マラソン法をつくった理由
平和台競技場に集った人々は、再び静まりかえっている。
僕がこのマラソン大会を始めたのには訳があります。
僕の父は晩年、すっかり元気をなくしていました。
母は若い頃からテニスをしていたせいか、今も元気です。
僕は考えました。四〇代、五〇代に運動を続けていれば、六〇代、七〇代もずっと元気いっぱいでいられるんじゃないかって。
それならば、歩く、走る、一番簡単で、安くて、誰にでもできるマラソンがいいんじゃないか。
皆がにこにこ笑っている。うんうんと頷いている。
ただ、清水さん(50)が泣いている。
おいおいここは泣く場面じゃないぞ。
でも、42キロはちょっとやり過ぎだったかな?
(一同爆笑)
でも絶対大丈夫。
今日初めて42キロを目指す人は、皆、どきどきしていると思いますが、やり遂げた時は大きな財産が身に付きます。
完走できたら、きっと明日から自分はもっとやれる、まだまだいけると思うようになります ・・
皆さん、どうか夢をあきらめないで
「ありがとうございました。でもこの暑い中なんでウィンドブレーカーなんか着てたんですか?」
大会公式スポンサー、ウルトラスポーツ社のジャケットを着ている中野君が聞いてきた。
ウルトラスポーツ社は好きじゃないからね。
答えの意味を解せないで、額の上に?マークが浮かんでいる中野君に導かれ、いったんアスリート控え室に入る。
そこで半月マーク入りのウィンドブレーカーを脱ぎ、目標タイム 5時間のブロックに混ざる。
そこに前ポルトガル代表監督のセニョール・デコが待っていた。
前年のW杯で来日した時に、優勝できたら来年一緒に走ろうと約束していた。
現役引退前に6ヶ月、Jリーグの川崎でプレーしたこともあって、日本びいきの彼を懐かしむ人が今も多い。
「なんだか、随分偉くなったらしいな。いいスピーチだったよ」
白くなったひげの口元が、皮肉っぽく笑っている。
えぇ、またやっちゃっいましたよ。
最後の一言が余計なんだよなぁ。俺はメンターかってね。
でも普通に「がんばってください」が言えないんですよねぇ。
冠スポンサー「ウルトラスポーツ社」のロゴと、ゼッケンナンバー「2039」の下に隠れているが、マラソンはいつも 20番 DECO とマーキングされたユニフォームで走る。
僕から国民へ語りかける最初で最後のことばを、
故郷の博多で言えて良かった。
お盆休日法
「お盆休日法」により、八月一三、一四、一五と前後する土日はお盆休み。
土日と重なった分は繰り越すので、一三日が火曜日の年を除いては毎年五連休になる。
僕が子どもの頃は、休日ができてもカレンダーと手帳業界に配慮して、適用は二年先だった。
お盆を五連休にするのを二年も先送りしたら、田舎で児孫の帰りを待つおじいちゃん、おばあちゃんに待ちぼうけを食わせてしまう。同法は2035年9月に施行し、翌年から適用した。
| 固定リンク | 0
「その他」カテゴリの記事
- 【あと20日】 ハピアリ・ピースタこけら落としの後に飲み方したい(2024.09.16)
- 一番嫌いな言葉(2008.09.30)
- 最後の言葉(2008.09.26)
- 空に突き抜けるチューリップの風景(2008.09.22)
- 赤い糸を紡いだたすき(2008.09.19)