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2008年11月17日 (月)

「許認可権・予算を地方に移譲する」の本当の意味

 国が握っている予算と許認可権限を道と州に渡せば、成功ということはない。

 「国がやっている許認可、予算配分を 道・州に委譲する」
 と聞くと、結構なことじゃないか!と思ってしまう人がいる。
 地方分権だという。
 このままでは、地方はもたない!という。

 でも権限が委譲されて、結構なのは「お金」がある州だけの話。
 お金がない州は権限だけはあるけれど、肝心のお金がなくて、袖が振れない。

 現在は、地方交付税交付金と補助金がある。
 地方自治体はこの交付金で税収不足を補い行政サービスをおこなう。

 地方交付税交付金とは、税収の少ない地方自治体に国税(所得税・法人税など)から配分するお金。
 東京都以外のすべての道府県がもらっている。

 唯一交付金をもらっていない東京都は国に対してモノを言える自治体。
 銀行税のように国の税制に一石を投じる施策を打てる。
 他の自治体は官僚・族議員に陳情する立場であり強くモノが言えない。

 国に入れている税収の中から任意のものを直接地方に入れることで、地方自治体が創意工夫のある自治をすることが地方の発展につながる。
 ・・・と言われているが、本当にそうだろうか。

 元々、税収自体がないのに、それを直接地方に入れても、ないものはない。
 そこがトリックだ。

 一方、大企業の本社を抱える東京を擁する「関東州」は、これでようやく人並みの市民サービスが受けられる。
 なにせ、東京は地方交付税交付金も補助金ももらっていない。
 住民は拠出した税金に見合うサービスを受けておらず、一人負けしている。
 だが、雇用が整っていること、民間サービスが整っていることで、それを実感している人はあまりいない。
 道州制になれば、関東州の人はさらに生活に潤いを感じることになる。
 なんだ、僕らはこんなに税金を払っていたのか。これまではなんだったのだと思うだろう。

 そしてお金のない地方は、なんだよ、前より悪くなってるじゃんということに気づく。

 「行政サービスが向上するか?」という観点でみても、道州制は役に立たないと言える。

 道と州でやれば、霞ヶ関より「近い」と考えるか。
 道と州でやれば、市町村・県庁より「遠い」と考えるか。

 道州制推進者は前者のことしか言わない。
 しかし、実際には「道庁」「州庁」は、今の市町村の庁舎や役場、県庁よりも組織的には遠くなるのだ。
 うまいことやる人たちがやれば、霞ヶ関の権益を「道庁」「州庁」の権益にスライドすることは、たやすい。

 僕のような素人がこれだけ言うのである。
 政治家、官僚、学者が絡めば、それはもうどれももっともで論理的な持論が行き交う。

 議論百出して、かなりの時間と金が消えていく。

11月18日につづく



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