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2008年11月18日 (火)

地方対地方の対立軸

 国会には与党と野党がいる。
 法案には与野党共に賛成のものと、与野党が対立するものがある。

 道州制は首都移転と性格が似ている。

 まず、首都移転がどんな性格かというと、与党対野党の対立軸ではなく、地方対地方の対立軸であった。
 首都移転のスケジュールは次のように進んでいた。
 2002年5月までに移転候補地を一か所に絞り込む。
 その後 「首都」を防衛する側の東京都とマッチレース(プレーオフ)を行うという計画だった。
 2002年5月、3カ所の候補地「栃木福島」「愛知岐阜」「三重畿央」は互いに譲らぬまま、時間切れ。候補地を一本化できなかった。
 2002年7月、移転そのものが立ち消えになってしまった。(法的には依然として有効なまま)

 「栃木福島」には自民党議員もいれば、民主党議員もいる。
 「愛知岐阜」には自民党議員もいれば、民主党議員もいる。

 パリーグ対セリーグのオールスターゲームが与野党の対立軸とすれば、
 首都移転は「東西対抗戦」のようなもの。

 国会(委員会)の議決は、政党のしばりで動いているので、議席に応じて白黒がつく。
 だが、政党を超えた地方対地方の対立では、多数決を採るところまでたどり着かないのである。

 本来、道州制は地方対地方の対立である。
 関東州は賛成だろうし、九州・北海道は反対のはずだ。

 だが、どうやら道州制はそのようには動かない。
 自民党が「政党の対立」の題材に引き上げたからだ。

 基本法が成立して、道州制が実施に向けて動き出した時、地方都市は与党・中央省庁に「陳情ツアー」の顔を見せなければならない。
 足下の枠組みが大きく替わろうとする時、政権を替えている場合ではないという心理が働く。
 絶対安定多数を維持している今、基本法を成立させて、官僚と組んで基本計画を進めれば、与党に有利だ。
 一方、民主党の地方政策は道州制ではない。
 2005年に言っていた1,000からさらに踏み込んで、全国を300の市町村に再編する計画をもっている。

 与野党の対立ならば、議席に応じて決着がつくはずだ。
 だが、道州制は内側に地方対地方の対立がある。
 与党内、野党内で意見を一本化するのは至難の業となる。

 道州制はやった方がよい。
 ただし、道州制と地方分権をセットにしないほうがよい。
 「人件費、行政サービス経費を切り詰める」という目的に絞った道州制が望ましい。

 関東以外の州に住む人々にとって、
 行政サービスの効率アップとしての「道」と「州」に替わるのがベスト。
 それに、予算と権限がついてきたら、アウト。

 「道州制基本法」は、郵政民営化をやり遂げた小泉純一郎のような、リーダーシップのある策士がいれば、成立するかもしれない。
 ただ郵政民営化には、財政投融資の首根っこを押さえるという難攻不落の城を攻め落とした明らかな成果があった。
 一方、道州制は成立したところで、有無を言わせぬ成果というものはない。
 仕組みを替えたので 「歴史に名が残りました」という程度だ。

 もしも、地方分権とセットにした道州制を成立させたならば、そのリーダーは短期的には評価され、近い将来、地方にとどめを刺した戦犯と言われるだろう。

 自民党は 2009年1月通常国会にかける算段でいる。
 そうなれば、議論の場として 特別委員会が設置されるだろう。
 かつて、首都移転議論の場として設置されていた「国会等の移転に関する特別委員会」は、結論が出ぬまま廃止となった。
 またも審議拒否か。
 それとも話し合いか。
 与党案を通すにしても、民主党とどこまで折り合い、どうしゅうせいするかが興味深い。

 (別にそれが言いたくて、ここまで引っ張ってきたのではありません)

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