第一回博多マラソン
「結婚制度について」 意見数二九〇 調査日 六月二三日
継波千絵
意識調査ウェブの結果は、幸田さんが意見タイプ別にまとめて報告してくれる。ふと見ると、署名が幸田ではなくなっている。
姓、替わったんですか?
「あ、はい。六月二〇日に転籍しました」
つ・ぎ・な・み・さん?
「いえ、つ・ぎ・は・と読みます。珍しい姓ですが、実家の近くには一〇軒くらいあるんですよ。あ、でも呼びにくいですよね。今まで通り幸田でいいですよ」
つ・ぎ・は・ち・え なんだか、今までと違う人みたいな気がして、それまでの姓で呼ばせてもらうことにした。
八 最後のことば
博多マラソン
今年は「第一回博多マラソン」を走ることに決めた。
子どもの頃、弟の銀次とよくノックをした。
野球が好きだった僕は本当はキャッチボールがしたかった。
父は僕にはグローブやバットを買ってくれたが、銀次の分も買ってくれと僕は言えなかった。
小四の時、高橋尚子がサングラスを投げるのをテレビで見た。
あのかっこいいサングラスをいつか自分も使ってみたいと思った。
中一の時、追い上げられる野口みずきにはらはらしながら兄弟三人で応援した。
どうか無事に逃げ切れますように。
銀次は一心不乱に祈っていた。
マラソンは憧れだった。
テレビでは二時間で終わる42kmも、子どもの僕らには永遠の距離に思えた。
自分がその距離を走れるとは思えなかった。
東京に引っ越してから、僕と銀次は時々、荒川の土手を走りに行くようになった。
今日は京成本線の陸橋まで、今日は千住新橋まで。少しずつ距離を伸ばした。
風が強い日、僕らは風に乗ってどこまでも行ける気がした。
だが帰りは地獄の向かい風。
JRは風速25mで電車が停まる。
そんな日は走っても走っても体が前に進まない。
風に煽られて銀次が何度か土手から落ちた。
そんな時「いい加減にしろ!風」と二人で風につっこみながら、僕らは家路を急いだ。
「いつか、42kmほんとに走れるかも知れないね」
二人がそう思い始めた冬。相棒を失った僕の心からは、ゴールテープが消えた。
25年後の2029年。
ポルトガル代表が親善試合でマレーシアを訪れている。
FEとユニセフが主催した歓迎パーティ。
FE法務ディレクターの僕は、仕方なくVIPリボンをつけて、パーティの終了時間が来るのを待っていた。
「フットボールは嫌いなの?」
僕があまりに退屈そうに見えたのか、ポルトガル代表のデコ監督が英語で話しかけてきた。彼はブラジル生まれだと秘書官のリンが言っていた。
かつてスペインと共に世界各地で覇権を競った国だけに、ブラジルを初めとしてポルトガル語を話す国が少なくない。
僕はユニセフの四年で身につけたポルトガル語で切り返す。
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