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2008年12月15日 (月)

ネットで見られるのに、現場に足を運ぶ理由

 昨日、2008年12月14日 18:01にひかり354号新大阪発博多行きが博多駅のホームに到着した時点で、0系新幹線の営業運転が終了した。

 博多に住んでいれば、まちがいなく駆けつけたであろう0系最後の瞬間だが、何せ1300kmという距離は遠い。

 mixiの0系コミュニティには、今月にはいってからの「0系さよなら運転」を車外、社内で捕らえた写真、動画が多数アップロードされていた。

 わずか6両となり、あっという間にカメラアングルから消えてしまう車両。
 0系最後の運転を告げる車内放送。
 まさにその場にいるかのような臨場感だった。

 カンブリア宮殿に出演したJTB社長が、若者が旅をしなくなったことに危機感を抱いていると言っていた。
 今はインターネットで見知らぬ土地の写真、動画、情報に、自宅にいながら瞬く間に接することができる。
 街で拾ったインタビューでも若者は
「今はネットで見られるからね」とコメントしていた。

 確かに見られるから行かなくてもよいという論法はある。
 そこで、人がその場に行くことの目的を2つ挙げてみる。

1,思い出を心にやきつける。経験を積む。
2,写真・ビデオを撮る。それをネットで公開する。

 もし2だけが目的ならば、確かにその場に行かなくてもよい。
 お金と時間をかけずとも、誰かが自分の代わりに写真やビデオを撮ってきてくれる。
 自分が出かけて行って撮った写真も、他の誰かが撮った写真も、第三者からみればまったく同じ。
 だったら家でゆっくり過ごした方がいい。
 「プロ野球をライトスタンドに見に行くよりも、自宅で見たほうがリプレーも見られるし、相手の攻撃は早送りできるし」という発想と同じである。

 イベントの現場に足を運ぶ人がいる。
 スポーツを観戦する人がいる。
 旅行に出かける人がいる。

 彼らの目的は2の「媒体記録取得」だけではなく、1の「脳への記憶取得」と両方である。

 媒体の記録はブログやホームページで公開できるが、脳の記憶はわかりやすい形で公開できない。
 脳への記憶を得ることは、自慢や承認要求のためではない。

 だからこそ、奥が深い。
 そういった意図が人間を深くするのである。

 お金と時間との相談で、行けない時は他人の「媒体記録」を楽しむ。
 ここは一番、自分の出番だと情熱がほとばしる場面で、人は旅支度を始めるのである。

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