世界が真似できない「故障率公開法」
日本国民一人当たりが飲むペットボトル飲料(500ml換算)は、1993年には 8日に1本だったが、2035年には1日1本になった。
日本におけるペットボトルの生産量
1993年 12万トン
2004年 51万トン
2035年 100万トン
日本におけるペットボトルのリサイクル Recycle 率
1993年 0%
2004年 47%
2035年 57%
「リサイクル率は伸びています」と環境省は説明するが、それは数字のトリック。
リサイクルされないペットボトルは増え続けている。
1993年 12万トン
2004年 27万トン
2035年 43万トン
「リサイクル率」とは、リサイクル施設に持ち込まれた率であり、その86%(2035年実績)はリサイクル施設を経由しただけで、ごみ焼却場に向かう。そのため、再利用 Reuse されたペットボトルの量はさらに少ない。
1993年 1万トン
2004年 3万トン
2035年 5万トン
ペットボトル事業に使う石油(製造、リサイクル、焼却の合算)
1993年 26万トン
2004年 188万トン
2035年 300万トン
Recycle や Reuse では追いつかない。Reduce が必要だということは、2010年時点で大半の国民がわかっていた。だが、製造業界の反発は必至。国民には清涼飲料で食べている人も大勢いる。票に捕らわれずに行動することは、政治家には難しかった。
「ジュース容器は紙パック法」は施行直後、メディアが反論したが、すぐに缶やペットボトルに劣らぬ強度と機能を備えた紙容器商品が出てきた。従来の自販機がそのまま使える紙容器飲料もできた。
清涼飲料各社は概ね協力的で、荒れる子ども、環境という社会問題に対する日本企業の潔さ、即座に対応する高い技術力は、世界中のメディアから称賛を受けた。
このように非行や社会悪の発生原因に対して「科学的なデータ」に基づいて規制することは、議会制民主主義の国では不可能とされてきた。
「そのデータは信憑性が低い」
「データがねつ造だった時は、誰が責任をとるのか」
票にもならない仕事で、責任を取らされたらたまらない。
だったら、止めておくかということになる。
だが、僕は違う。独裁者だから。僕は投票で選ばれていない。
僕はまず動く。法律を作って施行する。それで実効性がないとみるや、優秀な官僚たちが、僕から言われなくても、検証資料を上申してくる。そこには仮説に基づく検証、実際のデータ、代案、すべてがある。
僕はそれをみて直ちに見直す。官僚たちは提出した資料がすぐ法律に反映されることで、さらに一層張り切ってくれた。
hard モノ
【故障率公表法】
家庭電化製品メーカーは、品番ごとに故障率をウェブサイトで公開しなければならない。
A社のメモリーチップは 5年以内に50%が壊れる。B社のフラッシュディスクレコーダーは、全社平均の2倍壊れる..こうした情報を消費者は知ることができなかった。
2011年にテレビ放送がデジタル化されると、なぜか翌年から一斉に家電メーカーの不祥事が報道され始めた。C社が修理代を事業計画に組み入れていたことが発覚したのを皮切りに、家電 5社が同様に年間予算に組み入れていたことがわかった。
人がそこにいる限り、組織は予算を立てなければならない。企業で事業計画を立てるのは当たり前のことだ。だが、ひとたび悪いと言われれば、坊主憎けりゃ袈裟まで憎しと徹底的に叩かれる。
C社はサービスセンターを独立採算にしたのが間違いだったが、どこかの会社が叩かれるまでは、それが会社を揺るがす不祥事になるとは、誰も想像できなかったのだろう。
施行直後に「故障率の公開は企業経営を困難にする」と論じた雑誌があった。
だが、それはすぐに的外れであることが明らかになる。
日本の家庭電化製品は世界一壊れにくい。外国のメーカーに故障率公開は真似ができない。故障率を公開したことで、さらに日本製品への信頼は高まり、外国工場生産、輸出分を合計すると販売量は25%伸びた。
消費者への情報開示が目的だったのに、瓢箪から駒で輸出を伸ばしてしまい、EIDOと経産省からお褒めの言葉を戴いた。
懸念を表明した件の雑誌ではその後、同法についての論評を見かけない。
次回は7月14日(月)に掲載します。
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