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2008年8月 8日 (金)

パクリは許さない法

 十分すぎる実績、卓越した人格、無失点。
 この三拍子が揃えば学歴を逆転した出世もあり得る。
 だが、大半の人が40歳を境に訪れる挫折にしばし、苦しむことになる。

 数字で実績が表れない管理部門では、初めから逆転はあり得ない。本当のことを教えてくれる人はいない。
 ただ、出身校重視は一概に悪ではない。東京大学を出た人と、二流大学を出た人では、学友のレベルに差があるため、社会人としての素養に格段の差がつく。組織を越えて連携する時には、その学友が大きな力を貸してくれる。

 人事部の評価基準が明快であれば、真っ当な努力ができる。
 盆と暮れの年に二度、部長の奥様が喜びそうな食材を探して、お取り寄せ通販カタログとにらめっこする時間を、自己研鑽に充てることができる。
 部長職以上の就任条件に「出身校」が明示されていれば、二流大学出身者は会社一途で時間を浪費せずに済み「会社」と「社会」半々のつき合いができる。

 通達後に明示された評価基準では「我が社は情意評価オンリーです」という企業もあった。お取り寄せ通販の売上は、この通達後、3年連続で10%ずつ伸びた。

 経済政策全般に独立決裁権を持つEIDOは、15年前に誕生したIIDOと比べると、格段に仕事の振り幅が広い。
 業界によっては不利益を被ることもある。
 無党派票で安定多数を確保した水野総理の人気があったから、EIDOは生まれた。

 渡邉EIDOを「独裁者」と揶揄するメディアがあるが、彼の実像は違う。
 渡邊さんは権限を持つ人には厳しいが、身内や部下を大切にする人情派。
 個室を持たず、経済産業省内の大部屋に席を置いて、いつも周囲に満遍なく声をかける。
 そうすることで省内の動機付けは否が応でも高まり、EIDO制度は機能しているという。
 「ポイントは席だね。籍じゃなくて席。顔が見えない人のためには誰も働かないよ」

 こうした経産省のことは「昭和ヒーロー研究会」の曽我が随時教えてくれて、FEにいる時から知っていた。
 僕はIDO就任要請を受けた日、橋本に今のIDOラボという形態を頼んだ。
 ラボという形をとり、18人のスタッフは籍と席を午前と午後で移動する。

 独立立法室というミッションクリティカルな性格のため、ラボを法務省や総務省の大部屋に置くというわけにはいかなかったが、概ね希望の形になった。

 経済産業案件もIDOの立法管轄に含まれるが、水野総理の後を受けた高橋政権では、渡邉EIDOが経産大臣を兼務しているので、僕はその分野を手控えてきた。 そんな中、数少ないEIDO承認案件の一つが「パクリは許さない法」だ。

 個人や中小企業が特許や実用新案を登録しても、大企業は黙って商品化してしまう。
 それを知って訴えても、裁判が終わる頃には技術が古くなっているし、賠償金は雀の涙。こうした横着者の行動は制限しなければならない。 個人や中小企業の権利を迅速に立証する制度が必要だった。

 まず、すべての特許、実用新案の情報は「工業所有権ネット」を作り、インターネットで誰もが検索できる状況に置いた。
 法人には新商品や役務を開発する場合、法務部や特許課が工業所有権ネットで類似案件を調べる義務を課す。
 これで「知らなかった」は通らない。

 政府から独立した「日本通信委員会」に届け出た業者が運営する「パクリ防止・立証センター」には法的な立証能力を与える。
 特許、実用新案を持つ個人、中小企業は立証センターと契約する。そして、企業にぱくられたと思ったら立証センターに連絡する。立証センターはパクリ企業に対して、任意の手続きをおこなう。

 「パクリは許さない法」という法令名称はIDO室田中君のアイデア。
 僕が考えた名前は、特許立証法だった。

 「特許等立証法では、いったい誰のために何を立証するのか、法のココロが見えにくいですよ」
 確かに田中君の言うとおりだ。
 このネーミングが発端となり、後の法令名称は一般人にわかりやすい、砕けたものになっていった。

 首都法
 2039年元旦をもって、日本の首都は東京にした。
 それまで、日本には首都はなく、歴史上の首都は京都だった。



次回は8月11日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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