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2008年8月25日 (月)

マラソン法をつくった理由

平和台競技場に集った人々は、再び静まりかえっている。

 僕がこのマラソン大会を始めたのには訳があります。
 僕の父は晩年、すっかり元気をなくしていました。
 母は若い頃からテニスをしていたせいか、今も元気です。
 僕は考えました。四〇代、五〇代に運動を続けていれば、六〇代、七〇代もずっと元気いっぱいでいられるんじゃないかって。
 それならば、歩く、走る、一番簡単で、安くて、誰にでもできるマラソンがいいんじゃないか。

 皆がにこにこ笑っている。うんうんと頷いている。
 ただ、清水さん(50)が泣いている。
 おいおいここは泣く場面じゃないぞ。

 でも、42キロはちょっとやり過ぎだったかな?
 (一同爆笑)
 でも絶対大丈夫。
 今日初めて42キロを目指す人は、皆、どきどきしていると思いますが、やり遂げた時は大きな財産が身に付きます。
 完走できたら、きっと明日から自分はもっとやれる、まだまだいけると思うようになります ・・
 皆さん、どうか夢をあきらめないで

 「ありがとうございました。でもこの暑い中なんでウィンドブレーカーなんか着てたんですか?」
 大会公式スポンサー、ウルトラスポーツ社のジャケットを着ている中野君が聞いてきた。
 ウルトラスポーツ社は好きじゃないからね。

 答えの意味を解せないで、額の上に?マークが浮かんでいる中野君に導かれ、いったんアスリート控え室に入る。

 そこで半月マーク入りのウィンドブレーカーを脱ぎ、目標タイム 5時間のブロックに混ざる。
 そこに前ポルトガル代表監督のセニョール・デコが待っていた。
 前年のW杯で来日した時に、優勝できたら来年一緒に走ろうと約束していた。
 現役引退前に6ヶ月、Jリーグの川崎でプレーしたこともあって、日本びいきの彼を懐かしむ人が今も多い。

 「なんだか、随分偉くなったらしいな。いいスピーチだったよ」
 白くなったひげの口元が、皮肉っぽく笑っている。

 えぇ、またやっちゃっいましたよ。
 最後の一言が余計なんだよなぁ。俺はメンターかってね。
 でも普通に「がんばってください」が言えないんですよねぇ。

 冠スポンサー「ウルトラスポーツ社」のロゴと、ゼッケンナンバー「2039」の下に隠れているが、マラソンはいつも 20番 DECO とマーキングされたユニフォームで走る。

 僕から国民へ語りかける最初で最後のことばを、
 故郷の博多で言えて良かった。

 お盆休日法
 「お盆休日法」により、八月一三、一四、一五と前後する土日はお盆休み。
 土日と重なった分は繰り越すので、一三日が火曜日の年を除いては毎年五連休になる。

 僕が子どもの頃は、休日ができてもカレンダーと手帳業界に配慮して、適用は二年先だった。
 お盆を五連休にするのを二年も先送りしたら、田舎で児孫の帰りを待つおじいちゃん、おばあちゃんに待ちぼうけを食わせてしまう。同法は2035年9月に施行し、翌年から適用した。



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