つ機会はない。だがIDO秘書となれば話しは違う。人知れず苦労も多い。
「知る権利を拡張しない法のお陰で、そんな苦労なんて何もないんですよ」
彼女はいつも笑って言うだけ。尾行され、写真を撮られていることを、僕には伝えない。
僕はフットメザでは、依然として全勝を続けている。
IDOラボのロッカーには、リアルゲームがしまってある。野球盤、サッカーゲーム、ボウリングゲーム。子どもの頃、父が「お前くらいん時、これで遊んだったい。まだ、そん頃はテレビゲームもなかったけんな」と言って、オークションで買ってきた。父はコンピューター・ゲームが嫌いだ。そんな父の影響で、僕はコンピューター・ゲームをやったことがない。
1/1仮面ライダーの「リュウちゃん」はかなり違和感があるが、フットメザのテーブルはインテリアとして、このラボにとけ込んでいる。
フットメザはブラジルでは、老若男女誰もがやっているテーブルゲーム。日本に入ってきたのは2005年と古いが、「移民法」施行でブラジル人を集中的に受け入れた磐田市で灯がついた。
「デコはいいパス出しますねぇ」
僕は11個のボタンにFCバルセロナ第2期黄金時代の選手シールを貼っている。攻撃は常に20番のMFを起点にする。
小欲知足
就業後の集まりが始まっですぐ、この集まりを部活と呼ぶようになった。
何にでも名前をつける習慣は、僕から皆に普及した。
部活では、お互いを名前で呼ぶ。公私のけじめをつけるというような堅苦しい理由ではなく、その方が僕らは親密になれるからだ。
メンバーは僕の昔話を聞くのが楽しみと言ってくれて、僕の話を「おじいちゃんの寝物語」と呼んでいる。藤野章子は実際に抱き枕を持ってくる。僕が話し始めるとソファ右端の定位置に陣取り、枕に寄りかかって聴いている。本当に寝てしまうこともあったが、彼女はここで仮眠してから、週5回、語学学校に通っていたのだ。
「IDOは座右の銘って、何かありますか?」
こんな投げかけから、僕の話しが始まる。
僕の父は福岡で新聞記者をしていたんだけど「少欲知足」ということばが好きで、よく新聞のコラムにも書いていたんだ。
"少なく欲することで足るを知る"と書いて小欲知足。
いいことがあった時、とてつもなく幸福な状況に遭遇した時、あえて多くを望まず、欲張らない。するとその状況が去ってから、あぁ、もっと大きな幸せが訪れていたんじゃないか。もったいないことをしたのかな?って思うよね。でも、欲を出すことで逆の目が出て、何もかも台無しにしていたかも知れないよね。
人生はルーティング
どっちのルートをとった方がいいかは、自分で考えるしかない。
小さな幸せに心を安住させて、前を見据えている人に、きっとまた、未来からいい風が吹いてくる。僕はそう思っているんだ・・・
IDOにたどり着く糸は、予定されていたわけではない。選択により、僕がたぐり寄せた。
部長になりたい。いい男をつかまえたい。そう願っているが叶わない人と、実際にその糸をたぐり寄せる人の違いは「修業」というキーワードにある。
経過、結果すべてが修業であり、人生は修業に始まり、修業に終わる。
修業中の人は左遷されても、恋人にふられても「いやぁ、この修業はたまらんなぁ」「でも次はいいことあるかも」と自分を支えることができる。
2010年代、日本は「世界の工場」と呼ばれ始めた。僕は2020年までの10年、この頃の日本が好きだった。あの10年、多くの日本人が自分の頭で考え、自分の足で動いていた。
次回は6月23日(月)に掲載します。
「独裁者」もくじ
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