新幹線0系引退 今後0系を見られる場所
N700系で行く品川博多の旅【 +1 】
1964年(昭和39年)10月1日
新幹線開業時から営業運転に使われ始めた 0系車両が営業運転の運用から外れる。
0系(ぜろけい)という呼び方は初めはなかった。
1980年まで、そう呼んだことはなかった。
開業から16年、新幹線は1モデルのみ。
1980年に2モデルめとなる200系車両(東北新幹線)が運用についたことで、区別するために 0系と呼ぶようになった。
0系という名前が多くのメディアに露出したのは1999年。
1999年6月27日、ひかり351号博多行きが山陽新幹線福岡トンネルを走行中、長さ2m、幅65センチ、重さ200キロのコンクリートの固まりが車体に当たる事故が起きた。
そのひかり号は0系。
車両は停電しその場に停車。90分後に復旧して博多駅へ向かった。けが人はなかった。
最も損傷がひどい部分は9号車で、屋根が13mにわたって引き裂かれていた。
経年劣化によりコンクリートとコンクリートのつなぎ目の弱い部分(コールドジョイント)があり、それが崩落したところに0系が通りかかったのである。
JR西日本の事故後の調べでは、2,049箇所のコールドジョイントがあることがわかった。
その3ヶ月後の9月18日、0系は東海道新幹線の営業運転から外れた。
半年前の3月には700系が運用についており、この時点で 0,100,300,500,700という5種類の車両が東海道を走っていた。
これを多くのメディアが「0系引退」と書いた。
鉄道車両が運用を外れることを「引退」ととらえて、メディアとファンで見届けるという習慣はここに始まっている。
0系はその後も9年間、山陽新幹線、博多南線(博多~博多南)で営業運転を続けていた。
そして2008年「完全引退」に向けての店じまいが始まる。
3月14日、ビュッフェ連結車両が営業運転から外れた。
4月~6月、引退に向けて最後の8か月、全営業車両(3編成)をオリジナルの青ラインに戻した。
この時点で、グレー/フレッシュグリーン・ラインのJR西日本カラー車両が営業運転から退いた。
7月、JR西日本が記念ウェブページを公開。
0系紙工作、壁紙をダウンロードすることができた。
2008年7月25日~8月24日
引退を記念して、JR西日本が夏休み0系新幹線クイズ&プレゼント実施。
賞品
●0系新幹線チョロQ 100名様
●「SHINKANSENピクニックマット 300名様
●「新幹線大集合!」色えんぴつ 100名様
駅のコンコースに設置されたイベント・テーブルでは、紙でできた 0系サンバイザーが配られた。
8月、旅行代理店各社が、最後に0系に乗る旅を企画。
0系こだまでは、指定席はわずか1両のため、指定席券は1ヶ月前の発売日には即完売した。
9月24日、JR西日本が「さよなら運転」実施を発表
11月7日、引退記念DVD「0系 1964~2008 <プレミアム・エディション>」発売
11月14日「さよなら運転」の指定席を全国のみどりの窓口で発売。
11月30日、営業運転から引退。
12月 6日、13日、14日、特別企画の「さよなら運転」をひかり号ダイヤで運行。
12月14日15:00頃、新大阪発博多行きが「さよなら運転」
その後随時、廃車となり解体される。
すでにいくつかの場所にJRから譲渡されており、次の場所で保存車両を見ることができる。
■交通科学博物館 大阪市港区波除3丁目
■四国鉄道文化館 伊予西条駅隣接
■青海鉄道公園 青梅市勝沼2丁目155番地
■JR交通博物館 さいたま市大宮区大成3-42
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