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2008年6月30日 (月)

世界に一つのおもしろい教科書

 五 二〇のカテゴリー

 KLに橋本が来た日から3ヶ月、FEの残務を片付けつつIDOの5年間を見据えていた。
 5年間の1000日で1000の法律を作ろうとまず決めた。
 ただ、任期を終えて1000法をふり返った時、特定の分野に偏っているのは具合が悪い。そこで「日本国用語集」でも使った20のカテゴリーを設定して、バランスよく立法できているかをチェックすることにした。

 「法令web」トップページは、20のカテゴリーで目次を設けている。
 国民の一人一人に「自分も法律を考えてみようかな?」と思い立ってほしい。その想像力のスイッチを入れるたたき台として、20のカテゴリーが立っていることはよかったと思う。
 カテゴリー分類は、国民が法律の概念に合わせるのではなく、法律が暮らしに寄り添うという発想で、国民の側に立って考えた。商法・刑法や政治・経済・司法といった、国民生活の実態とは関係のないカテゴリーは立てていない。
 この章では各カテゴリー毎に、僕が気に入っている法律を挙げてみたい。

 audio entertainment visual 音楽・エンターテインメント・映像
 【音楽は力法】
 企業には1日1曲以上音楽を流すことを求めた。25歳以上の人は1日1曲音楽を聴くか、歌わなければならない。
 音楽パッケージを買って、所有することにステータスを感じるのは23歳まで。それ以上の年代は、たまに気に入った曲をシングル・ダウンロードするだけだ。
 それまで肌身離さず音楽と接していた人も、23歳を過ぎると音楽から疎遠になる。
 就職すれば最初の5年は遮二無二働かなければならない。恋もして、結婚をする。結婚して育児をして落ち着いた頃、再び音楽のある生活に戻ってくる人もいるが、そのまま音楽のない老後へ向かう人も多い。
 目標法であり、問題提起法のひとつ。
 かつて、音楽に救われた経験から立法した。

 僕は総合日本商事で3年間、サラリーマンを経験後、ユニセフの教育ソフトプロジェクトに参加するためにニューヨークへ渡った。32歳の時だ。
 当時の僕は、本にも音楽プレーヤーにも見向きもせず、プロジェクトに没頭していた。
 「国際連合児童基金」ユニセフは、1946年の設立当初「国際連合児童緊急基金」という名称だった。ユニセフは第二次大戦直後、子どもを飢餓から救うために急遽結成された組織であり、問題が解決すれば解散するという点では国連難民高等弁務官事務所と同じ位置づけ。
 設立7年後に“緊急”の文字はとれたが、90年経った今も飢餓は解消せず解散していない。
 僕は総合日本商事でビジネスソフトを成功させた余勢を買って、ユニセフには教育ソフト「世界の社会」を作りに行った。

 16歳で化学式を教える国があれば、識字率が50%に届かぬ国もある。国語、算数、理科の分野はユニセフとは土俵が違う。
 僕は世界の子どもたちが、本やコンピューターで学ぶ「世界の社会」のソフトを作りたかった。
 「社会」の教育はおもしろさに欠ける。
 歴史の流れは、地誌的な要素による必然性が作用している。
 そこを無視してヨーロッパから始めましょう。次はアフリカですという教え方は、単なる編集の都合に過ぎない。中一で地理をやって中二で歴史、中三では公民です。これは座布団型ですが、別の学校ではパイ型もあります・・それは学校の都合に過ぎない。

 なぜ「社会」はおもしろくなかったのか?
 なぜオランダと長崎が、歴史の中で関われたのかを考えてみるといい。
 オランダと日本が関わるためには、まず交通の便が確立していなくてはならない。
 島国である日本へのアクセスは海路しかない。ということは、オランダにはヨーロッパからの航海に耐える造船技術がなくてはならない。道中には海賊の攻撃もあるだろうから、反撃して撃沈する大砲の技術、砲弾が当たって船が沈まないことも重要だ。

 では船の動力は何か。当時は産業革命前。当然、動力は風と潮の流れと人力。
 風を読む技術も必要だし、乗組員の食料も必要。そしてオランダの港から長崎の港までの間に補給基地となる港も必要。その時、オランダはどこまでを侵略して、どれくらい広い領土を持っていたのか。自国の港以外に、いくつの外交関係を持つ国の港を確保していたか。他国に寄港するにはことばの問題も出てくる。通訳はいたのか、何語を使っていたのか。

 こう考えた時、歴史を学ぶとか、地理を学ぶとかで教科を分けているのが、誰の都合なのかという疑問が湧く。というより全然おもしろくないということがわかる。
 “おもしろい教科書を作ってはいけない”という法律はないはずだ。
 だが、外から文科省を見ていると、僕が入って行ったとしても、好きな教科書を作らせてくれそうにはない。
 そこでユニセフでつくることにした。
 当時のユニセフが、伸びないODA、出口のない飢餓に悩み、新たな動機付けを必要としていたことも好都合だった。

 ユニセフからプロジェクト・リーダーを拝命した「世界の社会」は順調に進む。
 大日本商事で成功させたビジネスソフト「セールスマッピング」で組んだスーパーワーク社が、ソフトウェアの自社開発を申し出てくれた。
 1年の折衝の末、列強七か国~米国、英国、フランス、スペイン、オランダ、ポルトガル、イタリアに三か国を加えた一〇か国から代表ライター20人が決まる。そしてさらに1年後、ようやく1次リリース「1500年~1700年編」のレビューを終えた翌日、1人の女性ライターが自ら命を絶った。



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