予期せぬ来客
「こんなことの後だから、ゆっくり行きましょう」
CB750に乗る年長の男性が、皆に声をかける。
ナナハンライダーは一目置かれる。
教習所で免許をとった中免ライダーの僕らとは違い、彼らは試験場の一発試験で合格した実力派ライダーだからだ。
当時、限定解除と呼ばれていた大型自動二輪免許。
別にナナハンに乗りたいとは思わないし、要らないや
そう思って、受験しようとも思わなかった。
それでもなぜか先導は僕のRZ350だった。
このバイクも、やはり一目を置かせる存在だったのだろう。
ログハウスの喫茶店にバイクを止め、それぞれが割り勘でコーヒーを飲む。
当時はまだパソコン通信もない頃で、オフというものはなかった。
ただ、ライダーたちはこうして喫茶店で、路肩の自販機の前で、あるいはユースホステルでバイクについて自然発生的に語り合っていた。
何かのキーワードがあれば、すぐに友達になれることは今も昔も変わらない。
一つだけネット社会の現在と違うのは、この出会いは一期一会だった。
ネット社会の今、コミュニティやウェブページをたどり再会することは容易だ。その場で電話番号を交換する必要もない。
当時、写真を後で送る時に住所を交換することはあったが、通常はその場の別れが永久の別れ。
出会った友達は思い出の中にだけ生きている。
二ヶ月後の八月
今年は水不足になることもなく、福岡の街は夏の盛りを迎えていた。
この夏休みは実家に帰らず、いつものバイトを続けながら、福岡のアパートで過ごしている。
そんなある昼下がり、玄関のインターフォンが鳴った。
インターフォンといっても、今時のマンションに常備されたものではなく、高校の技術家庭の時間で作ったものだ。
ぴーっ とまるで夜行の貨物列車の警笛のような音がした。
三ヶ月とったら一月タダにするという新聞の勧誘や、手をかざして病気を治してくれる人が時々やってくるが、特に警戒することもなくドアを開ける。
そこには隣の部屋に住む商学部の同級生、荒野が立っていた。
確か夏休みは、実家に帰ると言っていたはずだが。
あれ?飯塚に帰ったんやないと?
「いや帰っとったちゃけど、今日学生課に学生証明ば取りに行ったとさ。
そしたら隣でこの人が学生課の人に motoさんていう人ば探しよるていいよるやん。学生課の人は名前だけじゃ、ちょっと・・って言うてね。
そいで、あぁそいつなら隣に住んどーですよ。バイク?あぁ乗ってます。間違いなかですよっていうことになって。そいでお連れしたったい」
荒野の背後に、初老のおいちゃんが立っていた。
「その節は、息子が大変お世話になりました」
学校名と名前を頼りに、学校に探しに来られたのである。
どうですか?息子さんのお怪我は?
「お陰様で、まぁ元通りに直るということですが、今はまだ歩けんので病院で寝たまんまです。
まぁ私が言うともなんですが、バイクは気をつけてください。
これは心ばかりですが・・」
差し出された封筒を受け取るわけにはいかないと思った。
救護に当たったのは僕一人じゃなかですけん。
「いや、ばってんが他の方は名前もなんもわからんし」
おいちゃんは一向に引く気配がない。
「今、来る途中に聞いたばってん、お前が代表ってことで受け取ってあげたらよかやん」
荒野が間に入った。
確かにその通りだ。お礼の気持ちを胸にはるばる出かけて来たというのに、門前払いではおいちゃんの立つ瀬がない。
ありがたく受け取ることにした。
学生の一人暮らしゆえ、まぁ上がってお茶でもどうぞなどとは、これっぽっちも思いつかなかい。そもそも家には来客に出す飲み物がなかった。
封筒には岩田屋の商品券が入っていた。
ちょっと緊張しながら、初めてデパートで服を買った。
アルバムの中に、青いトロイのポロシャツを着てRZ350と映った写真がある。
一枚の写真から、その夏の出来事を思い出した。
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