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2008年8月26日 (火)

父親が過去の存在になる時

 就任早々の「アットマーク禁止法」のブリーフィングで、谷村総務大臣から「休日は増やさないんですか?」と尋ねられたことがあった。

 ある日突然増やしますよ!楽しみにしていてくださいと言っておいた。
 ブリーフィングで話した内容は大臣筋の話しとしてメディアに伝わる。

 2035年10月に発売された 2036年のカレンダーには、決まったばかりのお盆連休がしっかり刷り込まれていた。
 やればできるのである。

 この法律を施行して以来、IDO室のメンバーは、正月は東京で家族や恋人と過ごし、お盆は墓参りで故郷に帰るようになった。

 2039年は 8月13日土曜日からの五連休。
 先月、幸田さんらと四人で来た鉄なべに今日は母と姉の三人で来た。

 母は父が体を壊したのを機に博多に戻り、今は姉夫婦と暮らしている。
 母と姉には、僕はFE法務ディレクターを辞したあと、法務省の閑職に就いたことになっている。
 帰省する度に、痩せて貧相になった、子どもとはたまには会っているのか、米を持って帰れと言われるのにも慣れた。

 「こないだの博多マラソンにIDOが来たろうが。IDOも佐野って名乗ったらしかよ。まさか、あんたやなかろうね」

 違うよ。
 それ以上言うと見透かされそうで、ただ笑っていた。
 「母がテニスをしていた」と喋ったことを悔やんだ。
 母は話しを替えたが、僕がIDOであることを気づいている。姉は無頓着な人で、その点は大丈夫。

 「IDOやったらこんな所に一人でこんめえもん」
 姉がけたけたと笑う。
 二人のSPがカウンターで餃子を食べているが、母と姉は気づかない。

 先月この店に来て以来、すっかりゴマ鯖ファンになったSPの二人は、お盆だから鯖はないよと言うとがっかりしていた。
 「目立たないよう夏らしい格好を用意しました」って、タンクトップと短パンで警護するSPを初めて見た。

 親父と二人で来たとさね。
 これが親子三人で会う最後の夏になる。
 僕は10年前の話しをすることにした。

 「豊橋は三河です。名古屋じゃありませんから」
 豊橋市出身だという水野君は、人から名古屋出身と言われると怒る。
 総合日本商事の出先は愛知支店とは言わず名古屋支店だったし、僕はつい愛知を名古屋と言ってしまう。
 愛知に住んだことがない僕は、尾張、三河ということばは知っていても、それがどこからどのあたりを指すのかすら怪しい。

 だが、誰もが自分の生まれ故郷に、こだわりがある。

 福岡市は、かつては札幌や仙台と並んで、転勤族に人気の高い街だった。
 1990年、よかとぴあの跡に福岡ドームができたあたりから、おかしくなり始め、今では東京と何ら変わりない。どこにでもある大都会になってしまった。
 人がよそ者に温かく、食べ物がおいしいという良さは失われていないが。

 親父が死んだ年の夏、KLから野暮用で里帰りした。
 その時もここでゴマ鯖をつついた。
 鯖の刺身にゴマ、醤油をふり、わさびを添えて食べる小鉢は父の好物。
 父とさしで呑んだのは、それが初めてだった。父は70歳、僕は39歳。

 「札幌や仙台んごと、転勤族がそんまま家ば買ぉて住む街じゃのーなったろうが。いわんこっちゃなか。だいもなんもわかっとらん」
 そう吐き捨てた父の声がおかしい。
 父の目に涙が溜まったのに慌てた。
 凜とした父の姿と声、男の子はそのイメージを持ち続けて大人になる。
 それが、失われた時、父は過去の人になる。



次回は8月28日に掲載します。

「独裁者」もくじ

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