ダイエー王監督と、西武片岡の違い
野球は戦いである。
戦争になぞらえて、グラウンドを戦場と比喩する人もいる。
だが、ゲームが終われば、選手は家に帰り、お茶漬けも食べる。
自分がいて、相手がいる。
自分一人では野球はできない。
できることはせいぜい素振りか、壁にボールをぶつけて捕球するくらいだ。
相手を野球ができないようにしてしまっては、自分も野球ができなくなる。
かつて、2000年の日本シリーズ 最初で最後の「ON対決」
ダイエーホークスは、先発陣よりもリリーフ陣が充実した布陣を敷き、後ろになるほど好投手が出てくる。
名付けるならば「前より後ろが厚い野球」という新しい価値観を提示した。
だが結果的に、ダイエーは 2勝4敗で敗れた。
敵地で2連勝としう、このうえないスタートを切ったにも関わらず、有利だったはずの福岡ドームの3試合を含めて、つづく4試合で 1つも勝てなかった。
遡ること2年前の1998年秋、ダイエー球団は 2000年日本シリーズ開催時期の福岡ドームを押さえず、脳神経外科学会大会に明け渡していた。このため2000年の日本シリーズON対決は変則日程となった。
リーグ優勝後、王監督は「この日程はうちに有利」とコメントした。
これは、この人らしい立場がわかっていないおとぼけ発言だった。
試合は東京ドームの1,2戦を福岡ダイエーが連勝。
試合が進むにつれて、強力な投手が出てくる。
序盤にリードされたらお手上げだ。
巨人ファンは、この見たことがない戦術に、とても歯が立たないと腹をくくりかけた。
「福岡ドームに来てください」
城島は余裕綽々、お立ち台で話す。
その真意は「こんな狭い東京ドームではなく、我々は広い福岡ドームの野球を知っている。我々はここでも全勝したが、福岡ドームではこんなもんじゃないよ」ということだ。
佐世保の人間をあまり悪く言いたくないが、この発言は品がなかった。
【 2000年 日本シリーズ日程 】
日付 本来の日程 2000年の日程
21日(土) 第1戦(セ本拠) 第1戦(東京ドーム)
22日(日) 第2戦(セ本拠) 第2戦(東京ドーム)
23日(月) 移動日 第3戦(福岡ドーム)
24日(火) 第3戦(パ本拠) 休養日
25日(水) 第4戦(パ本拠) 休養日
26日(木) 第5戦(パ本拠) 第4戦(福岡ドーム)
27日(金) 移動日 第5戦(福岡ドーム)
28日(土) 第6戦(セ本拠) 第6戦(東京ドーム)
29日(日) 第7戦(セ本拠) 第7戦(東京ドーム)
移動日なしの第3戦を巨人が上原で勝ち、2日間の休み。
4,5戦を巨人が連勝。東京ドームの第6戦で巨人が優勝を決めた。
シリーズ後、ある巨人選手は「連敗のあと移動日が空かず、いろいろと考えることなく第3戦に臨めたことは大きかった」とコメントした。
NPBコミッショナー事務局は日本シリーズ終了後の11月6日、ダイエー球団に対して3,000万円の制裁金を課した。
また、11月17日に巨人、ダイエー両球団から発表されたトレードは、当初、吉永幸一郎と 大野倫+金銭で進められていたが、巨人が変則日程を快く受け入れたことへの謝意としてダイエー側が金銭を辞する形で1対1となった。
王監督と城島捕手の2つの談話に欠けていたのは、立場をわきまえた謙虚さ、戦う相手への敬意だった。
2008年の日本シリーズでは、第1戦、第2戦で西武は4個の死球を与えた。
小笠原に与えたそれは、その後も運動能力に制限を加えた。
原監督が「渡辺監督の教えだとは思わないが、いい気持ちはしない」とコメントしてから、露骨な死球はなくなった。
第5戦、中島(遊撃手)が、4回の打席で脇腹を痛めて戦列を離れた。
そして、5回の守備からあの片岡がセカンドからショートに回っていた。
ラミレス激走のあの場面、ショートが中島だったら、笑顔で「ごめん」だっただろうか。
片岡の笑顔で「ごめん」は、喧嘩野球をスポーツに戻した。
塁に出る度に笑顔で話し合えとはいわないが、片岡の心に余裕を持って戦う姿は、ほかの選手の手本に値するものだった。
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