一生に二度の「走るマラソン」
東京マラソンを完走したい 【 2 】
2005年11月、「40歳からのフルマラソン完走」梅方久仁子 技術評論社 2005年11月 という本を手に取ったことから、見るマラソン人生が、走るマラソン人生に替わった。
その本に、7時間制限の荒川市民マラソンならば、1km10分で歩いても完走できるといった主旨のことが書いてあった。
7時間制限のマラソンがこの世にある。
歩いても完走?
これは衝撃だった。
昨今、乱発される言葉でいえば「目からうろこ」
であるが、コンタクトレンズを経験した者にとって、どうもこの言い回しは気味が悪くてしかたない。
「歩いてでも完走」
一生に一度、見るマラソンを、自分で走るマラソンにする。
そう決めた。
荒川市民マラソンに向けて、まずはウォーキングを始めて1ヶ月。
ランニング月刊誌「ランナーズ」に東京マラソンの記事が載った。
2005年12月12日、第一回開催日を正式決定
2007年2月18日(日)
制限時間7時間 定員3万人
前身の東京国際マラソンは 2月の第 2日曜に行われていたが、2007年はその日が建国記念日と重なり、十分な警備態勢がとれないため、第 3日曜開催となった。
そのように、メディアは報じていた。
大会事務局の責任者、遠藤雅彦が2008年2月の著書「東京マラソン」ベースボール・マガジン社~で次のように書いている。
(以下要約)
東京マラソンは二月の二週、青梅は三週の開催予定だった。東京の翌週では青梅に影響が出る。青梅が先ならば両方走ることができる。そこで話し合いの末、青梅が第一週、東京が第三週となった。
(要約おわり)
青梅マラソンという名前は聞いたことはあったが、あおうめマラソン?かと思っていた。
(読みは おうめ)
マラソンというから 42.195kmを走る大会かというと、30kmレースであることもここで調べてみて知った。
開催が発表されたのは、第一回までまだ14ヶ月も前である。
十分に準備時間があった。
これだ。
これに出たい。
2006年に荒川を走り、2007年、記念すべき第1回東京マラソンで 「走るマラソン」人生に有終の美を飾ろう。
すぐさま 一生に一度の目標を、一生に二度に修正した。
| 固定リンク | 2
「しらべるが走る!」カテゴリの記事
- 我が心の引退レース(2022.03.09)
- 長崎平和マラソン エントリー方法発表!(2020.02.12)
- 大迫傑曰く「タイムは気にする必要はない」(2020.01.21)
- マラソンの最後の1kmは、それまでの41kmとは絶対に距離が違うと思う(2020.01.20)
- 地道に走り、最下位を脱出(2020.01.18)