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2008年8月28日 (木)

東京スカイツリーの絵

 「博多の街はおかしゅうなりよる、九州の東京になってどげんする」
 父は持論を紙面に載せた。
 会社はそれを行政に喧嘩を売ったと考えた。
 父は「読者に本当のことを言うとが俺の役目たい」と譲らない。
 父は子供の頃からの夢だった新聞記者を辞めた。

 フリー記者になってから、家族の生活は楽なものではなかったが「国立ならなんとかする」と、僕を大学までやってくれた。

 老いた父の姿を想像したことはなかった。
 僕の周りの友達はどうだったのだろうか。
 もし、想像することがあったら、きっと矍鑠とした老人を浮かべただろう。
 それ以外は思いつかなかったはずだ。

 かつて、世の中のすべてのことに刺さるかと思われた、父の舌鋒は見る形もない。
 父がその輝きを失ってからのさし呑みは、親孝行としては片手落ちだったと思う。
 杯を重ねるごとにメートルを上げる、気持ちよい酒を呑ませてやりたかった。

 「あん絵はよう描けとったなぁ。お前 39か。ならヤツは今頃 37たいな。生きとってくれりゃあなぁ」
 ことばは嗚咽にかわる。
 今頃になってそれば言うとや、おやじ・・・

 14歳になった僕は、家族の前では初めから姉と二人兄弟だったかのように振る舞った。
 僕は大丈夫だと強がって見せることが、この家族の中で、僕の務めだと突っ張っていた。
 だが、心ではいつも怒っていた。

 親父、なんで銀次にもうちょっとようしてやらんかったとか。
 銀次はいつも僕のお下がりを着ていた。
 たまには自分だけのおニューが欲しかっただろうに。
 笛もハーモニカも僕のお下がり。
 僕が小学校のうちは、お互いの時間割とにらめっこして、音楽の時間には、笛の受け渡しで、互いの教室を行き来した。
 僕が中学に上がると、笛が専用になり、体操服が 2枚になったと喜んでいた。

 銀次は愛くるしい顔をしていて女の子から人気があったが、その分男友達には疎まれた。
 絵が抜群にうまく、風景画は天才かと思えた。
 東京に来て描いた東京スカイツリーの絵は東京都の金賞をとった。

 「金ばとったけん、今度から金次って呼ばんばね」
母は茶化して喜んでいたが、銀次の笑顔は心なしか弱々しかった。

 なんで兄ちゃんに言わんかったとか。そげん頼りなかったとか俺は。
 お前んごたっとは弱虫って言うったい。
 いや、悪かとは俺たい。
 自分ばっかいい思いして、親には一回も、俺の分ば銀次にもしてやってくれとは言わんかった。

 来る日も来る日も堂々巡り。
 怒っていなければ、心が保たなかった。

 死んだ子の年をかぞえて 25年。
 父もまた、日々そのことを悔やんでいたのだと知った。

 フリーライターになって 5年、一家 5人を食わせるために父はあれだけ嫌いだった東京に来た。
 少しでも原稿の依頼をとるためだ。

 小六の銀次は「Jリーグのチームがたくさん見られる」と言い「東京は楽しか」と笑っていたが、友達には恵まれなかった。



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