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2008年12月23日 (火)

鍋いっぱいに茹でたシャコ

阪神淡路大震災の記憶がまだ新しい 1999年
芝エビの大漁は来る関東大震災を大いに予感させた。
ことあるごとに親しい人には警告も兼ねて話した。
だが、芝エビ発の大震災は起こらなかった。


「マルトミにクルマエビがあったよ」
母親には報告したものの、食べたいとか買って欲しいとは言わなかった。
盆地に来日したクルマエビは、外タレのコンサートチケット並に高い。
庶民の食卓の相場からすれば、それは「田舎をなめるな」と言いたくなるような法外な値段だった。

それから、一年後のことだ。
墓参りに行った帰り、親戚が大きなクルマエビを新聞紙にくるんで持たせてくれた。
初めてのクルマエビ。
帰宅するまでの1時間の車中。
あの大柄な肢体にパン粉をつけた、えびフライを想像した。

だが、夕飯の食卓に並んだのはアジフライだった。
母親はクルマエビを三枚に開いてパン粉をつけた。
それで、見た目がアジフライになってしまったのだ。
母は僕のえび好きを知っている。
クルマエビに噛まれたことは内緒だが、あの日、食べたそうにしていた記憶が残っていたはず。
パン粉の接地面積が広いほうが、長く楽しめるという配慮なのだろう。
初めてのクルマエビはおいしかった。
三枚におろしても十分に肉が厚い。
数十年が過ぎた今でも、その厚さは上下のアゴが覚えている。

オトナになって、中華料理店でクルマエビの躍り食いに出会った頃には、もうえびアレルギーになっていた。

盆地の町のスーパーには滅多にえびは入荷しなかったが、時々はいる「えび」がいた。
それはシャコだった。
当時はまだ、魚売り場に「切り身パック」はない時代。
すべての魚は皿やプラスチックのざるに並べて飾られていた。
だが、シャコは入荷したトロ箱にそのまま入って積んであった。
そこから、好きなだけ計って買う。
時々サクラエビらしき、小さいえびが混じっている。
シャコをかき分けてえびを探す。
するとサクラエビがぴょんぴょんと跳ねている。
恐らくその高さ5cmにも満たない跳躍だったのだろうが、
今、脳内で再合成している映像では、20cmは跳ねている。

シャコを買ってくると、家にある一番大きな鍋に入れて茹でる。
茹で上がると家族で囲んで鍋から直接食べる。
この経験で、えびの皮むきはプロ級になった。

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オトナになった夏の里帰り。
ずいぶん久しぶりにシャコを鍋で茹でた。
剥き方は体が覚えている(というほどのものでもないが)


えびアレルギーのため、一定の量を超えると体が反応して赤くなる。
一口味わうだけに止めるつもりでいた。
だが、いつまでも体は反応せず、食べ続けられた。

親子の思い出のひとときを守るために、脳が超法規指令を出していたのかもしれない。

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