首都移転、絶滅しない恐竜
学校教科書では明治政府の時に皇居が京都から東京に移ったことが前回の遷都として扱われている。
だが、京都から東京に皇居が移った時、それは遷都とはいわず僥倖、つまり天皇の旅行と呼んだ。東京に遷都したという宣言は誰もしていないので、天皇はいまだに旅行中ということになっていた。
国を治める役所があるところ
首都を国語辞典で引くとこう書いてある。
国を治める役所は、日本では東京都千代田区永田町にある国会議事堂であろうし、その国会がある東京都が日本の首都であるというのは国民の過半が認めるところ。だが、日本には首都という定義はなかった。
1923年(大正12年)の「帝都復興に関する勅書」、1950年(昭和25年)の「首都建設法」~1956年廃止~には、首都は東京であると解釈しようと思えばできる文面があった。
1956年の「首都圏整備法」では東京をはじめとする一都七県が「首都圏」と定義されている。だが、いずれも「日本の首都は東京とする」とは書いていない。
1990年に衆参両院で採択された「国会等の移転に関する決議」により“首都"は移転することが決まっていた。これに首都防衛側の東京都は、時代錯誤のプロジェクトだと“首都移転"を恐竜になぞらえて抵抗する。移転準備は粛々と進む。
2002年5月 挑戦者決定 三候補地を一つに絞り込む
2002年 東京対移転候補地の比較考量(プレーオフ)
2014年 新都市で国会開催
2034年 新都市の人口56万人(岐阜県想定)
だが早々に恐竜が自滅した。
タイムリミットの二〇〇二年五月に三つの候補地の綱引きに決着がつかなかった。
記者会見の席でささやかに移転見送りが発表されて、小さく新聞に載った。
だが、法律で廃止しない限り恐竜は絶滅しない。決議は四九年の時を越えて生きてきた。
当時の国民は政治に関心がない。衆参の委員会は一九九〇年代からインターネットで生中継されているのだが、誰も見ていない。
国民が知らないところでは「おらが故郷に首都持ってこい」という冗談のきつい国盗り合戦が行われていた。
「日本は法治国家だから、国会で決まったことはやってもらう」
当時、国会の特別委員会でこう語った県知事がいた。在任中は
「国家のためだ。首都が移転すればパラダイムが替わる」
と熱っぽく語っていたが、退任後メディアに登場した時はなぜか“首都機能移転"の看板は下ろしていた。
「水に流す」という文化を持つ日本では、その人が過去に何を言い、どのような行いをしていても、それをいつまでもあげつらうことはしない。
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