PK廃止法
mind こころ
【更正寛解施設法】
刑法三九条を廃止した。
旧刑法三九条は、精神鑑定の見解が心神喪失ならば無罪、心神耗弱ならば刑が軽減される法律。
人を殺した時に心神喪失状態にあったと鑑定されると、責任能力がなかったということになり無罪になる。
被害者となった側からすれば論外の法律だが、心神障がい者の人権擁護の側からすれば不可欠の法律。
廃止議論の歴史は長く、裁判員制度が始まってからは、国民の大半がその問題点を認識していた。
心神喪失者が無罪では、国民は安心して暮らせない。有罪にしただけでは、再犯の恐れがある。そこで受刑能力によって行き先を換えることにした。
心神喪失の状態にある者が犯罪を犯したならば、寛解を目指す。そのために、刑務所、少年院、精神科、福祉施設、この四要素を組み合わせた六通りの更生緩解施設を設立した。
Sport スポーツ
【PK廃止法】
「2035年シーズンより、フットボールのルールからPKを廃止したい」
僕がそういうと、スポーツ担当の谷村総務大臣は穏やかな口調で「それだけはやめた方がいいですよ」と切りだした。
守備側が自陣ペナルティエリア内で直接フリーキックに相当するファール(10種類)を犯した場合、当該選手は退場となるが、試合はGKのゴールキックで再開される。審判がオブストラクションをとって試合を流した後にゴールが決まれば得点が認められる。
谷村大臣は、僕が提示した素案の善し悪しには言及しなかった。
「相撲のルールを変えるならまだしも、イングランドで生まれたフットボールのルールを変えるのは、敬意に欠けるような気がするんですよね」
僕は敬意という言葉に弱い。
敬意こそが、進化した生物の証。敬意なき人はどこかに進化を置き忘れたのだと僕は思っている。
女子アナ発言でひんしゅくを買った谷村大臣は、いつもいなり寿司みたいな色のセカンドバッグを持っているので、IDO室のメンバーは“イナリ”と呼んでバカにしている。だが、失敗に学び、僕との接し方に変化をつけてきた。この時は「バカは死ななきゃ直らない」の例外として、死なないでも直るバカがいるのだと感心した。
「相撲がビデオをいち早く取り入れたように、スポーツ全体にビデオを取り入れるってのはどうですか?」
「PK廃止法」は、谷村大臣が持ってきた私案を元に僕がひねりを加え「スポーツデータ二次判定法」となった。
審判に判定を委ねるあらゆるスポーツでは、映像記録装置による映像、電気的なセンサーを二次基準として採用する。
フットボールであれば、ゴール前の競り合いでディフェンダーを押していなかったか?
野球であれば、観客がボールを触ったのがフェンスの内外どちらだったか。
あらゆるスポーツで、ビデオとセンサーの導入が検討され、結果的に同法の適用を受けなかったのは、マラソンだけだった。
2000年以前は、団体競技の勝敗を左右するのは個人能力の総和と考えられていた。
2000年代に入り編成、監督の能力、チームのバランスの良さに重心が移った。フットボールで言えば、資金力に任せて、ストライカーばかり補強するようなチームは勝てなくなった。
すると、2000年代の国際試合では、PKの 1点による 1対0の試合が目立ち始める。
ファンはそこで気がついた。試合を決めていたのは、選手でも監督でもなく審判だったのだ。
「倒れずに行けたけど、PKがもらえるならば、もらっておこうと思って」
「PKでも、とりあえず、勝ててよかった」
プロ選手が堂々とこうコメントする。それを子供達が読む。
倒れないバランスよりも、相手に足を出させるフェイントが重視される。
ストライカーは居残りシュート練習を減らして、相手に足を出させる「居残りPKゲット練習」に時間を費やすようになった。
スポーツとはこういうものだ。美しさは要らない。勝たなければ誰の記憶にも残らない。ファンはとりあえず勝てば喜んでくれる。
自分だけがよければよい大人、ご都合主義を学ぶ子供。
誰も警鐘を鳴らさない。だがIDOは鳴らすことができる。
僕にしかできないことは、何でもやろうといつも思っていた。
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